第30話
「大丈夫ですよね? 不安です」
「カルミアちゃんはいつも心配性ね。信じて待つことも大事よ」
椅子に腰掛けるハナモモは隣で落ち着きのないカルミアの頭を優しく撫でながら話す。
「信じて待つ……でも、誰も戻ってこないことがもう怖いんです」
膝の上に置いていた手を握りしめながら彼女はベッドの上でシーツをかけられたまま動かない小さな山を見ながらそう呟く。
「ハナモモさんは怖くないんですか?」
「ええ....私も怖いわ。でも、私はある感情がそれを上回っていて大丈夫なの」
ハナモモの言っている意味が分からないカルミアは首を傾げる。すると彼女は花が咲いたように笑い、指先を自身の口元へ運びながらその感情の名を口にした。
「恋、よ」
「こい?」
「そう。恋は盲目って言うでしょ? それに、愛は勝つとも。なら、死ぬなんてことは絶対にないと信じられるの」
恍惚とも、狂信的な表情を浮かべながら艶やかな声で話すハナモモは視線を天井へと向けていると、もう慣れてしまった銃声が鳴り響く。しかし、今度は重なった銃声で一つはかなり近かった。
即座に彼女は近くのローテーブルに置いていた拳銃を手に取り、真剣な表情でカルミアへ話しかける。
「カルミアちゃん、いざとなったらあの窓から逃げて」
「ハナモモさんは?」
当然の問いかけへハナモモは自分の両足を指差し、壁に寄りかかりながら立ち上がる。
「私は動けない。でも、時間稼ぎぐらいはできる」
その意味を察したカルミアは顔を強張らせながらも頷き、ベッドの影に隠れているとドアが勢いよく開かれ、ドタドタと慌ただしい足音が入ってきた。
「誰?」
人影が見えたら即座に撃てるよう構えながらハナモモは入り口へ質問を投げかける。
「俺だ。アダムだ。マズイぞ正規軍の奴らがスイセンと他二人を撃ち殺しやがった!」
右腕を抑えながらアダムは切羽詰まった声で二人の前に姿を現し、ハナモモは持っていた拳銃を取り落とした。
「うそ……」
「とにかく、ここから───そこの山はなんだ?」
彼は不審に思う視線をベッドの方へ向ける。
「シオンさんです。外に寝かせ続けるのも、寒いだろうと思って……」
瞳を伏せながらそう話すカルミアはその場に崩れ落ちているハナモモの元へ駆け寄った。
「ありがとう。でも、信じられないわ…あの奪還戦を生き延びた部隊が全滅だなんて…」
支えられて立ち上がった彼女は未だに現実を受け入れられず、血の気がない顔で呟き続け、アダムは二人へ同情の目を向けながら外を伺い見る。
廊下には誰もおらず、銃声も絶えていた。
「今のうちに脱出しよう。東階段からなら行けるはずだ」
「そうですね。行きましょう、ハナモモさん」
ハナモモと二人三脚で部屋からカルミアは出る。その背後でアダムは冷めきった表情で拳銃の狙いを二人へと向け、引き金を引く。
一発の銃声が鳴り、遅れて拳銃が落下した音と共に苦悶する声があがる。
「な、どうやって気付いた!?」
血が滴る左肩を抑えながらアダムは狼狽の声を漏らす。
「違和感はホールからです。でも、確証が無かったからこそ、今この時まで行動に移せなかったんですよ。少佐」
部屋の扉の前で、硝煙が微かに昇る拳銃を構えるカルミアの表情は冴えており、その眼は復讐心に燃えていた。
「ホールから? ハッタリもほどほどにしておきな先生」
「私は
拳銃のグリップを握り直しながらカルミアは静かに誤りを訂正する。
アダムはベッドに腰掛け、つまらなさそうな顔でそれを聞きながら銃口を睨みつけた。
「それで? 仮にホールからならその疑問と確信に至るまでの経緯を教えてくれよ」
「まずはホールでの事です。私とスイセンさんが来た時、既に避難は終えていると言いましたね」
「ああ。言った」
「そこから既に嘘だと思いました」
あまりにも早すぎる看破にアダムは思わず立ち上がり、カルミアを指差して糾弾する。
「嘘だ!」
「いいえ。皆さんには伝えていなかったのですが、私には少し違う世界が私の眼には映っているんです」
エメラルドグリーンの右目を指差しながら彼女は話を続ける。
「どんな風に見えるかは言えないんですけど、ある方向を向いた時に見つけたんです。一つの場所に遺棄されているおびただしい量の死体に」
「それだけならテロリスト共の仕業だと思わないのか? 避難した後に運悪く見つかってしまったからかもしれない」
「それも考えました。出席者の中には年を取っているとはいえ、戦争帰りの将校もいます。だからテロリストなどの相手は本能で察知したり警戒するはずなんです。しかし、うつぶせに倒れていたことから背後からの一撃によって絶命。つまり同僚か親しい人間の可能性が出ました。そして決め手はその袖元に付けていたインカムです」
アダムは慌てて左袖から飛び出していたインカムを隠したが、もう遅いと分かりきっていたので顔は薄ら笑みが浮かんでいた。
「ハナモモさんが異形と戦っているときも、ヤエさんの部下が姿を消したときも左手は一定間隔で拳を軽く握りしめる動作を連続で二回してました。最初は緊張感で落ち着かないのかと思っていましたが、心配の声をハナモモさんへかけながらもしていたのを見て誰かへ連絡を取っているのではないかと言う疑問へ変わりました」
「驚いた。だが、無線は持っていないから緊張から生じるクセだと考えるのが普通じゃないか?」
「スイセンさんへ無線が無いと仄めかしていた時、あなたは左袖を隠してたんです。多分無意識だったんじゃないんですか?
そこまで言い切るとカルミアは息を吐き、改めて拳銃の狙いを定めながらアダムを見ると彼は呆気に取られていたが、やがてクククと笑い声が漏れ聞こえる。
「ああ、ああ! 全くもって素晴らしい推察だ! 一部は間違っているが粗方合っている。終戦後は推理作家か探偵になると良いよ」
「考えておきます。では、このまま憲兵の元まで連行しても良いですね?」
「それは困る。彼は僕らの客だからね」
音もなく、カルミアとアダムの間に男は立ちながらそう話した。
短い髪を揺らしながら、男はカルミアへ微笑みかけ、その直後に世界が上下反転する。
その一瞬、何が起きたか分からなかった彼女は反応が遅れ、気付いた時には床の上に寝かされていた。
「カルミアちゃん!」
「っ────!?」
名前を呼ばれ、上下が入れ替わった世界を見ていたカルミアは投げられたのだと理解した。だが、理解しただけであり、投げられた衝撃で肺が潰されたらしく呼吸が上手く出来ない彼女は反撃を試みることは出来なかった。
「だ、誰だ? まさか迎えか?───うっ」
「そうそう。だから大人しくしてて」
男は慌てるアダムの脇腹へ拳を叩き込み、気絶させてから荷物のように彼を背負って開けっ放しの窓へ歩いていると呻き声が聞こえる。
「ま、待て……」
カルミアは折れていない右手を男へ伸ばすと彼は立ち止まって彼女を一瞥し小さく何かを言うと窓から飛び降りた。男は黒い短髪をなびかせ、彼女の鼻に男物の香水の匂いを部屋に残していった。
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