第29話
「しっかりしろ! 起きるのじゃ!」
赤い絨毯の中心部で倒れているシオンを揺さぶりながらヤエは焦りを顔に出して叫び続ける。しかし、彼女は目を開かない。
「どこじゃ。どこを撃たれた! ”核”は無事のはずじゃ!」
左胸に浮かんでいた赤いシミを見て一抹の不安は確信へと変わり、生存は絶望的だとヤエは知った。
「主は……人間だったのか」
目を閉じたシオンは何も言わず、逆にその沈黙は彼女の胸を痛いほどに絞め、頬を大粒の涙が二つ三つと零れてシオンの顔や赤いドレスに落下し、生地に吸収される。
それからすぐに涙を拭い、感情を殺したヤエは彼女の遺体へ小さな傷をつけた。
「許せ」
簡潔に述べ、その傷口へ口を付けて吸血する。
瞬間、ヤエの脳内に様々な情景が浮かんでは消えを繰り返し、気が付けば巨大な図書館のような廃墟のど真ん中に立っていた。
「記憶の破損は既に始まっておる。急ぐのじゃ」
一人呟きながら走って最奥へ向かい、今日の日付が書かれている本を手に取って最後のページを開く。
開かれたページには見開き二ページにわたって黒ずくめの男とそれに花瓶をぶつけるシオンの描写、そして一言二言が記述された図鑑のようになっており、ヤエは少し感心した。
「記憶力は良い方で助かった」
瞬時にそれらを記憶し、ページをさかのぼると彼女は”隊員”のアキノと会い、そしてアキノはカンパニュラへと変貌し、さらに仕立て屋の店主らしき老人も姿を現したという記述と絵を見つけて表情は強張った。
老人の顔の描写を見てヤエは苦々しい表情を浮かべると同時に大きな振動と共に図書館が崩れ始めた。
「いかん。他に何か有益な情報は───」
とっさに近くの棚から一冊の本を取り、中を開いて彼女は息を呑んだ。
それは全てのページが真っ黒に塗りつぶされた本だった。
本来、記憶が抜け落ちていたりすればそれは何も書かれておらず、断片的であればあるほどぼやけた輪郭のようなのがあるがそれもなく、一面が黒に塗りつぶされていた。
「どういう……ことじゃ」
その直後に黒いページは生き物のように蠢いたかと思えば左へ一斉に移動する。その最中に花弁を飛ばしたりしていき、一枚がページから飛び出してヤエの頬へ触れる。
その直後に彼女は現実へと引き戻され、目を覚ます。
起き上がり、寝ているシオンを見るが相変わらず動かず、自身の両手にこびり付いた錆色の血を見て現実なのだとヤエは思い知らされた。
それから彼女は遺体を抱えて立ち上がる。
「共に行こう」
黒い服装の死体が複数体転がっている廊下を静かに歩く彼女はいつもの本心が分からぬ薄ら笑みに陰りが差す顔でいた。
廊下を進んでいると壁際に寄りかかっていたハナモモがおり、彼女の方もヤエたちに気付いて手を振ろうとした。だが、ヤエが抱える存在を見ると、そのまま凍り付く。
「他の者たちは?」
「ちょうど奥の部屋へ引っ込んでいったところ。それよりヤエちゃん、その子って───」
「ああ。今日の主役だった一人じゃ」
あの表情のままいつもの調子で答えるヤエへハナモモは遠慮気味に「そう」と呟き、視線を逸らす。
ヤエが遺体を床に安置したと同時に、部屋からスイセンたちが出てきて遺体と対面した。
「ヤエ…さん。その子はシオン、ですよね?」
「そうじゃ。──もう息をしておらぬ」
ああ、と声を漏らしながらスイセンはその場に崩れ落ち、カルミアとアランは黙る。
「ヤエちゃん、その子はどうするつもりなの?」
「ただ彼女らに会わせたいと思っただけじゃ。他意はない」
廊下に出来ている穴から空を見ながらヤエは答える。
「──いでください」
「なんじゃ?」
「ふざけないでくださいっ!」
堪えきれず、スイセンは叫んだ。
「他意はない? この世界では身近な人の死がどれ程士気を低減させるのか知っているんじゃないんですか! あなたは自身の部下が死んで何も思わないんですか!?」
「口を慎め。スイセン」
自身を糾弾する彼女へヤエは初めて視線を向けた。その隻眼に憎悪はなく、その感情は言うなれば"無関心"だった。
「我のことをなんと言われようが構わない。だが、奴ら──
「話すなら?」
三人の男女をその瞳に反射しながらヤエは無言のままでいる。
静かな戦場で生唾を誰かが飲み込む音がした。しばらくしてからヤエはフッと笑い、左目に位置する桜の蕾を揺らしながら口を開く。
「何もない。ただ呼吸する穴が一つ増えるだけじゃ」
「いや十分に怖いです」
手応えのない冗談にヤエは首を傾げ、力なく立ち上がったハナモモへ肩を貸して立ち上がらせる。
「ヤエちゃん、出来る?」
「無論じゃ」
部屋の中にある椅子へ彼女を座らせ、ヤエは屈託のない笑みを浮かべながら部屋の外へスタスタと歩いて行った。
「んで、どうする? 負傷した〈花守人〉を守りながら正規軍が来るまでここに立て篭もるかい?」
「そうですね。ですがまずは───」
スイセンがアランの提案に乗ろうとした時、銃声が鳴り響く。
スイセンは瞬時にサブマシンガンの狙いを部屋の出口へ定め、アダムは窓際へ拳銃を構えて即座に警戒する。
「今の銃声は?」
「おそらく庭からじゃないか? まさかあの変異体が起きたのか?」
警戒は欠かさず、スイセン達は部屋の外へ出る。
「クリア。あそこの穴から外が確かめられるはずです」
「分かった。援護は任せろ」
ハナモモが吹き飛ばされて出来た穴からそっと顔を出して見下ろすと既に銃声の犯人達は去っており、空薬莢と二つの死体があった。
「なっ」
その死体を見たスイセンは僅かに声を漏らす。
(隊長、それにアヤメさん…まさか正規軍が? いや、そんなまさか……)
「とにかく、一度戻って報告をしなければ」
脳裏に焼き付いた悪夢を少しでも早く伝えようと振り返った瞬間、彼女の額にカチャリと冷たい鉄が突きつけられる。
「……なんの冗談のつもりですか?」
「冗談なんかじゃあない。これは本気さ」
額に突きつけられていた銃口から放たれた特殊弾頭はスイセンの頭蓋を貫通し、床へ弧状に液体をぶちまけ、そこに大の字で倒れた。
そのまま動かない彼女へ犯人は数発をさらに撃ち込み、それでも動かない事から死んだと判断すると自身の右腕も撃ち抜く。
「っがあああ!」
赤い血をガラスに飛び散らせ、犯人は誰もいない廊下へ弾倉を替えた拳銃を乱射しながらその場を去っていった。
「〜〜♩〜♪」
鼻唄を口ずさみながらヤエは階段を下っていると、武装した正規軍たちと遭遇する。
「なっ」
「おお、正規軍か。なら話は早い。この奥でハナモモ特務大佐とその他数名がおる。特殊医療兵たちはおるだろうな?」
話しながら先頭に立つ隊長格の肩を叩きながらヤエは人の波を割って下り、群れから離れた瞬間にその背中へ無数の銃口が突きつけられ、弾丸が放たれた。
耳をつんざくほどの騒音と、空気を切りながら迫る殺意を乗せた鉛の弾丸と特殊弾頭が自身に迫るのをヤエは気にせず歩き続ける。
そしてついに背中へ当たるかと思われた弾丸は床の上へ真っ二つとなって落下した。
「なんじゃ。まさか敵を間違えておるのではあるまい?」
空気を震わせながら、悲鳴を上げる刀身を持つ彼女は先程の笑顔とは対照的に不快感をあらわにしていた。そして鞘を押さえていた片手はいつの間にか短刀へと持ち替えて対峙する。
「その銃口を下げれば先のは不問にしようぞ。じゃが、下さなければ我は主らを殺さねばならん」
「……やれ」
隊長格の人物がただ一言だけそう言うと周囲の兵たちは引き金を引き、無数の弾幕が再び彼女へと襲いかかる。
死が目前へと迫る中、ヤエはその顔をニヤリと歪ませ、独り言を呟いた。
「やれやれ。人斬りはあまり好きではないのじゃがな」
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