第15話 三哉 ツバサ観光にて(1)
県内に4店舗ある旅行会社、ツバサ観光が将太の職場だ。
全国展開している会社と比べると地味であることは否めないが、バスツアーや、県内企業の社員旅行など地域に根差したプランが主力となっている。
普段、将太は車で通勤しているのだが、三哉はバスと市電を乗り継いで職場へ向かった。ラッシュに巻き込まれ既にヘトヘトだ。
初めて着たスーツも変な感じで落ち着かない。
確かに寝る前、明日学校行きたくないな、と思ったが何も分からない仕事にはもっと行きたくない。三哉は少し涙ぐみながらトボトボと歩いた。
ツバサ観光のドアを開ける。作業をしていた数名が顔をあげ「おはようございます」と挨拶をしてきたので三哉は深々と一礼し
「おはようございます」と誰にも聞こえないような小さな声で応えた。
三哉はうつ向きながら席へと向かった為、周囲の怪訝な表情には気付かなかった。
何をしていいか分からず鞄の中身を何度も何度も確認していたところ、「上島」と声をかけられた。
声の主は将太から聞いていた七三分けの松田である。
ネームプレートには『店長』とある。どうやら将太より偉いようだ。
「松田さん、松田さんですね!」
松田は怪訝な表情を浮かべ
「どうしたんだよ。あのな、俺、朝礼終わったら外回りだから」と言った。
「そとまわり……?」
えーと、漫画でサラリーマンの人とかが「外回り行ってきます!」と颯爽と出ていくのとかを読んだことあるな。
……ん?
「えっ!松田さん外出するんですか?お店の中にいないんですか?」
「だから、そう言ってるだろ。あと、さん付けやめろよ」
「そ、そんな……!松田さんだけが頼りなんです!行かないで下さい!僕には無理なんです」
半泣きで必死な表情の中年に、松田は若干引きながらも
「どうした?体調でも悪いのか?周りに頼れよ」と優しく声をかけてくれた。
周りで作業をしていた部下たちも何事かと目を丸くしている。
松田は三哉の肩をぽんぽん叩き落ち着かせた後、「おーい、朝礼始めるぞー」と部下を集めた。
「今日はパンフレットが入荷するので、整理お願いします。
外回りに出ますが、夕方には戻ります。緊急のことがあれば携帯へ連絡下さい。
バスツアーの催行確定が出ると思うのでお客様へ連絡お願いします。
宮田は四つ葉スーパーさんの社員旅行打ち合わせ11時からなので、フォローお願いします。
他、なにかありますか?無いですね。では今日もよろしくお願いします。」
あっという間に朝礼が終わってしまった。
「ああ~松田さんー」
ど、どうしよう。頼みの綱の松田さんが外へ行ってしまった。
三哉はパニックに陥りながら椅子に座り込み深く項垂れた。
周りは慌ただしく動いている。
どうしよう、どうしよう、と思っている内に開店の時間を迎え客がやって来た。
「いらっしゃいませー」他の社員がにこやかに声をあげる中、三哉は縮こまり気配を消すことで精一杯だった。
ネームプレートには『塩村』とある。
「上島課長、判子下さい」
「え?」
「判子です、判子」
「あの……後でもいいですか?」
「いつですか?」
「えーと4日後?」
「何言ってんですか!」
怒られてしまった。上司に判子を貰うなんて重要な書類に違いない。自分の判断でそんなことしていいのだろうか?
「交通費のですよ?
先週の金曜日に聞いたら、月曜に出して、って言ってたじゃないですか」
「あ、そうなんですね」
将太の了承が出てるなら大丈夫だ。
えーと、判子、判子……
「あの、判子どこにありますかね?」
「えー!知らないですよ。どっか落としたんですか?」
塩村はデスク周りをガチャガチャ探し始めた。
「なんだ、ペン立てにあるじゃないですか」
はい、と手渡される。
三哉は頭を下げ、「すみません、すみません」と謝りながら判子を押し、書類を返却した。
「はーい、ありがとうございました」
三哉は大きくため息をついた。
仕事という仕事はしていないのに、神経がすり減り大変だ。
その後も書類に目を通していたが全く頭に入ってこなかった。
周りが接客対応で忙しなく動いているのに、何も出来ない為、居たたまれない気持ちである。
そんな中、電話が鳴った。
接客中の塩村が「課長ーお願いします」と声をかけてくる。
三哉はもともと電話が苦手だ。
しかも職場のなんて対応できるはずがない。
コール音が続く。
「上島課長ー」
三哉が電話を取らずアワアワしているのに気付いた塩村が接客を中断し慌てて飛んでくる。
「大変お待たせ致しました。ツバサ観光でございます。ええ、申し訳ございません。はい、確認して折り返し致します。」
塩村は目を剥き
「どうしたんですか、今日の上島課長は何なんですか」と小声で言う。
客がいなかったら怒鳴り散らしていたかもしれない。
「ご、ごめんなさい。あの、僕ちょっとトイレ……」
塩村含め、他の社員は呆れた表情で三哉を見送った。
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