最後の恋愛

龍鳥

最後の恋愛

 空気が冷える。明日も明後日も、雪化粧が続く景色が続くだろう。雪が降っている天気を窓からずっと眺めている円香は、気が乗らないでいた。



 「もうすぐ、私は死ぬんだ」



 死期を悟るのは自分でも分かる。身体から魂が抜けていく感覚は日に日に増しに強くなっていく。


 彼女の病名は、「白血病」。その中でも急性リンパ性と呼ばれる症状であり、骨髄で白血球が増加することによって、血を作る機能が低下し、血液がつくれなくなる。そのため、脳と脊髄に浸潤しやすくなり、頭痛や吐き気・嘔吐おうとなどが出る。生存率は5年とされている。



 「今日も誰も、お見舞いが来ない」



 彼女の台詞から正確に読み取るには、誰も来ないで欲しいという意味が隠されている。


 誰も来るな


 気休めで私の命を伸ばそうとしても無駄だ


 お前らに私の気持ちを何が理解できる


 というような、心にもない言葉を家族や親類、友人たちに告げていたのだ。それで人が来ないのは当たり前である。余命少しの人生を、自ら1人で選びたいんだと周囲は判断しているが…


 

 「やっぱり、誰か来て欲しい」



 早い話、誰かに構って欲しい欲求が日々、高まっているのである。孤独を選んだ彼女の選択は、本人が望まないままの結果となってしまった。しかし、その均衡を破る男がいた。



 「やあ、遊びに来たよ」


 「帰ってよ」



 茶髪で耳にピアスを付ける、病院には似つかわしくない派手な服装で来たのは幼馴染である義男である。彼だけは、毎日と見舞いに来たのである。



 「お土産、買って来たぞ」


 「それ、近くの駅前に売っている店じゃん。そんなのお土産じゃないよ」


 「そうだな。けど、歩けないお前にとっては充分だろ」



 また馬鹿にして、と彼女は快く思わないでいた。彼は円香が不治の病を起こされること良いことに、周囲が心配する声を余所に無礼千万な発言を数々としてきたのである。


 お前が死んだら、まず俺が真っ先に顔に落書きしてやる

 

 お前の部屋、どうせ誰も使わないから俺が勝手に使わせてもらっている


 お前の葬式の時、俺が真っ先に大声で笑ってやる


 発言の真相が定かではないが、現に今こうして円香が面会拒絶をしているのに、堂々と病室に入って行く無神経さは、何をしでかすかわからない。だから彼女も、言葉を慎重に選んで、彼を丁重に送り返そうとする。本気の本気か、冗談の冗談のつもりで。



 「なら、本気を見せてよ。義男、今すぐ私を殺してよ」


 「いいぜ」



 雪がしんしんと降る。空気が一瞬と凍った。この男は何をいっているのかと、円香は怪訝な視線を送った。


 

 「死にたいんだろ」



 2人は幼馴染…であるが、それ程までに親しい間柄ではない。偶々、帰り道に近所が一緒だったらそのまま一緒に帰ることもあった。けど、同じ学校でもクラスが違えば歳の差も3つは離れている。彼が年上、彼女が年下。それ以上でも、それ以下でもない関係である。



 「どうやって殺すの」


 「それはお前が決めろ」


 「うーん…」



 彼女も本心になってしまったのか、饒舌が止まらない。振り切ったアクセルが最初はブレーキを踏んでいたもの、いつしかスピードの快感に酔いしれてタイヤを減速することなく回転させる状況になった。これは悲劇か、喜劇か。監督は円香、役者は義男。さあ、可笑しな話はどう決着をつけるのかは、彼女の返答次第。



 「キスして」


 「うん?」



 数分と考えた末の結論。それは、この男が円香にとって運命の男性であるという結論だ。ベットのシーツを、ぎゅっと握る力が強くなる。



 「最後はさ、あんたみたいな勝手な男に振り回されて死ぬのも悪くないなあって」



 自然と涙が零れた。誰も理解されない苦しみを、生涯まで恋愛してこなかった自分には、最早1人と思えてきた。しかし、彼女はある小説の一節を思い出したのである。


 ”明日死ぬと分かっている身で、最後に隣にいてくれた人こそが生涯の伴侶である”



 「実はアタシさ、抗体の薬を飲んでないんた、一ヶ月ずっと。それでね、仲良くしてくれた人みんな追い出してさ、初めて1人になって分かったの。ああ、本当に1人になるとアタシには何も残らないんだって。そんな中さ、アンタがしつこく面会に来てくれてさ、最初は嫌だったけど、今になって初めて気づいたの。アンタこそが、アタシを看取る死神なんだって。だから、キスして」



 彼女の長い独白は終わった。静かに音を鳴らす彼女の生命維持装置は、振動音が早くなっていた。男の方はどうだろうか。まるで生命が抜け落ちたような瞳をしている。



 「本当にいいんだな?」


 「ええ」



 男の大きな巨体が、ゆっくりと彼女の身体を覆った。そして、円香にとっての最後のキス。長く長く、互いの呼吸を吸い合い、互いの鼻の息が響き合う。ふと、彼女に1つの疑問が浮かんだ。



 どうして、この男の目には何時も光が宿っていないだろう


 

 「そうさ、お前に会うために俺は死神になったんだ」



 ああ、そうか。その一言で彼女は納得した。


 

 そこまでアタシの事を……



 翌日、円香は静かに息を引き取っていた。死因は、明らかになっていない。



  

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最後の恋愛 龍鳥 @RyuChou

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