第27話

 ハナモモに正式な二つ名は無い。

 主な理由は大きな戦果を挙げていないことと性格が平和主義であることから。

 しかし、守るための彼女の戦いぶりを知る〈花守人〉と当時の部隊員たちは戦うまでのトリガーと優雅に暴れるハナモモを見て非公式にこう呼んだ。

『恋慕のハナモモ』と。



 胸が熱い。この想いと滾りは実に久しぶりに感じる。身体中にみなぎる自信、想い人スイセンに見ていて欲しいという独占欲求、そして───

「だから、その恋路を邪魔するお前は生かしておけない」

 眼前の異形へ死刑宣告をしながらナイフを両手に持ち、駆け始めると異形は吠え声をあげて近くの壁を抉って握り、ハナモモへ投げつける。

「ふっ」

 笑みを零しながら飛来してきた鉄筋の混ざる塊をスライディングで避け、立ち上がって前を見ると今度はグチャグチャの遺体が目の前に迫ってきた。

 上半身を反らし、赤い血を顔に受けながら名も知らぬ彼女をしのび、即座にそれを原動力へ変換して右手に持っていたナイフを異形の顔めがけて投げる。

「ga?」

 投げられたナイフは顔へ到達する前に巨大な右手で簡単に弾かれ、煽るような笑顔を浮かべて首を傾げてきた。

「知性が無いって? 前言撤回。全然あるじゃないの!」

「gaaa!!」

 異形は近くの壁がほとんど抉りつくされていたことに気付くと右手を振り回しながら迫り、ハナモモは壁を蹴って宙へ逃げる。

「しっかしデカい───がふっ!?」

 宙へ逃げ、残ったナイフを逆手に持って突進してくるその肩へ刺そうとしたハナモモの左腹部へ大きな衝撃が走り、そのまま通路右側の壁に叩きつけられた。

「hu……huu…」

 額がパックリと割れ、そこから緑色の苔を生やした生気のない表情で男は涎を垂れ流しながら荒い息を漏らす異形は叩き落した彼女へ追い打ちをかけようと右手を自身へ寄せ、瓦礫の山へ渾身の一撃をふるう。

 ズシンと衝撃を響かせ、床を貫通した右手を引っこ抜こうと踏ん張り、しばらく力を張ってミシミシと音を立てて右腕が抜けそうな瞬間、いとも簡単にスルリと後ろへ下がり、異形はでたらめなステップを踏んで中庭を見下ろせるガラス張りの左手通路に背中をぶつけ、ガラスにヒビを生んだ。

「最初は死ぬかと思ったけど、もっと的確に狙うべきだったわね!」

 右腕が無くなり、状況を理解していない異形へハナモモは刃こぼれのしたナイフを太腿へと突き刺した。

 グオオオオ! と叫び声をあげる異形に耳を塞ぎながら彼女は顔を歪め、なんとか最後の仕上げをしようとするも声圧と先程受けた傷の回復がまだ済んでいない身体は動けず、声が収まった頃に前を見ると異形はハナモモを見下ろしている。

「こんのお!」

 太腿に刺さるナイフへ拳を振り下ろしたダメ押しの一撃は傷口を深くすると、異形は再び咆哮を上げながら大きさの合わない両手を振りまわし、即座に距離を取って足元に転がっていた先端が鋭利なパイプを拾い上げ、異形めがけて投げた。

「gaaa!!」

「よしっ!」

投げられたパイプは異形の腹部を貫通し、苦悶する異形の心臓をガラス片で刺そうと接近した瞬間、異形はぎょろりと彼女を見据えて歪な腕でハナモモを壁に叩きつける。

「ぐっ……」

 ひしゃげた左腕をぶら下げ、ハナモモはなんとか立ち上がると再び異形は目の前に迫ってきており、がっしりと掴まれて地面から浮かぶ。

「guu…aaaa」

「殺すならさっさとしてよね。その程度の知性は───うえええ!?」

 荒い息をする異形へハナモモは煽っているとブンブンと振り回し、遠心力がかかったまま手を放されて彼女はガラスを突き破って中庭の噴水に墜落した。

「ぷはっ! いてて……こんな姿、見られたくないなあ」

 水浸しのハナモモはすぐに浮上し、半分が潰れて視界の悪くなった状態のまま自分が吹き飛ばされた場所を見ると大きな歪な影は無く、代わりに数人の人間の影がこちらへ声をかけている。

「ハナモモさん!」

「おー? 大丈夫だよ!」

 名前を呼んでくるカルミアへ手を振り、その隣で緊張した面持ちのスイセンヘウインクをすると気づいた彼女も声を張り上げる。

「大佐! !」

「後ろ? しまった!」

 慌てて立ち上がり、背後を見るとこちらへ腕を振り上げて異形はハナモモを押し潰すべく振り下ろした。

「ハナモモさん!」「大佐!」「ハナモモ!」

 水飛沫と噴水だった破片が飛び散り、三人はただ黙って拳を振り下ろしたきり沈黙する異形と彼女がいた場所を見る。

「ハナモモさん…」

「死んでおらぬぞ?」

「うわあっ!?」

 泣きそうな声で呟いたカルミアの背後からかけられた声に驚き、振り返ると濡れたハナモモを肩に背負って立つヤエがいた。

「ヤエさん!」

「数刻ぶりじゃのスイセン。パーティーは楽しん──いや、聞くのも野暮じゃ」

 そう言いながら床へ優しくハナモモを下ろし、自身が羽織っていた着物を被せると彼女は薄く目を開き、力の無い笑みを浮かべた。

「ごめんね。ヤエちゃん」

「気に病まんでも良い。どれ、目が覚めるまでに終わらせてやるから、安心して眠れ」

 腰に差す四振りの鞘は互いが当たりカタカタと無礼にも鳴らしながらヤエは中庭へと飛び降りる際、三人に「頼むぞ」と言い残して飛び降りた。

 三階ほどの高さから中庭のタイルの上へストンと軽い音を一つだけ立てて着地したヤエへ異形は最初気づかず、自身が飛び降りた場所へ戻ろうとろくに残っていない頭のリソースを割いていたが、カランコロンと彼女が歩み寄る下駄の音で初めて気づき、振り向く。

「おお、気づいたか。だが、手遅れじゃ」

 振り向いた時、笑顔を浮かべながらヤエは両手に刀を持って、そして鞘に収めようとしていた。

「gaa!!」

 再生した右腕を振り上げて彼女を叩き潰そうとした時、カチンと鯉口の音を立ててヤエは柄を鞘に収め、背中を見せる。

「勝敗は決した。散れ」

 そんなセリフを置いた直後、異形の足が初めに崩れ落ちた。

「aa?gaa!!」

 吠えながらも腕の力で這うもすぐに左腕も崩れ、残った歪な腕で飛ぼうと力んだ瞬間、それもあえなく崩れて地べたに叩きつけられた。

「gururu!aaa!」

「言ったはずじゃ。終わり、だと」

 四肢が無くなり、それでも尚戦う意思が消えない死にぞこないへ冷ややかに告げた直後、異形の左胸に短刀が深々と突き刺さる。

「皆のかたきです」

 春は雑面や服に飛び散る液に怯みもせず、単調な押し殺した声でそう言って再び短刀を傷口から離してもう一度突き刺す。

 ザクザクと突き刺されるたびに異形は吠え、身体を揺らすが春は動じず、淡々と刺しては離し、また刺してを繰り返すうちに彼女は全身に緑色の苔をたたえた生きる石像のたたずまいとなり、中庭全体にも幻想的な絵画によくある苔むした庭へと変わった。小さな膨らみを作り続ける割れた噴水と大きな直方体の物体を除いて。

「先の戦闘で何人がんだ?」

「私、桐、連絡員を務めていた山茶花さざんかのぞく全員が死にました」

「そうか。半数以上が」

 春と上から見る四人に背中を見せながらヤエは呟き、先程鞘に収めた二振りを再び抜くとあっと全員声を漏らした。

 鍔の先から刀身が無かった。正確には刀身は僅かに残っていたが、まるで獣に食い千切られた肉のような破断面となっていた。

主人あるじ様……」

「ああ、無銘の理由わけはこれじゃ。力任せに振ればこうなってしまう」

 春は自嘲したような声で説明するヤエへ声をかけたかったが口をつぐむ。「あなたはどんな時でも技を駆使し、刀を大事にする御方だったでしょう」とは言えなかった。

「春」

「こちらにいます」

 突然名を呼ばれ、即座に答えるとヤエは柄だけの鈍と空鞘を二つその場に捨てながら指示を出す。

「桐と山茶花を連れてこの館全体を捜索しろ。我は単独で調べる」

「はっ」

 姿を消し、その場に残ったヤエは中庭から空を仰ぎ見る。

「ああ、相変わらず美しいのお」

 現代的な装飾の枠組みから見える星空は街灯の妨げもなくさんさんと煌めき、その中で幾つかの星が強く光り彼女の目に留まった。

「そこにおるのか。許せとは言わない。罰はの地で受けようぞ」

 顔をゴシゴシと袖で拭いてからドアを開けて館の中へと入り、銃創と真っ赤な血飛沫がへばり付いている階段を音もなく上がって行って四人の元へ合流する。

 その途中、ヤエは穴と刀傷が絶えない部屋から飛び出す血の海に沈む見慣れた少女に気付いた。

「まさか…」

 逸る鼓動を抑えながらも歩幅は縮まり、駆け寄って仰向けの身体をひっくり返し、嫌な予感は的中してその小さくない身体を揺さぶりながら声をかける。

「嘘じゃ……起きろ。起きるのじゃ! !」

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