第5話 “永遠”という存在に取り憑かれた少女

「やっと半分……」

 古典のテキストを眺めながらヒロミはふぅ、と息を吐く。

 ようやく自分の家に帰れたことに安堵して小説を読みながらゆっくりと休憩をしたいところだが、休みの日に課した自宅学習がまだ済んでいない。

 いつもは午前中までに終わらせるのだが今日はスイーツ巡りに出かけていたからどうしても遅れてしまった。

 それでもヒロミの中では夕方までには勉強を終えるつもりだったのだが……机の本棚の横にあるデジタル時計に目を向ける。夜の11時を過ぎていた。一口サイズのチョコをパクリと口に入れ椅子の背もたれに身体を預ける。

――結局何も決まらなかった……。

 嘆息を吐きながら今日一日を振り返る。遅れてきたタクミと合流し、二件目に向かいスイーツを注文するもタクミは季節(栗の)フルーツ盛りパフェ・栗のパンケーキ・モンブランを頼んだ。三つも注文した上に栗がダブってしまっている。本人は栗は大好物だし遅れてきた分を取り戻したいから大丈夫だ、と言っていた。

 が、やはりそれは無謀な挑戦だった。パフェは写真でみるよりも2倍の大きさがありタクミ一人で食べきることができたが、次にパンケーキに手をつけるも半分も食べていないところでタクミの顔はどんどんと青くなっていった。

 完全にギブアップしたタクミの変わりにヤマトとヒロミが手を差し伸べるも一件目の分がまだ消化されていなかったのでフォークはなかなか進まなかった。

 ヒロミは食が太い方ではないが親からお残しなど言語道断だと教わってきたこともありお腹が締め付けられるような痛みを伴いながらも何とかすべて片付けることができた。

 三件目を回る予定だったがそれを諦め、二件目で二人とは別れた。中秋の夕焼けを背に一人甘ったるさに口元を押さえながら自宅へと帰るとすぐさまベッドに飛び込んだ。睡魔はすぐに訪れ眠りにつくことができた。目が覚めると日は暮れすっかりと夜になっていた。

 目覚めたときにスイーツ候補は決まらずに終了してしまったことに気づいたときは、一瞬頭が真っ白になり少しずつ焦燥感を全身で感じることになった。

 残りの半分が終わればシャワーを浴びて歯を磨いて後は寝るだけと思考を巡らせていると、ふと脳裏に寂しげなヤマトの顔が浮かんだ。

 ヤマトの意外な告白に最初驚いたが話を聞いていくうちにヒロミの中で様々な感情がこみ上げてきた。同じように傷ついている人がいるとは思っていなかった。自分と近しい境遇。

――だから、あんな言葉をかけたのかなぁ……。

 応援や励ます事とは違う。おこがましいことこの上ない。人の気持ちなど所詮完全に理解することなんてできない。

 でも、せめて寄り添おうと思った。あの人は今孤独を感じているんだ。それはヒロミも同じだった。あの場で過去の出来事は話せなかった。まだ、自分の気持ちに整理がついていなかった。

 ヒロミは筆箱の横に置いている指輪を手に取る。指輪のことも彼には話していなかったな、と心の中で呟いた。心の底から愛していた人から貰った大切な指輪。これを未だに捨てられていないこと自体が楔となって心に食い込み自身を蝕んでいるのは重々承知の上だった。

 でも、そんな簡単に捨てれるわけない。

 自分と違って同じように傷ついていても、彼が話せたのはちゃんと前を向こうとしているからなのでは?

 そうだとしたらとても……とても羨ましいと思ってしまった。

 どうして彼は一歩を踏み出せたのだろう。なぜ私は今も囚われたままなんだろう。いつまでこの懊悩は私を縛り続けるのだろう。

 彼のように過去と今を切り離して新しい自分になろうという憧れを抱いてクラスの委員長にもなったし、生徒会にも立候補しようとしている。でも、結局変わることはできなかった。それだけ楔は深く食い込んでいる。

――私は……ずっとこのままなの……。

 ヒロミは愛おしそうに、救いを求めるかのようにその指輪を甘噛みした。過去の思い出を噛みしめた後、その指輪を鞄の小さな内ポケットにしまった。

 

「いや~昨日は色々とあったね~」

「そうだな、色々とあったよ、お前のおかげでな!」

 白々しく話しかけてくるタクミに目を合わさずヤマトは刺々しく突き放すような声が放課後の教室に響く。

 昨日の帰り、ヤマトは散々な目に遭っていた。

 体調が悪くなったタクミを家まで付き添ったのだが、自分一人では歩くこともできず肩を貸して歩かされた。電車は運転を再開しており乗ることはできたのだが車内は満員で押しつぶされそうな思いをした。それが原因でタクミの体調はさらに悪化した。

 降りた後、道中どうしても動けなくなり公園のベンチや階段に座り込んで休憩しながらタクミの家まで送り届けた。

 タクミの家からヤマトの家まで距離がありバスを使って帰ることもできたが貧乏性のヤマトはそれをよしとせず結局歩いて帰ったのだ。

 家に着く頃にはすでに日は落ちていた。

 しかも、今日になっても体調が優れなかったタクミは午前中の授業はおろか午後の授業も参加しなかった。にも関わらず放課後にノコノコとやってきた。タクミのその行動に怒りを通り越して呆れてしまう。

「来て早々に体調崩して三件目も回れず帰る羽目になって、肩まで貸して付き添い、おまけに今日一日休みかと思えば放課後だけ来るって、何しに来たんだよお前?」

「その件については悪いと思っているよ。さすがにあれだけ迷惑掛けて文化祭の仕事もサボるっていうのはさすがに立つ瀬がないだろ」

「まったく、そう思ってもらわないと困る」

「でも少しは感謝して欲しい部分もあるんだけどな」

 ニタニタと意地悪な猫のような笑みを見せながら話すタクミに怪訝な目でヤマトは睨む。

「何に対して感謝しなければいけないんだよ」 

「一件目はヒロミさんと二人っきりになれたんだろ?どうだったんだよ」

「どうって……なんだよ?」

「どんな雰囲気だったかって聞いてるんだよ!そもそもお前……ちゃんとヒロミさんとおしゃべりできたのかよ?」

「まあ、ちょっとした世間話を少しだけならね」

「へぇ、例えば?」

 ヤマトは窓から秋空を目にやりながら少し逡巡して口を開いた。

「……ミルクレープが好きなんだと」

「あっ、そうなんだ。そういえば前の会議でもミルクレープはどうかって言ってたな。作ってあげるの?」

「まさか、そんなはずない」

「そっか、でも作ったらヒロミさん喜ぶかもしれないぞ」

 少し挑発的な言い方をしてもヤマトは無言のままだ。目線もタクミに向くことはない。

「まあ、何もしてこなかった時に比べたら文化祭実行員になっただけ前進したと言えるか」

 ヤマトは何も反論できなかった。引っかかる物言いだが図星だったからだ。

 他のを作るのはまだいい。けれど、ヒロミのためといえども、ミルクレープを作る勇気はまだなかった。過去を掘り返すようでまだそれが怖かった。思い返したくなかった。

「それよりも、生徒会室行こうぜ。何作るか決めなくちゃな」

「そうだな」

「ところでよぉ、ヒロミさんは?」

「今着替えているよ。6限目の体育の授業が遅れて体操服のままホームルームやってたから」


 じゃあ、カーテン開けるね、とクラスメイトの女子生徒の声が聞こえた途端、窓から涼秋を感じさせる風が教室を駆け抜ける。机の上に広げた青いフラットファイルに挟まっている資料がパタパタと揺る。

 運動した後の熱を持った身体には心地好く、ヒロミは思わず作業の手を止めそうになるも、そんなことに浸るのは後回しだ。ヒロミは捜し物を見付けるにために鞄の奥の方に手を突んでいた。

「あっ、ここに挟まってた」

 手を引き抜くと、前日の自習の後に集めた文化祭の資料を掴んでいた。

 どうしてファイルに挟まっていなかったのだろう。何かの拍子でファイルから出てしまったのか、それとも整理が苦手なのか……色々考えたがおそらく後者だろう。そんな自分に嫌気を感じながら少しクシャクシャに折れ曲がった端の部分を綺麗に整うように伸ばすとその資料をファイルに挟んだ。

 そして、体操着の入った袋を鞄の中に入れようとしたとき、鞄の内ポケットに目が留まった。

 ヒロミは自然とそのポケットに手を伸ばし指輪を手に取る。それを見た刹那、過去の記憶の甘い光景が蘇る。少しの間だけ現実から目をそらし、優しさに包まれたかった。一日の疲れを癒やされたいと思うと、いけないと分かっていても、左手の薬指へと通していく。

「もう閉めるよ、ヒロミさん」

 突如、後ろからクラスメイトに声を掛けられ飛び上がりそうになりながらも左手をもう片方の手で覆い隠す。

「どうしたの、もう出るよね?」

「い、いえなんでも。すぐ片付けますから!」

 ヒロミは机の上に広がったファイルや体操着の袋を乱雑に鞄へと押しやり無人の教室を後にした。

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