その力をどこで手に入れた!?

 ウエイターのゾンビを倒し、弛緩した空気が流れる。どうせもみ消されると分かってはいるが、念のため桃色のテープを貼り付けていると、不意に空が暗くなった。

 いくら谷底といえど、太陽が出ているはずで明かりも落ちてくるはずなのに。


 驚いて上を見上げると、いつの間にか雲が太陽を覆い隠していた。


「……なんか曇ってきちゃったね」

「にしてはさっきより熱くないか? ほら、汗が滲んできた」


 整髪剤で固めた空噛の髪が崩れ始める。額から汗が零れるのを拭いながら、ナイフをしまって扉へと向かう。


「なんとなくだが、イレギュラーの予感がする。逃げるぞ」


 刀の手入れをしている山田さんに声をかけて走り出す。加速度的に温度が上がり始めると、突然が谷底の壁が爆発した。

 周囲の死体が燃え始め、辺りが真っ赤に染まる。


 突如現れた灼熱からは、周囲のモンスターが一斉に反応するほど色濃い魔力が感じられる。その威力は、でしかありえない。


「まって、なんでいるの!?」

「ドラゴンの報告は、ドラマティック・エデンのウソじゃないのか……?」

「あの雲の正体が、伝説の生き物!?」


 雲だと思っていた影は、谷からも遠く離れた上空で飛行するドラゴンだった。

 その巨大さは、奥深い谷底にいる私達からもわかるほどだ。


 羽ばたき一つで突風を起こすと、谷上の草木が巻き荒れ岩石が降り注ぐ。

 三人並んでも狭く感じないほどに谷底が広いといっても、閉鎖された空間で逃げ場と言うのは多くない。


 私の体の半分はあるような大岩が雨のように落ちてきては地面を抉る。単なる気まぐれではないようで、私たちの退路を断つには十分だった。


「おいおい、また熱くなってきやがったぞ!?」


 二度目の火炎ブレス。

 先ほどよりも閉鎖された空間では、今度こそよけきれない。


 灼熱の塊が急接近したかと思うと、狙いが逸れてはるか高い壁を焼き尽くす。思わずホッとするのも束の間、破壊されて脆くなった岩が炎を纏ったまま落ちてくる。

 逸れたわけではない。最初から狙っていたのだ。


 翼をはためかせ、ゆっくりと降下してくる。


 最初から私たちの逃げ道を塞ぐために、私たちを確実に仕留めるために。


 降り立つドラゴンを前にハンドガンを握り締めるが、目の前の巨体に圧倒されて構えることすら出来ない。

 圧倒的な、生物としての格の違い。


 燃え盛るような赤い鱗、鋭く凍てつくような瞳。生物の頂点を示すような巨大な牙に、ひどく鋭利な鉤づめを輝かせ、ゆっくりと翼を折りたたんだ。


 さすがに谷底に足を付けられるほど広くはないためか、両足を壁際に突き刺して体を支えていた。


「異界の住人よ。我が妻を知らないか?」


 喋った。

 目の前の龍は、私たちの言葉を理解して、話すことができる。


 私たち全員の顔が酷く動揺する。今まで、言葉が通じたモンスターなんていなかった。けれど、この龍は確実に意味のある言葉を発したのだ。


「……その黒髪、この言葉だと思ったが違うのか?」

「I thought that black hair was this language, but is it different?」


 続けて言ったのはおそらく英語。

 余りにも流暢で、何と言ったのかは聞き取れなかったが、同じことを尋ねたのだろう。だが、あまりの恐怖に声が出ない。


 鋭い眼光に睨みつけられ、思わず息が上がる。口の中が砂漠の砂を噛んだように渇いて仕方がない。


 これが、捕食される側の恐怖。


 死ぬということを、本気で理解させられた。

 今までの死は、しょせんごっこ遊びに過ぎないのだ。


「答えられぬか? ならばいい」


 一際大きく翼をはためかせると、大岩もろとも吹き飛ばされる。突風に体を流されるまま壁際に叩きつけられ、つぶてと踊り狂った。

 ボロ雑巾のようになりながら地面に寝転がっていると、上空を舞ったドラゴンの口が赤く燃え上がるのが見える。


「空噛、逃げなきゃ!!」


 危険だと感じたのは、もはや本能だった。

 隣で血を吐きながら倒れる山田さんに肩を貸しながら、彼の姿を探す。かすかなうめき声は聞こえるが、どこにも見当たらない。


「空噛!!」


 辺りにまき散らされた赤い液体をたどっていくと、倒れる空噛を見つけた。


「霞一花、俺を置いていけ。もう、無理だ」


 その足元には巨大な岩石がのしかかり、ぐしゃぐしゃに潰れている。

 生きているのが不思議なぐらいの血が流れていた。


「……山田さん、歩けますか?」

「うん、私は大丈夫。それより、慧君が」


 二人の力で空噛を支え、足を引きずりながらその場から離れる。

 けれど、カタツムリにも負けてしまう程に鈍い。確実によけきれない。彼を見捨てるべきだ。頭では分かっている。でも、出来るわけがない。


 出来るわけがない。


「家族と同じぐらい、空噛も、山田さんも大切だから!!」


 エデンの中で足手まといになる私を助け続けてきた彼を見捨てて、このゲームを続けるなんてできるはずもない。


「俺が死んでも、復活させられるだろう? 時間はかかるかもしれねぇが」


 金さえ払えば、助けられる。

 けれど、その金を稼ぐのにどれだけの時間がかかる?


 だが、そんなことすら些末なことだ。

 もっと、心の奥底にあるような理由で、彼を助けている。


「たとえ一瞬でも、アンタが目の前で死ぬなんて耐えられないよ」

「どう……して?」

「私は、お姉ちゃんだから」


 合理性のある理由になっていない。

 そんなことはわかっている。空噛も呆れてることだろう。

 でも、そのやり方しか知らないのだ。


 悲鳴を上げる体を無視して、前に進む。背中が焼けこげるように熱い。

 迫ってくる灼熱に、足が震えている。


 けれど……!!


「ああ、神よ。救いたまえ。恵みたまえ。報いたまえ。」


 歌が聞こえる。

 綺麗で、どこか残酷さを帯びたような歌が。


「その不平等を許すこと無かれ。その理不尽を許容するなかれ。神が定めた制約を破る不届きな飛竜に鉄槌を。神を認めぬ愚かな龍に死の救済を。神を信じぬガラクタ共に恵みを」


 目の前には見覚えのある二人の大男と、彼らの間に挟まるように修道服を着た少女が立っていた。


「冥界の王よ。地獄の番人よ。その扉を開き、新たな命を向かい入れよ。我が名を聞いて願いを届けたまえ。神が救うこの命。神に授かりしこの体。神秘の果てに死を望み、世界の果てに救済を。死こそ救い。死こそ願い。死こそ恵み」


「死の恩恵を天から降らせ」


 シスターが歌を紡いだ瞬間、呼応するように天が光った。と、同時に龍の高度がどんどん落ち始める。そのまま谷の壁をこすりながら墜落した。


 何が起きたのかもわからずに茫然としていると、シスターの隣に立っていた大男、――たしか、兄のゴリアテ――が空噛の足に回復薬をぶっかけた。

 瞬く間に血まみれの足が不自然な方向に曲がりながら回復する。


 私たちの支えから抜けて、自分の足で立つと、まっすぐにシスターへ向かい、胸ぐらをつかみ始めた。


「お前!! その力をどこで手に入れた!?」

「ちょっと、空噛!!」

「答えろ!! それは死神の力だろう。どうしてお前が使える!?」


 見たこともないような血走った眼で、シスターを怒鳴る。

 彼女もあっけにとられながらも目を逸らして答えようとしない。


 慌てて空噛を押さえつけるが、振りほどくために必死に抵抗していた。


「ちょっと、空噛、落ち着いて!!」

「離せ!! おい!! 答えろよ。どうしてお前が、死の力を持ってるんだ!!」


 山田さんとヴァルカンが空噛の腕を引いて抑えているが、歯を食いしばって殴りかかろうとしていた。


「その力、返せ!! お前の物じゃないだろ!! 返せよクソ女」

「慧君、落ち着いて。何があったのか説明して!!」

「殺してやる。奪ったのなら、奪い返すだけだ。放せ。コイツを殺す!!」


 腰のナイフを取り出そうとする腕をヴァルカンが拘束して、ゴリアテと私がシスターの前に立つ。

 彼女も背中の大鎌を構えて反撃する気のようだ。


「どうして、お前なんだ……。なんで、お前に!!」

「なに、死の力って!? 説明してよ、空噛」


「許さない。殺す。殺す殺す殺す!! 絶対に……」

「おい、コイツやべぇぞ? 少し黙らせるか?」

「ヴァル兄待って、あまり手荒なことはしないで。一花の友達だから」


「放せ。放せよゴミクズ共!! 俺は、ソイツを殺さなきゃならないんだ。その女から死神の力を取り戻さないと……」


 冷静さを欠いた彼に平手打ちをかますと、全員が静かになる。


「落ち着いて空噛。まずは、ここから逃げよう。話はそれからでもいいでしょ」

「……ああ。悪かった」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

回復薬について


外傷であればすべて治せる特別な薬。大きな傷には、ぶっかけた方がより効果的。

回復薬にも種類があり、一般的な回復薬は、エデンに生えている薬草から作られている。


今回、空噛の足に使ったのは、かなり上位の薬。

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