第40話
「どこに向かってるんですか?」
街を疾走するエンキアンサスに担がれているオダマキは行き先を聞く。
「合流先だ。私たちは“裏切者”だから表立って本部に帰れないからな」
エンキアンサスはそう言いながら脇に抱えているカルミアの首に視線を向ける。
視線を注がれていることに気がついた彼女は虚な瞳をエンキアンサスへと向け、口をぱくぱくと動かした。
「帰ればまた喋れる。それまでは寝てな」
彼女の言葉を聞くとカルミアは大きく目を見開き、慌ただしく口を動かし始めた。
だが、いくら動かしても頭だけの彼女の声はならず、しばらくすると、諦めたように瞳を閉じた。
その様子を見たエンキアンサスは目元が僅かに和らぎ、その後、抱えているオダマキへと声をかけた。
「元気か?」
「ちょっと酔ったかもしれないです……」
前が見えない状態のオダマキは青白い顔で口元を手で抑えながら答えると、エンキアンサスの忍び笑う声が風に乗って聞こえた。
「何が可笑しいんですか?」
「三半規管が弱いとは意外だからな」
オダマキはエンキアンサスに自身の弱点を知られたような、気まずさを感じたが、瑣末なことだと思い込むことにした。
それからすぐ、彼女はいつまでこの状態かと聞こうかと思った時、一軒の家屋の前で突然下ろされた。
「到着だ」
エンキアンサスは罠の有無などを確認せずにドアノブを捻り、扉を開けた。オダマキは彼女に付いて行って屋内に足を踏み入れた。中も平凡なリビングそのままだった。
カルミアの首をソファに安置し、ポケットから割れた懐中時計を取り出して時間を確認したエンキアンサスは「早すぎたか」と呟きながら机に視線を向ける。机の上にはクッキーが置かれており、彼女の目に止まった。
オダマキも同じくクッキーに気が付き、警戒の念も込めて彼女を見ながら口を開く。
「大佐、さすがに──」
「ここに置いてある食べ物は全部、花人も食べられる規格だ。それに、栄養が取れる時に摂取するべきなのは変わらないんじゃないか?」
マスクを外し、裂けた口で笑いながらエンキアンサスはクッキーを目の前で齧った。
「イギリスのいい所は紅茶に関する食が美味い所だな」
あっという間に一個を平らげながら満足げに頷き、もう一枚を手に取ってオダマキへと差し出しながら「食べるか?」と誘った。
だが、オダマキは首を僅かに横に振ってそれを拒んだ。
「そうか。残念だ。美味いのにな」
エンキアンサスは先程の淑やかな齧り方ではなく、豪快に食らった。その時、ドアをノックする音が聞こえた。
二人は顔色を変え、オダマキは拳銃を手にして玄関から死角の場所へと張り付き、エンキアンサスはカルミアの首を持ってソファの陰へと隠れた。
「オダマキ、ロックはかかってない。気を付けろ」
「了解」
動作確認を済ませ、合流地点で待機していると、入り口の扉がきしむ音を上げながら居間へ長い人影が一つ映った。
「誰だ」
オダマキはすかさず声をかけるが、人影は無視して静かにコツンコツンと靴音をたてながら近づいてくる。
「それ以上近付くな。止まれ」
人影が尚も前進を続け、身体が居間へと入った瞬間、オダマキは銃口の狙いを身長から推測した頭部へと向けた。
「敵じゃないです。案内人です」
現れた人影の正体は雑面と白い着物を着たヤエの配下である“人形”の一人だった。
正体がわかったオダマキは拳銃を下ろし、2歩下がると、エンキアンサスもソファの陰から姿を現し、構えていたサブマシンガンを下ろした。
「名前は──えーっと、なんで読むんだ?」
「木蓮です。あ、ちなみに私は人間です」
大きく“木蓮”と書かれた雑面を揺らしながら両手を軽く上げ、最後に首を軽く傾げた。それからすぐに三人を確認すると、間髪入れずに問いかける。
「準備はよろしいですか? 地下経由で向かいます」
彼女の問いかけに対し、二人は無言で頷いた。
「承知しました。それでは、足元を失礼」
木蓮はそう言いながら居間へと歩み寄り、カルミアの首が安置されていたソファを退かすと、白で統一されたフローリングに似合わない鉄製のハッチが顔を出した。
すかさずハッチを開き、顔を上げて入るように促す。
「先刻の下水道と違い、専用通路ですので臭いはありませんよ」
「なっ」「……」
木蓮の冗談に二人は苦笑しながら梯子を下り始め、彼女が最後に下りてしばらくするとハッチが一人でに閉鎖された。
梯子を下りきると、木蓮の言った通り、簡素だが清潔感のある一方通行の道が奥へと続いており、最後に下りてきた木蓮を先頭に三人は歩き始める。
「この通路やセーフハウスが存在している理由は?」
ふと、オダマキは疑問に思って質問した。
「有事の際に要人を逃すためだ。つまり、本来とは逆の使い方ってわけだ」
エンキアンサスの答えに先頭の木蓮も肯定し、話題が尽きていると今度は彼女からオダマキへ質問された。
「なあ、年いくつだ?」
突然の問いにオダマキは立ち止まり、顔をじっと見る。
「エンキ様、さすがに同性とはいえ……」木蓮も明らかに非難するような口でエンキアンサスを凝視していた。
「そういう意味で聞いてるんじゃない。Ⅳ型なら25までは生きられる。そしてデータベースだとお前は21で登録されているが、さっきの下水でもうすぐ死ぬと言った。その矛盾を聞きたいだけだ」
彼女の真意を聞いてもオダマキは黙り続け、やがてエンキアンサスから「話したくないなら話さなくていい」とぶっきらぼうに終わらせた。
それからしばらく通路を歩き続けると行き止まりに着いた。
木蓮は壁を三回ノックした。すると壁が静かに開き、逆光で二人は一瞬目が眩んだ。
「お疲れ様です」
「職務ですから」
壁の向こうにいた職員らしき女性と木蓮のやり取りを聞いたオダマキはその声に息を呑んだ。やがて目が慣れ、ぼんやりとした輪郭がはっきりと見える頃にはその顔には明るさを取り戻して近づいた。
「スイセン!」
オダマキは危篤とされていた部下の何ら変わらない様子に喜び、彼女の名を呼びながら片手で抱擁する。
「ずっと心配だった……ありがとう」
「隊長……リコリス・スイセン准尉、帰還いたしました」
抱き付かれたスイセンも抱き返し、それから半歩下がって敬礼をし自身の帰還を報告する。
「私と違って変わりなく、安心したよ──待った。准尉だって?」
部下の突然の昇進に驚いていると、背後からエンキアンサスに押されて歩くよう促される。
「ココでの立ち話もアレだ。基地案内とそいつのリハビリも兼ねて歩け」
「それではこちらへ」
彼女の提案にすかさずスイセンは壁際に掛けていた杖を取って歩き始め、オダマキも歩幅を合わせて付いて行った。
離れて行く二人を見送りながらエンキアンサスはその場に同じく残っていた木蓮を率いて逆方向へと向かう。
「そう言えば身体の方は?」
「山茶花に回収を命じました」
「ここにあるか?」
エンキアンサスの問いに頷くと、脇に抱えていたカルミアの首を差し出した。
首を差し出された木蓮は一拍遅れてそれを受け取り、パチンッと音を鳴らすとどこおからともなく山茶花が姿を現す。
「縫い付けてチョーカーで固定してあげてください」
彼女にそう言って渡すと受け取った山茶花はすぐに消え、再び二人だけとなった。
「隊長は?」
エンキアンサスたちは目的地へと向かいながら、思い出したように木蓮に所在を聞く。
「ハナモモ隊長は事情聴取のため、正規軍臨時司令部へ向かいました」
「他のメンバーは?」
「マグノリア様とヤエ様が現在前線へと移動中。コデマリ様がウィンチェスターでの防衛に就いておりますが、時間の問題かと」
戦況を聞きながら彼女の拳を握る力は増し、ミシ、と音を立てた。だが、続けて状況を報告するよう促す。
「残存兵力は?」
「負傷者は多数、死者は少ないです。寧ろ、弾薬の方がまずいです」
「ふうむ…あと何回までなら防衛線を構築できる?」
「徹底抗戦と民間人の完全避難のどちらかを取るかによりますが、どちらも選択する際、ブリッジウォーター手前が陥落すれば固定砲台と化している軍艦たちの艦砲射撃による援護も無くなるため、そこまでが限界かと」
木蓮の冷静な分析を聞いているうちに二人は目的地である臨時指揮所の前に到着し、扉を開けて入室すると警報とオペレーターと無線の怒号が飛び交っていた。
「ブリストル市内に『植物』侵入!」
「アンドーバー地点との通信途絶!」
「
《こちらウォーミンスター防衛地点!敵の進撃は止まるどころか自爆型とみられる新型が押し寄せて来てクレイモアたちが意味を成しません!》
「〈花守人〉はどうしている?」
エンキアンサスは近くのオペレーターに質問すると、話しかけられた男はしばらく無線の周波数をいじり、ヘッドホンを片耳から離して報告した。
「アンドーバー陥落を聞き、付近で戦闘中だったコデマリ少佐が急行しました。QRF到着まで応戦中とのことです」
「マグノリアは? ヤエはもう着いたか?」
「分かりません」
もどかしさで彼女は顔を歪め、その顔を見たオペレーターは怯え、エンキアンサスは無言で壁際に立っていた木蓮へ近寄る。
「お前の仲間はどうしている?」
「主人様の命で現在は各防衛戦にて応戦中です。現在のところ死者は確認されておりません」
「そうか。───ところで、指揮の能力はあるか?」
先程までの悪鬼のような表情と打って変わり、彼女は木蓮に何かを企んでいるような笑みを浮かべて質問した。
「一応は出来ますが、エンキアンサス様ほどではございません」
「出来るってことだな?」
エンキアンサスの念押しに木蓮は頷く。すると彼女は現場指揮の最高権を示す青色の腕章を投げ渡して部屋から出て行こうとした瞬間、それを阻むようにぞろぞろと武装した兵士たちが入ってきた。
「誰だ? 急いでるんだ。どけ」
エンキアンサスは行く手を阻まれ、苛立ちを露わにして目の前に立つ赤いベレー帽を被った男に低い声で脅した。だが、男は怯むことなく機械的に腰元のホルスターから拳銃を抜いて彼女の額に突き付けた。
「ここにいる全員動くな! 貴様らには反逆の嫌疑が懸けられている」
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