もう、やめて。許してください

 私は暗い夜道を歩いていた。

 なぜこんな路地裏を歩いているのかすら思い出せない程、朦朧とした意識の中、妙にはっきりとした気持ち悪い気配を感じていることがわかる。


 頼りなく灯った街灯に沿って道を歩く。何かが潜んでいても気づけないほどに濃い暗闇の中、ずっと向こうの方で人が倒れていた。

 藁にもすがるような思いで、駆け寄っていく。


 近づくにつれ、その服装は見覚えのある者へと変わっていった。

 油で汚れた作業着、襟元からは迷彩色の軍服が覗いており、傍らには鞘に納められた長い刀が転がっている。


「や、山田さん!?」


 黒くにじんだインクだと思っていた染みは、彼の血だった。


 浅く荒い呼吸によって肩が上下するが、そのたびに噴水のように血があふれている。

 ポケットに入れたハンカチを肩に押し付けて止血するが、途端に私の手が赤く染まる。苦しそうに呻く山田さんから目を逸らしてしまった。


「一花ちゃん……。むこうに、慧くんが」


 真っ暗な路地の向こうを指さして、瞼を閉じる。とめどなく流れていた血の勢いが弱まっていくが、止血できたわけではなく流れる血が無くなったのだろう。段々と座った姿勢を維持することも出来なくなって、アスファルトに寝転んだ。


「山田さん……? 山田さん!!」


 真っ赤に濡れた右肩だけは燃えるように熱く。

 けれど、力の抜けた全身は氷の彫像を抱いているかのように冷たい。


「……空噛。一体何が起きてるっていうのよ」


 どうして自分がこんなところにいるのかすら思い出せず、山田さんが指さす方へと進んでいく。これも、ドラマティック・エデンの仕掛けなのだろうか?


「霞一花、こっちに来るな」


 街灯の下で、男にのしかかられている空噛がいた。アーマーすら来ておらず、黒いパーカーの上からもわかるほど血が滲んでいる。

 反射的に空噛の上に乗った男にハンドガンを構える。


 ……いま、どこから取り出した?


「ウヴァァ」


 おぞましいうめき声と共に、空噛の顔面へと手を伸ばす。必死に抵抗しているようだが、ボロボロの体では立ち向かえないようだ。

 彼の額へと口を付けたかと思うと、脳髄をしゃぶるように噛みついた。


 空噛の悲鳴と骨のきしむ音。ハンドガンの銃口は震えていて、引き金に指を掛けることすらままならない。


 懇願するような目を私に向けるが、その金瞳から活力が失われていく。


「空…噛……?」


 飴玉のような眼球を穿ほじくり出すと、宝石でも自慢するかのように街灯の下に掲げた。

 血に濡れ、まだ神経がつながっている状態の球体を口に運ぶ。極上のデザートを食べて満足そうな表情をすると、私を睨みつける。


「な、なんで……!?」


 その薄ら寒い顔は、まさしくドラマティック・エデンのウエイターだった。

 それも、つい先日殺したばかりの、ゾンビ化した姿。


「どう……して…?」


 喋った。

 口をパクパクと動かし、穴の開いた喉から息をして。


「どうして、俺を殺した?」


 いつの間にか周囲を取り囲まれており、足元や背後からも声が響く。


「どうして?」「痛い」「俺は生きてる」「誰か助けて」


「やめて……」


 ほのかに生暖かい血の感触が私の頬を濡らす。

 足を掴まれ腕を掴まれ首を掴まれ、命を掴まれる。


 私が殺した命を、私の命で償えと求めてきているのだ。


「やめてよ」


 いくつもの歯が私の肉を引き裂く。血があふれているはずなのに、痛くない。


「もう、やめて。許してください……」


 目の前のゾンビが咥えているのは、私の指だ。


「ごめんなさい。家族のために、仕方なく……」


 全身の感覚が抜けていく。

 余りの苦痛に痛みすら感じない。

 けれど、これは私が殺したが故の責任だ。


 これが、命の重さだ。


「助けて」









「……さん。姉さん。姉さん!!」


 肩をゆすられ、飛び起きると隣には弟の双馬が座っていた。

 すでに学ランを着込んでおり、壁に掛けられた時計は8時を指し示している。


「姉さん。ずいぶんうなされていたけど、大丈夫?」

「え、ええ。ごめん、変な夢見ちゃって」

「大丈夫ならいいけど……。俺、先行くね」


 指は?

 大丈夫。全部そろっている。

 足にも腕にも手形一つ付いていない。首もつながっているし、傷一つない。だが、心臓だけはずっと高鳴っている。


「そうだ。私、人殺したんだ……」


 いまさらながら痛感する。私は家族のためにと人を殺したのだ。

 気付くのが遅すぎた。けれどずっと向き合うべきことだった。


 すでに弟妹たちは布団を片付け学校に行っているようだ。もうすぐ母も仕事に出かける。ふすまを開けて和室から出ていくと、フローリングの廊下を渡って、ダイニングに向かう。


「一花、おはよう。今日はずいぶん遅いのね?」

「うん、ちょっと変な夢にうなされちゃって。……遅刻しそうだから、このままいくね」


 急いで、洗面台の前に立って顔を洗う。いつもだったら、ドライヤーで毛先を整えてから学校に行くのだが、そんな余裕はなさそうだ。

 制服に着替えようとして、下着が冷や汗でぬれていることに気づく。


 本当は体を拭きたいところだが、シャツを取り換えるだけに済ませた。

 正直、恐怖で膝から崩れ落ちてしまいそうだ。


 ローファーを履いて玄関から出ようとすると、母に止められた。


「一花。お姉ちゃんだからって無理はしなくていいのよ?」

「大丈夫。私、あの子たちが大好きだから」


 あの子たちのためなら、私が人殺しだとなじられようが構わない。

 そう決めたのは、自分だったはずだ。


「こんなこと、いまさらだよ」


 私の家族は、私が守る。だって、本当につらいのは、あの子たちだから。

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霞家はそれなりに大きい。

和室と洋室が混ざっているのは、生活スペースが複数種類あるから。

詳しくは本編で語られると思います。

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