第5話 将太自宅にて(2)


「はい、どうした?」

電話口からは「もう嫌だよ、帰りたいよう」と泣きべその中年将太の声が聞こえてくる。

おいおい、まだ午前中だぞ。

「何かやらかしたのか?」

「ううん、とにかく仕事から逃げてて。でも何か皆怒ってるんだろうな、って雰囲気が伝わってきて。」

「松田はどうした?」

「外回りに行っちゃった」

グスグスと鼻をすする音が聞こえる。

「一体どこで泣いてるんだ?」

「トイレ。もうトイレから出たくないよ」

「こら!泣くな!男子トイレの個室は1つしかないんだぞ!いつまでも入ってて良いわけないだろ。」

「だってー」

将太は頭を抱えた。

中学生がいきなり仕事なんて無理な話だ。

分かってる。

しかし、何日も休むわけにはいかないのだ。

仕事の進捗状況や、最近、部下の宮田が少し病んでそうなので様子も気がかりだし、連続で休んで査定に響くのも避けたいのが正直なところ……


「あのな、皆悪いやつじゃないから、昨日も言ったようにパンフレット整理と書類確認をしとけ、な?」

「え~」

「何かあったらまた電話してきて良いから、頑張ってくれよ!」


一方的に電話を切り、息をついた。

疲れた頭でボンヤリしていると突然花の香りがしてきた。

花?何だどうした。

しかも何やら


「洗濯じゃないのか?」

晃太郎の言葉に慌てて立ち上がる。

洗濯機に近付けば近付く程、花の香りが強くなる。


恐る恐る柔軟剤の文字を読む。

ああ……爽やかホワイトフローラル

老眼のせいか柔軟剤の目安がよく読めず適当ににドバドバ入れたのが間違いだった。

入れすぎると全く爽やかではないのだな。


洗濯終了の音がなり扉を開けると、花畑に頭から埋めこまれた気分になった。

むせながら必死に洗濯物を取り出す。

「ゲッ縮んどる!」一音の上着が見事に縮んでいた。

「新しいの買わされるな」花の香りに包まれているが気は落ち込むばかりだ。


洗濯物をベランダへ干していると晃太郎が姿を見せ、自分の服をすっとハンガーへかけていく。

晃太郎の方が手際がよい。

なるほど普段恵子を手伝っているとは本当らしい。

「ほれ、そんな風に干したら皺がつくぞ」

どうやら自分の服が皺だらけになるのが嫌で干しにきたようだ。

最初から手伝ってくれれば花の香りまみれにもならなかったのに。


ふたりでせっせと洗濯を干していると玄関のチャイムが鳴った。

宅急便か?とベランダから覗いてみると「上島さ~ん!」と派手な女性がインターホンに呼び掛けている。

隠れようと思ったが、柔軟剤の香りに誘われてだろうか、女性はベランダを見上げた。

「上島さん!」ニコニコと手を振っている。

誰だ?


晃太郎が「3軒隣の松沢さんだ」と耳打ちしてきた。

「知ってるのか」

「お前近所の人も知らんのか。恵子さんとは仲いいぞ」

「ふん、知らなくて悪かったな。残りの洗濯物干しといてくれよ」

将太はどたどた1階へ降りていった。


顔を見られてしまった以上隠れることも出来ないのでドアを開け「こんにちは」と挨拶をする。

松沢は間近で見ると更に派手だった。

歳は恵子よりも10ほど上だろうが、ばっちりメイクに大きい指輪に派手な花柄のワンピース

「上島さんケーキバイキング行かない?」「え?いやあ、家のことがありますから」

「まあ、上島さん手際いいんだから大丈夫よ~!」だったら、どれだけ良いか。

松沢は、行きましょうよ~を連呼している。


仕方ない。将太は精一杯悲しそうな顔をしてみせた「あの~私朝から腹を下しておりまして」

途端に松沢は目を丸くした。「まあ!回転寿司20皿の後かき氷とパフェ食べても何ともなかった上島さんが?」

我が妻ながらどういう食生活しとるんだ、と呆れたが必死にこらえ苦しそうな顔を作ることにした。

「そうなんです~。もうね、お誘いは有難いですが今日はごめんなさいですよ、はい、それじゃあまた」

「あらあ」松沢に喋らす隙を与えずドアを閉めた。


あー驚いた。それにしてもあんな派手なご近所さんの顔も知らないとは。もっと近所付き合いをしないとだな

将太はひとりごちリビングに戻った。


洗濯物を干し終えた晃太郎もリビングでテレビを見ていたので暫く一緒に眺めていたのだが、突然思い出したように

「昼飯はカップ麺でいいが夕食の用意はせんといかんぞ」と偉そうに言い出した。

「夕食!?何を作ればいいんだ」

「自分で考えんか」

将太は舌打ちをし、冷蔵庫の中を確認してみた。

にんじん、タマネギ、キャベツ、豚肉、鮭、豆腐などなど

色々詰め込まれており材料は揃っているようだ。

しかし料理なんて数十年ぶり……

「肉野菜炒めと味噌汁だな」

今のうちに野菜を切っておこうと切ってみたものの、切り傷4ヶ所を負ってしまった。

「全く包丁は危ないな」とぶつぶつ文句を言っていると玄関チャイムが鳴った。


誰だ?

「上島さーん」思わずズッコケてしまった。

インターホンを取らずとも聞こえてきたのは松沢の声だ。

玄関先で「上島さーん」と連呼している。

将太は恐る恐る扉を開けた。

「ハイ、何でしょうか」

「上島さん!これねお腹のお薬とレトルトだけどおかゆと雑炊よ~。冷たいのは止めた方がいいからゆっくり休んでね」

「あ、お金……払います」

「何言ってるの!困った時はお互い様よ!あら絆創膏どうしたの?」

「いやあ、うっかりですね……」


松沢は、お大事に~と繰り返し派手な指輪をつけた手をヒラヒラ振りながら帰って行った。

悪い人ではないんだろうけど、どっと疲れてしまった。



パートが無い日でも大変なんだな。

楽勝と思った自分を殴ってやりたい。

これからは家事を手伝い、ゆっくり食事でもーいや、バイキングにでも連れて行こう。


リビングでのテレビ番組は午前中とは別のワイドショーに変わっており

『アイドル密会!』と報じている。

将太は煎餅片手に画面を見つめながら、

「全く世の中いろいろあるな」と呟いた。


そして、今日の我が家の面々は本当にいろいろあることだろう、としみじみ思いながら煎餅をかじるのであった。

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