第9話

「殺セ! 殺せ!」

 段々ハッキリと喋り始める化け物の言葉に耳を塞ぐようにしながら目の前に立つ仲間たちを見る。

 驚きと悲しみ、怒りを持つ視線が自分に刺さる。

 それでも、と私は歯を食いしばる。ここで呑まれて彼女に危害を加えるなんて事は絶対にあってはならない。

「残念だったな」

 だからこそ私は耳元の化け物にそう告げる。ここにいるのは精鋭中の精鋭なのだ、私ごときが勝てる見込みがないと計算してここまで耐えたのだから。

 手錠をはめられ、部屋の外に引っ張られて出るとそこには『姉』がいた。

 彼女は私に問う。何故か、と。

「お前たチを殺シタいからサ!」

「...ごめん」

 聞こえていなくてもこんな言葉を吐かれている彼女に謝る。もちろん怒っている。

 もう既にほとんど身体の自由は残っていないだろう。けれども最後の力を振り絞って『姉』の涙を拭おうと差し出した。

 だが拒まれた。当然と言えば当然だ。

「お前ハ残念だと言ったな」

「ああ、言ったよ」

 連行され、柱に手を縛りつけられた状態で大人しくしていると話しかけられる。

「ドうしテだ?」

「どうして? 簡単だよ。アンタが私の身体を乗っ取っても勝てるわけないから」

 そう言うと、初めて耳元からソイツが動いて私の視界に入る。

「なら、試スか?」

 化け物は顔を覗き込むように見ながら聞いてきた。

 その顔は葉と花弁でほとんどが見えず、それでも禍々しいという言葉が当てはまりそうな気配を持ち、段々と迫ってくる。

 拒もうとした直後、ソレは私の中に容易たやすく入り込み、私は私という概念を失った。



 カンパニュラを連行し、丈夫そうな柱に拘束したアヤメはスイセンに後を任せてそこを離れる。

しばらく歩き、部屋が向かい合わせで続く廊下を前にした時、ついに決壊した。

「なんでよ....どうして?」

 胸中でとぐろを巻く感情に身を任せ、近くの壁を意味もなく殴り続ける。

 壁に一つ小さなへこみと花弁の山が出来上がる頃、アヤメはすすり泣く声を聞いた。

 声のする部屋を探し、中に入るとすみでシオンが丸くなっていた。

「シオン、大丈夫?」

「うん...大丈夫!」

 アヤメが声をかけるとシオンは驚いたように顔を上げ、元気な声で応じた。だが、その顔にはいつものような明るさは無く、空元気だとすぐに分かる。

「...そう。これ食べる?」

「え? いいの? ありがとうアヤメ」

 ポケットから取り出したチョコスティックを手渡すとシオンは少し明るくなり、アヤメも救われた気がして隣に座る。

「シオン、私達ってなんだろうね」

「どうしたの? 急に」

 体温に触れ続けていたチョコスティックは少し包装紙にへばり付いていたらしくシオンは指先をチョコで汚して食べながら聞き返す。

「いや、花人ってだけで学校も辞めさせられて戦場へ送られる。私達イギ──アンセルムス人だけなら分かる。なのに発現したって理由だけでシオンも......」

 最後には悔しさから声にならず、嗚咽交じりで顔を伏せた。

 急に優しく、さらに泣き始めたアヤメにシオンはさらに驚き、どうすればいいのかとアタフタしながら自分が食べて少し背丈の短くなったチョコスティックを差し出す。

「グスッ、え?」

「一緒に食べよ? アヤメ」

 その言葉を聞いた彼女はシオンに抱きつき、声を上げて泣いた。

「よしよし。私はここに居るから」

「シオン.....わああん!」

「これじゃあ、どっちが傷心中か分からないや」

 苦笑しながらシオンはしばらく泣き続けるアヤメの背中をさすって励ましていた。

 涙が収まった頃、アヤメはいつものように冷静な面持ちになっておりシオンへ礼を言う。

「ありがとう。シオン」

「それより涙を流した分の糖分これで摂取しなよ」

「涙は塩分だよ.....」

 あり? と首を傾げたシオンの手から差し出されたチョコスティックを受け取り、口にする。

 パリッと軽い音を鳴らしながら咀嚼していると、アヤメはふとカンパニュラを思い出してもぐもぐと動く口を止めた。

「シオン、カンパニュラと会わない?」

 カンパニュラの名を聞いたシオンは顔を少し強張らせ、首を強く横に振る。

 それも当たり前か、と一人納得しながらもアヤメはシオンに話し続ける。

「カンパニュラは裏切りの容疑がかかってる。それに、この作戦が終わったら次はいつ会えるか分からないんだよ?」

「でも.....」

 まだ踏み込めずにいるシオンへ最後の一押しとなる言葉をかける。

「もし汝の家族が罪を犯せばこれを悔い改めさせよ、でしょ?」

 その言葉にシオンは小さく目を開き、笑った。

「それを言うなら、Si fratres Sakai peccatis suis, haec est mandatum. Si poenitet, placere solvere(もし汝の兄弟が罪を犯せば、これを戒めよ。もし悔い改めれば、これをゆるしなさい──新約聖書より)だよ」

生憎あいにくそんなにいい脳みそを私は持ってないっつーの!」

 屯所で読んでいた聖書を全て覚えていそうなシオンの頭をアヤメは軽く叩いた。

「イテ」

 大げさに顔をしかめ、叩かれた場所を両手で抑えて上目遣いに睨むシオンに今度はアヤメが笑って手を差し出す。

 差し出された手をシオンは掴み、立ち上がって奥の柱に縛り付けられているカンパニュラのもとへ向かう。

「あれ? スイさん?」

 監視をしていたはずのスイセンの姿は見えず、カンパニュラは素直に拘束されていたことから少し席を外しているのだろうと判断したアヤメは気にせずカンパニュラへ話しかける。

「調子はどうカンパニュラ?」

「近づかないで」

 何事もなかったように話しかけるアヤメをカンパニュラは突き放すように一言だけ発し、また黙った。

 冷たくあしらわれたアヤメは肩をすくめながらも、彼女の隣に腰かけて零参式のメンテナンスを始める。

 そんなアヤメをカンパニュラは呆れながら見ていると右側から物音がし、視線を移す。

「カンパニュラ」

「シオン...」

 両手を彼女から隠すように立つシオンへあえて名前で呼ぶ。

「...お腹は空いてないから、食べていいよ」

 カンパニュラはため息をつきながらそう言うとシオンは驚き、隠していたチョコスティックをあらわにする。

「どうして分かったの──あっ」

 シオンは質問しながらその答えが即座に浮かび、ご明察だと言わんばかりにカンパニュラは片眼を瞑って、もう一度開くとエメラルドの瞳の中心部に花弁のような柄が浮かんでいた。

「でも、でも......」

 途端に自信を失くしたシオンはしょんぼりとし、力なくチョコスティックをカンパニュラの前に差し出す。

「食べていいって言ったのに......」

 そう呟きながら隣でメンテナンスをしているアヤメに視線を投げかけると既にメンテナンスは終えていたらしく零参式を組み立てながらニヤニヤしていた。

「はあ......んっ」

 ため息をつき、観念したカンパニュラは口を開けるとシオンはみるみる顔を明るくしてチョコスティックを何のためらいもなく突っ込む。

「っ! はいどうぞ!」

「がほっ!?───もう少し優しくして頂戴ちょうだい?」

「へっへーん、知りませーん!」

 少し眼に涙を溜めながらカンパニュラは抗議するとシオンはいつものような快活な笑顔ではなく、指を自身の口元へ運んでへばり付いていたチョコを舐めとりながらあざとい笑顔で微笑んだ。その笑顔に二人は呆気にとられ、アヤメは持っていた零参式を落とし、カンパニュラは頬を少し朱に染めた。

 しかし頬を朱に染めたのも一瞬、すぐに俯いてしまう。

「.....ごめん。本当に」

「もう謝らなくていいよ。だって、私は許してるもん!」

 俯いている顔を上げさせながらシオンは笑顔を向ける。今度は正真正銘の快活なあの笑顔を。しかし、カンパニュラは対照的に自嘲的な笑みを浮かべて首を力なく横に振る。

「違うの。それじゃないの」

「じゃあ何を謝ってるの? もしかして私の携帯食レーションを食べちゃったこと?」

「それは元々私のだけどね」

 アヤメのツッコミはスルーされ、カンパニュラは再び首を横に振って否定する。

「もう、言ってよ! 分からないし」

 シオンが憤慨しながら聞くと、カンパニュラは彼女の耳元に囁く。

「     」

「え?」

「シオン離れて! ソレはカンパニュラなんかじゃない!」

 シオンが驚きで目を大きく開いた直後、柱に縛られていた手を引きちぎって花弁を舞い散らせながらシオンを押し倒したカンパニュラは官能的な笑みを浮かべ、ちぎれた両腕からはズルズルといばらが出てきて徐々に形を成して、まるで何事もなかったかのように腕が再成した。

「ああ、シオンシオン! お姉ちゃんが悪いんだよ?ここまで私の事を放って───」

「走って!」

 恐怖で引きつる顔を撫でながら捲し立てるカンパニュラの頭を吹き飛ばしたアヤメは背が低くなった状態でも馬乗りのソレを蹴飛ばし、彼女を起き上がらせて走る。

「まままま、待ってよ.....もう一人は嫌なんだよおおおおお!!!」

 口を先に再成し、腕をまっすぐに伸ばして無差別に狙って爪の間から何かを射出し、そのうちの一発を腹部に受けたアヤメはその場に崩れ落ちる。

「アヤメ!!」

「逃げて! そしてスイさんや隊長たちを呼んで!」

 こちらへ来ようとするシオンへ怒鳴り、こちらをしきりに気にしながら奥へと消えていく彼女を見届けてから立ち上がり、背後を見る。

 土埃が舞う中から現れたカンパニュラは再開した時と何ら変わりはなかった。だが、アヤメには目に映る彼女が本物とは思えなかった。

「あははは!───うえええん!」

 情緒が安定しないのか笑ったり泣いたりしながらこちらに迫ってくるカンパニュラだった『植物』へアヤメは零参式を向け、やがて静かに下ろした。

「シオンならここで気の利いた言葉が浮かぶだろうけど、私は違う」

 中に入っていたアンプルを引き抜き、代わりに赤く封をされているアンプルを差し込みスライドを引いて装填を確認し銃口をカンパニュラへと向け彼女を睨む。

「ここで死んで! カンパニュラ!」

「お前が死んじゃええええ!!」

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