第2話 “永遠”を取り戻そうとする少年
あれは笑えたな、と言い肩を叩く腐れ縁を睥睨し手を払う。
「笑うな」
「いや、だってっさ。ホームルームでの慌てっぷりといったら」
腹を抱えながら呵々と笑うタクミにヤマトは数分前に起こった出来事を思い出し、気分が凹んでいた。
「しかたないだろ。ヒロミさんが急に文化祭実行委員になったから一言、って言われてもこっちは何も用意してないんだから!」
「まあ、あれはヒロミさんも悪かったな。ちゃんと本人も謝ってただろ」
ヤマトの慌てっぷりに気付いたのか、ホームルームの後にヒロミは何度も謝罪の言葉を口にした。悪気はなく、よかれと思ってしているのだろうが……。
「ヒロミさん、意外と抜けてるところあるからな~。さっきも別の教室に忘れ物したから先に生徒会室に行っておいてくれって言ってたし」
6限目で理科室に忘れ物をしたらしくタクミに部屋のカギを託して取りに行ってしまった。二人で先に生徒会室に行き、こうしてヒロミが来るのを待っている。
「ヒロミさんがあんな人だとは思わなかったよ。もっとしっかりしてる人だと思ってたんだけど」
「でも、そこにギャップがあって人気らしいぜ。早く告らないと誰かに先超されちまうぞ」
横柄な言い回しをしながらタクミは大股でだらしなく椅子に座る。
「そうかよ。……で、お前もその誰かの内の一人なのか?」
どんな反応が返ってくるかと楽しみしていると、タクミは腕を組みをし、しばし逡巡してから、
「うーん……いや、ないな」
「じゃあ、どうして即答しないんだよ」
「最初の出会った頃は気にはなってたけど、一緒に仕事していくうちになんか段々違うなーって思って」
「違う?」
「どこか別の誰かのことを考えてるような、そんな感じかな。脈はないなってわかったからとっくに諦めたよ。事実、知り合いの5人が告白したが全員見事にフラれた」
止めとけって言ったのに、と言葉を付け加える。
「でも誰かと付き合ってるってわけじゃないんだろ」
「そうなんだよ!もったいないだろ。あんな美人!短い学園生活なんだ、恋人作って愉しく過ごしたいと思わないのかなぁ」
そう思ってるのはお前だけだ、と言おうとしたが口ごもる。なら自分はどうだろうと考えてしまった。自分を変えるためにこの仕事を引き受けたんだ。過去を忘れるために。タクミやその他の人に関しても変わるために行動しているのであれば強く言える立場では無いのかもしれない。
「すみません、遅れてしまって」
入り口からヒロミの慌てた声がして二人はそちらへ視線を向ける。
「おっす、ヒロミさん。忘れ物は見つかった?」
ええ、と息を整えながらヤマトの対面に座る。そして手に持っていた青色のファイルを机に置いた。ヤマトはそれが昨日見かけたファイルだと気付いた。
「忘れ物ってこれ?」
「ちょっとだけ理科の授業中に中身の整理をしていて。先生が実験のために少し席を外していたのでその時に」
「ヒロミさんって意外とヤンキーだねぇ」
タクミが彼女の行いを賞賛するかのように口笛を吹く。
「そんなことありません。あの時間は自由時間で特にすることはありませんでしたし、授業の妨げになるようなこともしてませんよ」
ヒロミはファイルを開くと昨日見かけていないチラシが何枚も挟まれていた。どのチラシにもスイーツの写真が載っていた。
「ネットで有名なお店のものを私なりに調べて印刷してきたんです。どんなスイーツを作るかの参考のために持ってきました」
「おお、ありがとうヒロミさん。気が利くね!俺も家にある雑誌とか持ってきたらよかったよ」
ヒロミがチラシを机に広げる。するとヤマトの目に一枚のチラシを目にしてしまった。瞬間、“あの時”の記憶が溢れだし慌てて目を背け足下を見詰める。他の何でも作るから、これだけは選ばれないでくれ、とヤマトは独り願った。
「ミルクレープはどうでしょう」
ヒロミの一声が生徒会室に響く。
コンテストで何を作るかを決める会議は難航していた。ショートケーキのようなメジャーなものだと他のクラスと被る可能性があったので却下され、シュークリームやミルフィーユも案としてあったが難易度が高く、本番で失敗したら目も当てられないし、クラスごとに予算も決まっているので豪華過ぎるものも作れない。話は前に進まずなかなか決まらないでいた。
そんな中で出てきたヒロミの発言だった。
手に持つチラシにはイチゴやキウイ、バナナがサンドされた鮮やかな色彩のミルクレープが載っていた。“薄焼きの生地にジューシーで甘酸っぱいフルーツたっぷりなミルクレープ!”との謳い文句。スイーツ好きの者からしたら思わずうっとり見とれてしまうだろう。
だが、ヤマトはそれを見た瞬間、心臓がねじられたかのように苦しくなった。
「……ッ」
苦虫を噛み潰したような表情で視線を逸らした。
「あっ、あの……ヤマトさん?」
ヤマトの顔は血の気が引いたように顔が強張る。周りの音はヤマトの耳に入ってこない。口の中が渇き、喉が異物を通るかのように疼く。
ヤマトの心は中学生の時に戻されていた。
――お願い、もう関わらないで。そんなもの……受け取れない。
変わりに大きくなっていくのは”彼女”の言葉。脳内に響く呪いに似たそれは何度も反芻する。ようやく日常生活ができるようになるまで遠ざけることができたのに。口の中が乾いていき吐き気も感じる。
ヒロミに見られないよう背を向きとっさにポケットから小瓶のようなものを取り出しそこから二粒ほど掴むと強引に口に含む。
「おい、ヤマト?」
タクミに肩を揺らされようやく現実に戻された。嘔吐きは少しずつ引いていき小瓶をポケットにしまう。
「……ああ……いや、ミルクレープはやめておこう」
「ダメ……なのですか?」
「その……色々と手間がかかるから、あんまりおすすめできない。だから、止めておこう」
そうですか、とヒロミはか細く呟き項垂れる。
「そういえば、特にあれだけがそうだったな……」
靴先を見詰めるヤマトに訳を察してタクミは小声で耳打ちした。
ケーキやドーナツとかは苦手程度の感覚なのだが、ヤマトにとってミルクレープだけはまともに見ることすらできない深く結びつきのあるものだった。
タクミは堅い表情で、ヤマトは痛みをこらえるような瞳のまま俯いていた。そんな二人を怪訝な目でヒロミは見詰める。その視線にヤマトは気づいてはいたが、ヒロミの方に目を向けることはできなかった。
「そ、そういえばさ。何を作るかって今決めないといけないことなの?」
タクミが慌てた素振りで違う話題を提示した。この硬質な空気を変えようとしてくれたのだろう。
「食べ物関係は学校側に申請するための書類を作成しなくてはいけないので、早めに……できれば再来週までに決めなければいけないんです。急かしてしまって申し訳ないのですが……」
軽い戸惑いの表情を浮かべつつも質問に対して返答してくれた。
わずかの時間だったが二人には背を向け、見られないように息を整えることでなんとか心を落ち着かせることができヤマトは二人へと振り向く。
「ゆっくりは考えられないか……」
「どうしましょう……」
再来週まで、ということなら来週ぐらいまでに作るスイーツを決めてアレンジや諸々を考え書類を作成して……と考えると時間はわずかだと考えた方が佳いだろう。
暫し沈黙が続いた後、あっそうだ!と天啓を得たような顔つきでタクミは言葉を発した。
「次の日曜日に三人でスイーツ巡りしない?」
いまいち意味を理解できていないという表情のヒロミとヤマトは不審な目を向けた。
「……なんでだよ」
「いろんなお店に行ってどんなスイーツがあるか勉強するんだよ。百聞は一見にしかずっていうし。ヤマトの実家でも扱ってないスイーツもあるだろ?」
「まあ、家はショートケーキとか、普通のしか扱ってない……」
「ここで考えてもいい案がでない。なら外に出かけて、実際に美味しいスイーツを食べたら名案が浮かぶかもしれないだろ!」
大げさに手を広げ軽妙に振る舞う姿にヤマトは冷静に物事を判断していた。
「それ、お前がただスイーツ食べたいだけじゃないのか?」
「いやいや、まさかそんな」
わざとらしく嘲るタクミの身振り手振りに本心を見抜き呆れてヤマトは嘆息を漏らす。
すると、ヒロミがばつの悪そうな叱られる前の子供の表情で小さく手を挙げる。
「あの……私もタクミくんの意見に賛成です。今のままでは話が前に進まないでしょうし……」
「そうそう、甘いもの食べてたらそこから着想を得られるかもしれないだろ。だからなっ、ヤマト!」
二人がヤマトに送る視線は腹を空かせ、ご主人からの餌を待つ子犬のようだった。
事実ここでいくら議論してもアイデアは浮かんでこないだうと感じていた。観念したヤマトは大きなため息を吐いて頷いた。
「わかったよ……今度の日曜日だな」
ヤマトは不機嫌そうに返事する。その反応に純粋に喜びを讃えるタクミと少し申し訳なさそうなヒロミ。
「あの……本当にいいのですか?」
「アイデアを出せていない僕も悪いし。ここで中途半端に決めてコンテストに勝てなかったら意味がない。ヒロミさんは勝ちたいんでしょ?なら……行くべきだよ」
最後の方は力なく言い切るもヒロミは上品にお辞儀した。
「ありがとうございます、ヤマトくん」
ヒロミの微笑むさまに気恥ずかしくなってしまい視線をそらし頬をポリポリとかく。
「お店選びは任せるけど、ケチるなよ」
肘でつつきながらタクミは念押しする。
「注文の多いやつだな」
タクミの冗談に付き合うつもりもなく軽くあしらう。
「よし、今日が金曜日だから明後日だな。11時に駅前の時計塔に集合ってことで!」
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