第13話
カンパニュラは映画を観ている観客のようにその光景を見ていた。
例えるならジャンルはアクション。シーンはかつて仲間だった敵が主人公へ手を差し伸べ、主人公はその腕を振り払うというベタなシチュエーションだ。
だが、映画では描かれないようなぐらい過激に『自分』はその腕を払う。
スローモーションで落ちていく隊長の腕、おそらくは怒りで顔を歪ませている『自分』。
「もうどうしようもないのかな.....」
誰もいないシアターのシートで一人呟きながらこのつまらない
「何を言ってるのさ。ここから面白くさせるのが君の役割だよ」
「え?」
隣にはいつの間にか男が腰かけており、ポップコーンを頬張りながら目線はスクリーンに釘付けだった。
「ああ、ここのアクションシーンはいいね。カメラワークが見やすいし、どういう状況か分かりやすい」
「どういうこと? ねえ、私に何ができるっていうの?」
男は彼女の質問など意に介していないのかそのまま見続け、ついに物語はクライマックスを迎える。
主人公は仇敵と対峙し、ついにその首に手をかけまさに掻き切ろうとしたところでカシャンと音を立てて映写機は沈黙し、シアターに明かりが点いた。
「君が何もせず見るだけならこうなる。でも、行動をするなら?」
男は指をパチンと鳴らすと再び暗転し、今度は仇敵が主人公を追い詰めていた。振り下ろされた刃から主人公の相棒的人物が
「.....もう私にできることは何もない」
「それは当たり前だ。出来上がった映画にケチをつけることは出来ても内容を改変することは不可能なのだから」
「だったら私にどうしろって言うの!?」
「チケットは入場したから半券と化したけど、演目がやっている間は入退出し放題だ」
マナーに反するけどね、と付け足しながら質問に対して何一つ意味のない返答を繰り返す男にカンパニュラはしびれを切らし、弐拾年式の銃口を向ける。
「質問に答えて!」
「ほら。できた」
男は初めて彼女へ向けて笑い、そして同時にカンパニュラははっとした。
「どうして.....ここにあるの?」
「Non est impossibile credere.(信じる者に、不可能などないのだ。───『新約聖書』マルコによる福音書(マルコ伝)9章23節より)つまり、そういう事さ。それじゃあ、最低最悪の改悪を楽しみにしてるよ」
男はそう言い残し、何かを理解したようなカンパニュラを残し、シアターを去った。
「信じる者に不可能なし.....なら、今の私にできることは...」
息を吸い、目を閉じながら心に強く願うと左首筋に彼女の象徴たる花弁が浮かび上がり、開かれた双眸には決意がみなぎっていた。
オダマキは自分の左腕が切り落とされたのだと気づくのに数秒も必要とせず驚きから硬直し、やがて激痛が彼女の全身を巡り跪く。
切られた箇所を押さえ、止血しながら顔を上げると怒りに顔を歪ませた”何か”が仁王立ちでオダマキを片手で持ち上げロビーの方へ投げる。
「がっ」
「ふざけるな.....何が家族だ......寄せ集めでなんの繋がりもないクセに! お前らは馴れ合いでもしていないといけないほど低俗になったのか!」
投げられたオダマキはガラスを突き破って壁に激突し、地面に伏しているのも関係なしに”何か”は再び彼女を持ち上げ今度は地面へ背中から叩き落す。
衝撃は大理石の床を伝ってひび割れ、風が一階を疾走する。
「どうして! どうしてだ!」
しかし一回では満足のいかなかった”何か”は続いて怒りの声と共にオダマキをひたすらに打ち付け、天井や壁一面に透明な液が飛び散った。
「.....」
「ちっ! 脆いな.....」
後頭部はいつの間にかへこみ、目も虚ろなままそれでも零肆式は頑なに握り続けている彼女を見て”何か”は手を止め、悪態をつきながら背を向けロビーの方へと歩き出していく。
「....おかしい」
(さっきまであんなにうるさかった彼女がいない。まさか自我の喪失を?)
「いや、それこそあり得ないな」
そんな事をため息混じりに吐き出した時、自身が宿主のことを気にかけていることに気づいた。
「何を考えてるんだ....俺は」
ふっと笑い、首を横に振って邪念を払っていると足音が聞こえ背後を見る。
「成り損ないと言ったことは撤回だ。『花』と同等の粘り強さだ」
「褒めてもらって光栄だね」
そこには傷だらけでボロボロなオダマキが零肆式を脇に抱えて持って立っていた。
その後頭部からは液が
「だが立つのもやっとの状態で何が出来る?」
「立つことが出来れば上等さ」
言いながらオダマキは足を床へ突き刺すように踏み抜き、零肆式を構える。
「固定砲台か」
”何か”は不敵に笑いながら腕を刃へと形状を変え、動けないオダマキへ向かって地面を蹴って走り出した。
「死ね!」「それはこっちの
直後、ガクンとオダマキの身長が縮み首があった場所を”何か”の刃が空振る。
「なに!?」
「この瞬間を待っていた!」
オダマキは宙に身体を預け、引き金を引いて”何か”へ向けて無数の弾痕を作り上げた。
「がっ」
「ふっ...これで......」
大量の緑色の液を吐き出しながら動かなくなった”何か”を見ながらオダマキは大きく口を開いている深淵へ身を預けようと目を閉じ、零肆式を抱きしめる。
愛銃となるはずだった
突き刺された壁はギギギと不快な音とグチャリとグロテスクな音を立てながらやがて静止した。
「まだ.....死ぬわけにはいかない......ここで死んだら!」
ブーツ先端に隠していたナイフを出し、バヨネットと靴のナイフでザクザクと登り続け、しばらくしていると自身が落ちていた穴が段々と大きく見え始め安心する。
「あと.....少し!」
ハーネスの胸ポーチからワイヤーを引き出して投擲し、引っかかったのを確認して一瞬身体が硬直する。
(もし十分に引っかかっていなかったら今度こそ落ちるのだろうか?)
「今更それがなんだ! また登ってやる!」
オダマキは不安を一気に振り払い、しがみついていた壁から飛翔した。
一瞬身体全体を支配する浮遊感に何とも言えない心地よさを感じ、やがてすぐに重力に引っ張られ深淵へと行こうとしてワイヤーがピンと張り詰め宙づりになる。
「よし」
ワイヤーがしっかりと支えられているのを確認したオダマキはそれを伝って登り始め、這いずるように穴からついに抜け出した。
「はあ......登山訓練を追加するように進言しなくては」
肩で息をしながらオダマキは額に浮かんだ汗を拭い、ふと気になって足元を見ると驚きのあまり後ずさった。
「どういうことなんだ.....」
なんと、オダマキが先刻まで登ったはずの穴がなくなっていた。正確には穴があった場所は
驚きながらもそれに近づき、膝を付いて枯れた箇所を触ったりナイフで傷をつけようと試みたりとして彼女は一つの結論にたどり着く。
「間違いない....生きている。このホテルは」
「正確に言えばそれは根だ。ストラス──失礼。植物Ⅲ
「.....いい加減素直に退場してくれたら嬉しかったんだが、そんなに離れたくないのかい?」
オダマキは頭上から聞こえた余裕ある声にため息を交えながらゆっくりと立ち上がり、肩をすくめると”何か”が涼しそうな顔で同じように肩をすくめた。
「好意と言うよりは興味が尽きない。一体全体この数十年で何があったのか」
「そこまでは変わっていないさ。お前たち『植物』との戦いがより一層苛烈になったぐらいだ」
「確かに変わらないな。お前たちはいつまでも激情に身を任せ、先を見据えない。まるで獣のそれだ。進化、と学者はそれを定義しているが果たして本当か?」
先程までの好戦的な態度はどこへ行ったのか”何か”は口を動かし続け、オダマキは困惑する。
「そもそも───いや、こんな話をしても理解はされないな。死ね」
(来るっ!)
豹変した”何か”の殺気を感じ、瞬時に身構えたオダマキの両足を線が射抜き、立てなくなった。
「な、に.....」
「悪いが時間がない。このまま終わらせる」
もうオダマキの事など眼中にないのか”何か”は彼女の事など見もせず腕を今度は零肆式と同じ形へと変形させ、頭部に突き付ける。
「まだまだぁ!」
オダマキは残った両手で背部に隠していたダガーを抜いて投げようとしたが、それは床から飛び出した蔦が腕を拘束した。
「抵抗はいいことだ。無力な奴らの特権は十分に
「くっ....」
だが、いつまで経っても銃声も衝撃も感じずおかしいと思い、薄く開くと銃口を震わせながらこちらを睨むカンパニュラがいた。
「き、さ、まあ......!」
一体何が起きたのか分からず困惑しているとオダマキの腕を拘束していた蔦が緩まり、その隙を逃さず零肆式を拾って一気に距離を取る。
「お前の役割はもうない! さっさと消えろ!───いいや、消えるわけにはいかない!」
腕を元に戻し、顔を覆い隠しながら身体を震わせ、上げた顔の左目はエメラルドグリーンから澄んだ青色へと変わり、右目とは対照的にこちらへ敬意と愛情のある目線を送っていた。
「メディウム....やっぱり何かが憑いているんだな!? なら早く帰還するぞ!」
「隊長....それは無理.......早く殺して、もう持たな───駄目だ駄目だ駄目だ! 殺すな! お前が新しい依り代になるならコイツは殺しても構わないがな!」
一人の少女から想像がつかないほど鈴のような声からどす黒い、低い声を発しながら彼女は苦しみ、怒りを露わにして暴れる。
銃口を向けたままその様子を見て呆気に取られていた
「撃って!」
「あああああ!!!」
彼女の叫びに触発され、オダマキは引き金を引く。
廊下に響く一発の銃声。そして少し遅れて廊下の床や壁に透明な液体が飛び散っていくさまを彼女は見ていた。
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