第16話 三哉 ツバサ観光にて(2)

トイレの個室に籠ると涙が出てきた。

「お父さん、やっぱり無理だよ」昨日は、『何もしなくていいから大丈夫』と思っていたが、既に心折れている。働くのは大変なんだなぁ、としみじみ思う。

将太はなにかあったらメールしろ、と言っていたが電話をしてみよう。


「はい、どうした?」

数回のコール音の後、将太が出た。

電話口の声は恵子なので少し混乱してしまう。

「もう嫌だよ、帰りたいよう」と泣きべそで伝える。

「何かやらかしたのか?」

「ううん、とにかく仕事から逃げてて。でも何か皆怒ってるんだろうな、って雰囲気が伝わってきて。」

「松田はどうした?」

「外回りに行っちゃった」

松田さんが不在なことを思い出し、また涙が出てきた。

「一体どこで泣いてるんだ?」

「トイレ。もうトイレから出たくないよ」

「こら!泣くな!男子トイレの個室は1つしかないんだぞ!いつまでも入ってて良いわけないだろ。」

「だってー」

そんな事言われても他に泣く場所が無いんだから困ってしまう。



「あのな、皆悪いやつじゃないから、昨日も言ったようにパンフレット整理と書類確認をしとけ、な?」

「え~」

「何かあったらまた電話してきて良いから、頑張ってくれよ!」

電話が切られてしまった。


お父さんの為にも、いつまでもトイレにこもっている訳にはいかないんだ。三哉は涙をふき、30分以上も時間をかけて気持ちを落ち着かせた。

気まずい面持ちで戻ると

「お疲れ様でーす」と皆がやたら明るく挨拶をしてきた。

気を遣われている。

皆怒っているのだろうが、三哉がトイレに入っている間に社員間で「上島課長は今日変だから刺激しないでおこう」等の情報共有でも行われたのだろう。

三哉はペコリとお辞儀をし席につき、理解できない書類を何度も何度も繰り返し読んで過ごした。


昼休憩は交代で取るようで、「先にどうぞ」と声をかけられた。

何もしていないのに休憩だけとって申し訳ない、と思いつつもお腹は空いている。

本当はファミレスにでも行きたかったが注文が苦手なのでやめておいた。

コンビニに行きおにぎりと菓子パンを買い近くの公園のベンチで食べる。

子どもたちが遊んでおり、3歳くらいの男の子がトコトコ近づき「何たべてるのー?」と声をかけてきた。

「えっと……メロンパン」

「いいな~」

「食べる……?」少しちぎって渡そうとしたところ母親が猛ダッシュでやって来て子どもを抱えて「ダメでしょ!!」と怒鳴りながら去って行った。

生まれて初めて不審者扱いをされ落ち込む三哉であった。




昼休憩から戻ると、朝礼で松田が言ってた通りパンフレットが大量に届いていた。

「あの……これ、僕整理します」勇気を振り絞って声を出すと、塩村が「お願いします」と微笑む。

恐い人かと思ったが優しい人のようだ。

「……どうすればいいですか?」

塩村は一瞬眉間に皺を寄せたが

「販売店のいんを裏に押して下さい。期限が切れそうなパンフレットと入れ替えて下さい。大丈夫ですか?」

「はい。えーと、販売店のって?」

「これです!本当に大丈夫ですか?」

塩村は引きつった笑みを浮かべた。


三哉は小さく頷き、作業に取りかかった。

初めは印もかすれたり、斜めになったり上手く押せなかったが暫くしたらきちんと出来るようになった。

背中を丸めながら、パンフレットの整理を進めていく。

途中、客から「温泉のパンフレットが欲しい」など話しかけられ、挙動不審になりながらも必死に対応をした。


そうこうしている内に夕方になり、松田が戻ってきた。

「ああ!松田さん!」

「だから、さん付けやめろよ」

松田が帰ってきたなら安心だ。

三哉がホッとしながらパンフレットを片付けている中、事務所内が騒がしくなった。


覗いてみると社員数名が頭を抱えている

「あの~僕、何か失敗してしまいましたか?」恐る恐る松田に声をかけると

「いや、宮田が四つ葉スーパーと打ち合わせいっただろ?またゴネてるらしい」

「はあ」分からないけれど頷いておく。

宮田はまだ20代前半の若い男性社員だ。

「それで、上司と来いって言ってるんだ」

「はい」

「上島、行ってくれるか?」

三哉は自分の顔を指さした「僕?」「そう」

嫌です、と思ったが今日1日何も出来ていない。何か何か頑張らないといけないのだがー

「む、無理です」

「大丈夫だよ。ああいう人は上司を連れていけば少しは収まるんだから」

そうなのだろうか?大人の世界はよく分からない。

三哉は悩みに悩んだが、「わかりました」

震える声と共に頷いた。

「悪いな!先方が10時にだとよ。俺明日、店長会議で本社に行かなきゃいかんから」

「あ、明日ですか?」

松田は再び「明日10時」と言った。

明日?明日僕は恵子お母さんになっている。明日将太お父さんになるのはー

健二お兄ちゃんだ」

ひえ~マズイぞ!と思ったが撤回できる雰囲気では無かった。

「何も上手くいかないな」三哉はしょんぼりしたまま会社を後にしたのであった。


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