クズの仲間入りだな

 峡谷のはるか上空で二人の人影が霞たちを見下ろしていた。


 小学生か中学生程度の少年は、栗色の髪の上に王冠を乗せていて、布を引きちぎったような赤いマントを身に着けている。

 意地の悪い笑みを浮かべながら、指先で弄んでいたアノニマスマスクを装着して、傍らにたたずむ女に話しかけた。


「ねぇ、トート。あの玩具、ここで使ってよかったよね?」

「好きにすればいい。私には関係ない」


 そっけなく返した少女は、顔を隠すようなフードを纏っており、骸骨の面を着けているせいで、余計に彼女の表情は読めない。

 けれど、その隙間からは美しい赤毛が見える。


「あんまり派手にやると、王様に怒られちゃうかな?」

「彼は自由にしろと言っていたわ。好き勝手すればいい」

「そうなの? 珍しいね」


 少年らしい無邪気な笑顔を浮かべるが、その内情はひどく歪んでいた。フードの少女が不快感をあらわにしてそっぽを向く。


「さて、私も少し遊びましょうか」


 細く白い指を下で呻いているゾンビに向けると、クイッと動かして操るような真似をした。途端にゾンビのうめき声は絶叫に変わった。


「はたして、私を超えられるかしら?」


 薄気味悪い笑みを浮かべると、少年の目つきが変わった。


 二人の肌をびりびりと締め付ける気配の主は、空の覇者『ドラゴン』


「はぁーあ。やっぱり僕たちの魔力に当てられて寄ってきちゃったよ」

「前に殺した龍の死骸も残っているからね」


 ラヴェーヌ谷からさらに遠い空の向こうで咆哮を上げるドラゴンの気配を察知して、二人は逃げるように姿を消した。

 残されたのは、玩具と称されるウエイターのゾンビだけ。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「その顔、だよな!?」


 空噛の驚いたような声で気づく。確かにその顔はドラマティック・エデンで何度もみてきた顔だった。かなり血にまみれており、特徴的な張り付けた笑顔の面影すらないが、その燕尾服やシルエットはウエイターに間違いない。


「けど、なんでこんなところに!?」


 ウエイターは本来ドラマティック・エデンから出ることはない。ドアマンとして、エデンフィールドの扉付近に立っている程度だ。


「……エデンのドアマンって、もしかして」

「つまりは、なのか……」


 山田さんの仄暗い顔を見て察する。あのウエイターは、私たちがホブゴブリンの襲撃を受けた際に死んでいたウエイターだ。


「なるほど、俺達を使って証拠隠滅を図ろうってわけか」


 おそらく、換気口を壊した何者かがウエイターをゾンビ化させた。それを発見したドラマティック・エデンが私たちをドラゴン探索と称して戦うように仕向けたのだ。

 結局のところ、バトラーに利用されていただけ。


「本当に気に食わない!! 人の事を何だと思ってるの!!」

「激昂しても無駄だ。空噛商事そらかみしょうじは金にしか興味がない」


 命がけのドラマティック・エデンだって、貴族連中から金を得るための余興に過ぎないのだ。きっと、この憎悪もドラマティックに彩られていることだろう。


「とにかく目の前の敵に集中しろ。フライバットがそこら中に居る限り逃げられないと思っておけよ」

「分かってる。山田さん、大丈夫ですか?」

「ええ、人を殺す覚悟は出来てますよ」


 すでに二人は腹をくくっているようだ。

 もちろん私も大切な家族のためだ。躊躇はしない。


 青白い顔に全身から血を吹き出させ、だらしなく歪んだ顔に不揃いな髪型。綺麗だったはずの燕尾服もボロボロになっている。

 フラフラと歩き回っているせいで岩場や壁にぶつかっているからだろう。


「死神に会わせてやる。安心しろ」


 腰のプラグに注射器を刺し込むと、ドーピング剤が体内に侵入する。ビクビクと空噛の全身が震えはじめ猛スピードでゾンビに突撃した。

 一本の槍のようにゾンビの心臓を一刺しして、思いきり体を切り裂いた。


「手ごたえがねぇ!?」


 胸元から腰に掛けて大きな切り傷が残っているにもかかわらず、平気な顔をして空噛の両肩を掴んだ。


 真横から山田さんがタックルをして引き離したが、今度は彼へと掴みかかる。

 気味の悪いうなり声が響いて山田さんの首筋を噛んだ。


「痛ッッ!! 離しなさい……!!」


 肉を抉り削るように捉えて離さない。気が狂ったように人肉を貪る姿はまさに怪物と呼ぶにふさわしい。


「霞一花、早く撃て!!」

「分かってるけど、引き金が……」


 あの狂った目、滴る血、獰猛な唸り声。全てが私の体を怯ませる。

 引き金に指を掛けることすらままならない。私には殺せない。


「一花ちゃん。撃てないなら無理はしなくていい。私は私で何とかするから」


 ゾンビの牙を刀で押さえつけているが、肩の傷が重いのか力は弱々しい。

 あのままではアーマーの耐久力も限界を迎えるだろう。


「離れろゴミクズが!!」


 山田さんに馬乗りになっているゾンビを蹴り飛ばし、さらにナイフを投げて追撃を食らわせる。

 しかし、刺さったナイフを引っこ抜くと血肉を求めて緩慢な動きで向かってくる。


「霞一花、ハンドガンを貸せ!!」

「わかった!!」


 最低限の護身用ナイフとハンドガンを交換すると、空噛は躊躇いなく発砲した。喉元を貫き空洞が生まれるが、かすれた唸り声を上げるのみ。


「有効打にはなってないみたいだね……」

「こんなの、どうすればいいの!?」


 ゾンビの特性、超再生は、魔石によって成り立っている。つまりは魔石を切り離すなり砕くなりして、能力を失わせればいい。

 だが、それが難しいのだ。


「火炎の刀油!!」


 燃え盛る刀をゾンビの首にあてがうも、動かない。人の首を断ち切れるほど強く作られていないのだ。

 なにより、腰が引けた山田さんの太刀筋では斬れないだろう。


「魔石ごとえぐり取ってやるよ!!」


 ゾンビの腐った肉に手を突っ込むと、胸の辺りから煙が吹き上がった。が、スライムの酸性は魔力によって防げる。魔石を掴めるほどまでは溶かせない。


「ウヴァァ」


 自身に突っ込まれた空噛の腕を掴んで投げ飛ばした。

 リミッターが外れたことによる怪力だ。


「旋風の刀油。セイッ!!」


 風を纏った刃がゾンビの肩を抉るがダメージが浅い。山田さんの首に手を掛けたかと思うと、壁に押し付けて絞めあげる。怯えながら腕に銃口を向けようとして、ハンドガンがないことに気づいた。


 腹を抑えて倒れる空噛の近くに無造作に転がっている。

 走ってそれを取りに行こうとして、気づいたゾンビが私の前に立つ。


「いや……。来ないで……!!」

「ウヴァァァ」


 ガタガタと震える手で発砲する。

 明後日の方向に飛んだ弾丸を気にも留めずに私の両肩に腐った腕が添えられる。力任せに押し倒され、肩へと鋭い牙がめり込んだ。


 痛い!!

 痛い痛い痛い!!

 痛くて、熱くて、苦しい!!


「助けて……」


 痛みに耐えかねて涙が零れる。弱々しく漏らした叫びを聞いた山田さんは血相を変えて飛び出した。


「その娘に手を出すな!!」


 私の肉を貪るゾンビにタックルをかまして、山田さんは馬乗りになる。互いの腕を押さえつけ合っているが、ペットボトルを引きちぎったような音が鳴り響く。

 それは、アーマーの悲鳴ともいえる。


 痛みをこらえながら、必死に銃を構える。私のアーマーもほとんど壊れかけていて、無骨な武器はいつもよりも重い。

 ゾンビに向けたハンドガンの引き金は引けなかった。

 目の前のアレは怪物であると自分に言い聞かせても、あの凶悪な目つきが焼き付いて離れない。私が彼を殺したら、弟たちにどんな顔をすればいいのだろうか。


 人を……すくなくとも命を持っていた人間を殺す私を、あの子たちは受け入れてくれるだろうか。そんな薄汚い金で、彼らを守るというのか。


「霞一花。撃てないのか? お得意の家族愛とやらはそんなものか?」


 目の前で血を零す青年がいた。

 私を庇って、ゾンビの牙を受け止めた金瞳の青年が。

 けれど、私はこの痛みを知っている。ついさっき、同じことをされたばかりだ。どれだけ痛くて苦しいかは、よくわかっている。


「空噛……。なんで……」

「死神に祈れないか? 無理をさせてたなら謝るよ」


 私の手に握られたハンドガンを奪いながら告げる。


「せいぜいまっとうに生きろ。


 目頭の奥が燃えるように熱い。彼の血と同じように、私の目からは涙が零れていた。


 今までずっと言い訳をしてきた。

 空噛は狂ってるから。山田さんは大人だから。そうやって、怯える自分を正当化してきた。弟や妹を盾にして、覚悟を決めた気になっていた。


 だが、今の私はどうだ?

 結局逃げている。肝心な時には役に立たない。前と何も変わらない。


 重くのしかかるハンドガンの重さから逃げている。

 金を得るという行為の自分勝手さから目を背けている。


 何が人殺しの金で顔向けできないだ。

 そんなの、自分勝手なエゴだろう? 家族を守るためなら何でもすると誓ったのは私のはずだ。いまさら、殺すことをためらうな。


「お前は、ゲームに向いてな……

「ふざけんな馬鹿野郎。お姉ちゃん舐めんな!!」


 ハンドガンを奪い返すと、空噛の肩をしゃぶっているゾンビのひたいに突き付けた。先端には使い捨ての威力ブースター。

 私は、今から人を殺す。


 人だった者をころすのだ。


「見てなさい。お姉ちゃんの虚勢を!!」


 周囲を吹き飛ばすような轟音と、高く昇る硝煙。頭から上が消し飛んで再生が追い付かなくなったゾンビが、後ろ向きに倒れた。


「良く撃ったな。おめでとう。これでお前も、だな」

「ありがとう。最悪の気分よ……」


 拳同士を突き合わせて互いに笑い合う。


 そのはるか上空で火炎のブレスを溜めるドラゴンの存在も知らずに

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