第15話

「なに、これ....これが私? ふざけないで!」

 アヤメは力任せに鏡へ拳を振り下ろした。

 キラキラと煌めきながら地面へと落下する鏡たちはそれでも彼女のありのままの姿を映し続け、それが余計に癪に触る。

「アヤメ落ち着いて!」

「シオン....あなたに私はどう見える? もしかして変わって見える?」

 アヤメの問いにシオンは黙り、生唾を飲み込む。

 その反応で察した彼女は自らを軽蔑したように笑い飛ばし、背部のナイフを取り出して構える。

「駄目っ!」

「何が駄目なの? シオンも薄々感じてるんじゃない? もしかしたら裏切るんじゃないかって! 彼女のように!」

 彼女という言葉が誰を指して、何故名前で呼ばないのか即座に理解したシオンはダガーを抜く手が止まり、その隙にアヤメはナイフを自身の首筋へ当て掻き切ろうとした。

 だが、その手は横から飛んできた手によって阻まれ、さらにナイフを奪われてしまう。

「誰! 邪魔しないでよ!」

「うるさい! その程度で死のうとするな!」

 カルミアの迫力のある声に二人は驚き、声を失いアヤメは大人しくする。

「ご、ごめんなさい! 偉そうなこと言って!」

 大人しくなったアヤメを見たカルミアは先程の態度が嘘のようにいつもの控えめな調子に戻り、その変わりように今度はシオンだけが絶句し、アヤメはフッと笑いながら頷いた。

「今のは私が悪かったわ。ごめん。急な出来事で頭が追いつかなかったの」

 そう言いながらシオンの方を向き、笑みをこぼす。

「隊長たちを呼んできてくれない?多分、中庭のあたりにいると思う」

「え? どうし───」

 どうして分かるの?

 その台詞は次の瞬間に聞こえた銃声と同時に聞こえた『ミント』の声に遮られ、シオンは零弍式を構える。

「銃声!? それに、近い!」

「早く行って。ここは私が何とかするから」

「無茶だよ! だって、今それを使ったらどうなるか分からないんだよ!?」

 シオンの至極真っ当な意見をアヤメは受けながらもそれを聞かなかったふりをして零参式のセレクターをいじり、棒立ちのままの彼女へ叱咤する。

「行け! 早く!」

 その声にシオンは身体を震わせ、すぐに中庭の方へ脱兎の如く走って行った。




「なるほど。だが、どのように変わったんだい?」

「それは言葉では表せないです.....でも、変わったのは見た目だけじゃない....最後のあの声.....低くて、恐ろしい声だった」

 低く恐ろしい声という断片的な情報に二人は首を傾げたがオダマキだけは心当たりがあり、同時にそれは外れていてほしい仮説が立つ。

(仮に彼女が.....彼女なら部隊として成り立たなくなるどころか精神に大きな傷を与えることになる...もし、その最悪の事態なら.....)

 私が殺す。

 無意識に零肆式を握り締めながら胸の中で固く決心していると、シオンがこちらを向く。

「あと少し。待ってて!」

「シオン!」

 シオンの進む先に突如大きな口のようなものが現れ、前を向き直した頃にはその口が彼女を飲み込もうとしていた。

「あ....」

「撃て!」

 死を悟り、無抵抗になったシオンの首根っこを掴んで自分の方へ寄せながらオダマキは叫び、それを合図に二人は集中砲火を食らわせる。

 集中砲火を食らった大きな口は声も上げずにバタンと後ろへ倒れ、シオンは青い顔をして呆然とする。

「おいおい、コイツは....」

「ええ。『花喰い』ですね。ここにまでいるとは驚きですが」

「はなくい?」

 聞き慣れない言葉にシオンは疑問に思いながらも足を進めようとし、肩をオダマキに掴まれ止められる。

「どうしてですか!? 早く行かないと!」

「植物I類『ハエトリグサ』それが正式名称。捕食対象が自身の範囲内に入るまでは不可視の状態で、間合いに来て初めてその口を広げて存在を示す。〈公国大戦〉の際、死傷者が多かった理由の一つさ」

「でも、さっき通った時は───もしかして」

 質問しようとして言葉を切り上げるとスイセンが頷き、説明の補助をする。

「ええ。知性があって目先の利益よりその後に来るであろう大物を見極めるんです」

「出来れば二度と会いたくなかったんだよなぁ....それに、ほら」

 アキノは愚痴をこぼしながら通路の先を指差すと僅かに動く何かが無数に存在していた。

「背後も駄目です。突破しかありませんね」

 零式をコッキングしながらスイセンはうっすらと目を開いて敵を見据え、三人も一斉に構えて睨み合う。

 だが、突然『ハエトリグサ』たちは意味不明な音のようなので会話を繰り広げ道を開ける。

「aa?aa!」

「karara!!」

「な、なに?」

「分からない....けど、進めって言っているように見える」

 万が一襲ってくるのに警戒しながら四人は警戒心を一切緩めず大部屋へと向かい、目的地にたどり着くと『ハエトリグサ』たちは姿を消した。

「謎.....」

「あ、シオンさん! アヤメさんは奥の部屋にいます」

 大部屋の中心部に置かれた椅子に行儀よく座っていたカルミアは彼女の姿を見ると立ち上がって駆け寄り、装飾豪華な扉を指差してまた椅子に座る。

「ボーイ?」

「バカ。受付嬢だろ」

 スイセンの言葉に反論しながら扉のノブを回そうと触れたアキノは直後に全身の毛が逆立つように感じ、思わず手を離して半歩下がった。

「どうしたんです?」

「いや、静電気が溜まってた」

 そんなに? とスイセンは不審に思いながらもアキノの額に浮かぶ冷や汗を見て騙されたふりをして彼女は胸元に吊り下げているホルスターから古式の拳銃を抜いてドアノブへ狙いを定め連射する。

「「スイセン(さん)!?」」

「ほら。開きましたよ」

 拳銃を収めながらスイセンは何食わぬ顔でドアを蹴って開き、入るように手で催促する。

 暗闇の部屋にオダマキ達は踏み込めずにどぎまきしていると声が投げかけられた。

「隊長?」

「アヤメ! 無事かい?」

 オダマキの問いにアヤメはしばらくの沈黙の後に少し上がっていた声を沈ませ、答える。

「無事....だよ」

「アヤメ、姿を見せてくれないか?」

 はっと息を呑む声と首を横に振る影が目に見え、アキノは我慢ができずに部屋へ足を踏み入れる。

「ダメ!」

「アヤメ、大丈夫。大丈夫だから」

 穏やかな声で話しかけながらさらに踏み出そうとした瞬間に枕が顔面にヒットした。

「ぶっ」

「来ないでって言ってるでしょ!?」

 顔面にヒットした枕を取っ払いながらアキノは瞬時に声が飛んできた方向へ走り、腕をパシッと掴みベッドへ押し倒す。

「離してっ! 見ないで.....」

「何をそんなに恥ずかしがってるの? 気にしないよ。私たちは」

 か細い声で抵抗しながら残った片手で顔を覆い隠すアヤメへアキノは話しかけながらその手をどかして顔を見る。

「奇麗な緑色じゃないの。イメチェンしたって思えば違和感ないわよ」

「嫌だ....見せたくないよ.....」

「みんな気にしないよ。ほらほら立ち上がって!」

 半ば強引に立ち上がらせてアキノは彼女の手を引いて部屋の外へ引っ張り出した。

「アヤメさん....」

「アヤメ.....」

 スイセンとオダマキは露わになったアヤメの全身を見て何も言えず、ただ黙って二人は頭を撫でたり手を握ったりする。

 しばらくは無言で頭を撫でられたり手を握り返したりするが、段々堪えきれなくなったのか顔が徐々に赤くなり、身体も震えていた。

「も、もうやめて......ください......お願いします.......」

 その言葉を聞いた二人は満足げに笑い、今度は髪を乱す勢いで頭を撫でる。

「わっちょっ」

「そんなに変わっていないじゃないか」

「ええ。私から見ればどこが変わったのか分かりません」

 オダマキはわざとらしく聞こえるような声で話し、スイセンもそれに応じるようにしらばっくれた。

 やり取りを聞いていたシオンはカルミアと話していたが我慢できずに彼女に飛びつく。

「ね? みんな受け入れてくれたでしょ?」

 シオンの問いかけにアヤメは答えず、不審に思って顔を見ると青ざめて泡を吹いていた。

「えええ!?」

「見事なぐらい鳩尾みぞおちに飛び込んでいたな」

「ええ。お手本にしたいぐらいです」

 慌てて揺さぶるシオンと笑いながら放置する二人を遠いところから見ていたカルミアは「辞表出そ」と決心し、アキノは苦情を浮かべていると揺さぶられていたアヤメが気を取り戻し、口を開いた。

「タスケテー」

「アヤメ! 良かった!」

「死ぬ死ぬ。マジで死ぬ」

 バンバンと背中を叩き続けられながらもアヤメを抱きしめ続けるシオンをアキノがいち早く反応して引き離す。

「むう」

「死んじゃうからそれ以上はダメ」

 和やかになった雰囲気の中、オダマキが真面目な表情で手を叩いて注目を集める。

「さあ、アヤメのお披露目も済んだことだし本来の目的である狙撃地点の確保をしよう。アキ、今まで無線は来てないのか?」

「え? ああ、今のところ全く───」

 そう言いながら胸元の無線機の出力に手をかけて見た瞬間、絶句してしまう。

「アキ?」

「周波数がズレてる....」

「なにっ」

 恐る恐る無線機の周波数を本来の数値に戻した瞬間、堰を切ったように無線は鳴き声を上げる。

《ダメです戦線維持できません!》

《アリウスとはまだ連絡がつかないのか!?》

《もう死んでるよ....いや、見捨てたのかもな》

《畜生! ジョナサンがやられた!》

《もう、嫌だ!》

《絶対に戦線を維持しろ! 負傷した花人達の回復が優先だ!》

 悲鳴と怒号そして怨嗟の声に誰一人声を発する者はおらず、ただ静かに立ち尽くしていた。

「....アキノは狙撃地点の確保を。他は旧首都へ急ぐぞ」

 オダマキの命令に五人は無言で頷き、準備を始めた時、奇妙な無線が入る。

《blossom....dolls....》

「なんだ?」

「英語?」

 疑問が浮かぶ四人とは対照的にカルミアとオダマキの顔には少し安堵の色が浮かんでいた。

 しかし、その顔色もすぐに引っ込みオダマキは装填していたアンプルを抜いて新しいのと取り替えてから持ち上げ、立ち上がる。

「それじゃあ、手筈通りに」

「任せろ!」

 装備を整え、大部屋を飛び出しアキノは一人で左手側へ、他は来た道を戻るように右手側へと走り長廊下を駆け抜ける。

「いないね」

「ええ。明言できませんが嫌な予感がします」

 ロビーへ戻るまで四人は『ミント』や『ハエトリグサ』からの襲撃が無くたどり着き、外へ出ても何もアクションが起こらず不審感を払拭せずにいると建物内部から銃声と咆哮が聞こえた。

「助けに行かないと!」

 すぐさま建物へ戻ろうと駆けだしたシオンはそのまま次の一歩を出すことなく地面に倒れ、動かなくなる。

「悪く思わないでくれ。今は一人の命に構っていられるわけじゃないんだ」

 気絶させたシオンをオダマキは抱えながら旧首都へ走り、三人も黙って付いて行く。

(死なないでくれ.....絶対に!)

 無意識に足は早まり、彼女の足跡には一滴の水滴が落ちてを繰り返し、商店街を駆け抜けていった。

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