私の下に生まれてきてくれてありがとう
「おはよう、いっちゃん!!」
「あ、おはよ」
「どしたん、元気なさげじゃね?」
学校に着くと、前の席に座っていた友達が声を掛けてくる。
無邪気に笑って挨拶をしてきた栗毛のボブカットの娘は、レイナ。バスケ部のマネージャーで、エースの先輩から告白されたと喜んでいた。
足を組んで、偉そうに座っているのが、みなみ。空噛を『リスカキノコ』と呼んだり、先生にも悪態をつくなど口は悪いが、気配りのできるしっかり者だ。目つきが悪いことを気にしているらしい。
「ちょっと変な夢見ちゃって。それよりさゆりは?」
「さーちゃんなら、二限目から来るってよ」
レイナがグループラインの画面を見せてくる。急いでいて気付かなかったが、私達4人のグループトークに家の都合で遅れると連絡が入っていた。
「見て!! レイナのスタンプ可愛くない?」
緩い顔をしたプリンが躍っているスタンプをトークに流すと、こちらの会話を知らないさゆりから、「?」の一文字が返ってくる。同じスタンプをレイナは送ったが、今度は猫のスタンプで返されてしまった。
「あはは。さーちゃんかわいいー」
スマホを眺めながらケラケラと笑っていると、チャイムが鳴った。
慌てた様子でレイナとみなみは自分の席へと戻っていく。いつもならすぐに担任の先生がやってくるはずだが、不思議なことに一向に現れなかった。
「先生遅いね」
「ああ、電車遅延してるらしいよ。一限目自習かもね」
隣の席の男子生徒に声を掛けると、スマホのニュースアプリを見せてくる。人身事故のせいで電車が遅れているらしい。
「サラリーマンが転落だって。Twitterみたら、誰かが突き飛ばしたんじゃって話題になってるよ」
動画を見せてもらうと、白いワンピースを着た女が、サラリーマンを突き飛ばそうとしているのが写っていた。最初は撮影者も悪ふざけだと思っているようだが、本当に突き飛ばしたあたりで動画は途切れている。
たしかに背中に触れたようにも思えるが、気のせいともいえるようなレベルである。
ただ、左手で何かを抱きしめるかのようにしていたのが気になった。
一瞬映ったワンピースの女の顔が、聖女のような笑みを浮かべていたことに謎の不安を感じていると、慌てた様子で担任の先生が教室に入ってくる。
「遅くなって悪いな!! みんな知ってると思うが電車が遅れているらしい。しばらく自習だ」
それだけ告げると、黒板に『自習』と大きな文字で書いて出て行った。
教室の空気は一気に騒がしいものとなる。
閑話休題…………
夏に似つかわしい白いワンピースにつばの広い真っ白な帽子の女が歩いていた。
胸に抱いた赤子を見つめながら、穏やかな笑みを浮かべているが、目から微かに涙を零している。
おくるみにまかれた赤ちゃんは、生後半年程度の女の子だろうか。優しく微笑む母に向けて無邪気な笑顔を返していた。だが、彼女を抱く母の手は、すでに殺人犯の腕である。
今しがた、赤ん坊の父親であり、彼女の夫を殺してきたばかりだ。
そして、これから我が娘も手に掛けようとしている所だった。
あと数100mもあるけば、大きな川が見えてくる。その橋の上から身を投げるつもりでいた。海へとつながる川であり、深さも川の流れもそれなりのもの。
まず助からないだろう。
「ごめんなさいね。私は貴女を救えないわ。産んでしまってごめんなさい」
「だぁー。キャッキャ」
嗚咽を漏らすが、赤ん坊に理解できるはずもなく、肩を震わせ揺れる景色を楽しんでいた。
川まではのこり70mといったところで、ふと隣に重苦しい鉄扉が見えた。不思議に思って目を向けると、薄汚れた白壁には『霞ヶ山養護学園』という陳腐な表札が立っている。
女の足が止まった。
川を見つめて、何かを呟くと、門の付近に子供を下ろす。
日差しがまぶしくないようにと、自分の帽子で日陰を作ると、せめて母のぬくもりを覚えていてほしいと、自分のワンピースを脱ぎ捨て、おくるみの上からかぶせてやる。
「本当に。無責任に生んでしまってごめんなさい」
下着姿のまま一人で川まで向かうと、柵に足をかける。
女が死ぬ前に願ったのは、天国に行くことでもなく、浮気をした夫が地獄で裁かれることでもなく、来世では一途な運命の人と出会うことでもなく、赤ん坊が自分を忘れないことでもなかった。
「私の下に生まれてきてくれてありがとう。もし次産まれてくれたら、今度は幸せに育てさせてね」
躊躇いなく川底へと頭を突っ込ませると、体内が水で犯されるのも構わずに、捨てた赤子の方を見つめていた。流されて、体の自由が利かなくなっても、首だけは、目だけは、少女を見続けた。
「どうか、彼女に幸がありますように」
閑話休題…………
結局電車は運行見合わせになったようで、今後の帰宅に支障をきたすかもしれないということもあって、昼前に学校は終わった。当然、部活動もないため、レイナはカラオケに行こうと誘ってくれたが、私はそれどころではない。
「あ、店長。今、学校が早く終わったんですよ。そうです、電車のせいで、ハイ」
バイト先であるコンビニに電話を掛けると、14時からヘルプで入ってもいいと言われる。エデンゲームに比べれば安い時給ではあるが、他のバイトよりは十分高賃金だ。
なにより空噛が、今日はエデンゲームに行かないと言うので、仕方がない。
おそらく家には誰もいないであろう。先に夕食の準備だけしておいた方が良いかもしれない。なんて考えていると、家の門の前に白い帽子が落ちていた。
辺りを見回してみるが、人気はない。どこかから飛んできたのだろうか?
拾い上げようと近づくと、赤ん坊の泣き声が聞こえる。慌てて駆け寄ると、帽子と同じように白い服と、薄桃色のガーゼタオルに包まれた子供が泣いていた。
「赤ちゃん……!? 捨て子!!」
泣きじゃくる赤ん坊を抱きながら、橋の方まで向かうが、人影一つない。赤ん坊の股が微かに濡れておくるみが汚れているのを見ると、かなり前に捨てたようだ。
「よーしよし。大丈夫。大丈夫だからねぇ」
母がいない寂しさか、捨てられた虚しさか。それとも何も理解できない無力さか。
とにかく泣きわめく赤子を抱きしめながらあやす。段々と嗚咽も収まり、真っ赤になった顔から涙が引き始めるのを確認する。
パートに出ている母に電話を掛けながら家に帰り、倉庫代わりにしている一室からおしめを取り出し、赤ん坊のおくるみを脱がす。
おむつを履かせるとひとまず安心したような笑みを浮かべて寝息を立て始めた。
つい5年ほど前に使っていたベビーベットは、タオルをかぶせていたおかげで埃まみれにはなっていないようだ。念のためシーツを取り換えて赤ん坊を寝かせる。
「もしもし、お母さん? 家の前に赤ちゃんが捨てられてて……」
門扉の前に残したワンピースを持って、ベットのそばに掛ける。
家で引き取った捨て子はこれで七人目。
そう、私の家は捨て子や身寄りのない子供を引き取る児童福祉施設だ。
まだしばらくは、エデンゲームに囚われたままになりそうだというのに、私の気持ちはどこか高ぶっていた。
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私は児童養護施設について詳しくないです。
(もちろんできる限り調べてから書いていますが)
そのため、実際の法律、条令、規則などとは差異が見られますが、ご了承ください。
また、この作品は全てフィクションであり、実際の事件とは無関係です。
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