フレンド失プ

 冷や汗をかいている。

 スマホのメモにしたがって行動したら、こんなことになってしまった。

 ぼくの首筋にぴったりとつけられた、冷たい刃物。


「さあ。白状しろ」


 図書室の窓辺。

 あいた窓からスーッと秋のさわやかな風が入って、白いカーテンと、金色の髪がぼくの目の前でゆれる。

 今は、二時間目の授業中。

 だからたぶん、ここには誰もいない。助けを呼んでも、むなしいだけだろう。


(そうだ! 最悪、リトライするって手もあるじゃないか)


 安全にスタート地点までもどれる、ひみつのワザが。

 そう考えたら、急にキモがすわってきた。

 もう少し、彼女と話してみるのもいいかもしれない。


「キミこそ誰だ?」

「ホワット?」


 ナイフのが首の皮を押す。


「よく……聞こえなかったが……?」


 さらにキモがドン! とあぐらをかいた。

 そうだ、ぼくは好きなタイミングでやり直せる。

 こわいものなんか無い。


「もう一回言うよ。キミは誰だ?」

「ははっ!」


 金髪で青い目の女の子が、いきなり笑顔になった。

 笑うと、片方の八重歯が口からチラッとのぞく。


「あー楽しい」


 ぼくの前に回って、ニコニコ顔のまま、ナイフの刃先に自分の指をあてた。

 その刃が、にぴょこんと引っこむ。

 おもちゃだ。


「いいエチュードだったな」と、ぼくと肩を組む。「ここ最近では一番の演技だったぞ? 迫真はくしんとはまさにこのことだ」


 そりゃあ……ナイフにびびってる部分はマジだったからな。


「で、キミは誰?」

「おいセナミ、それはもういいって」にぃ、と笑ってまた八重歯が見えた。

「ぼく、キミの記憶がないんだよ」

「オゥ……」


 金髪の女の子がぼくの手をひいて、自習用のテーブルがあるところまで早歩きで移動した。

 イスを手にとり、くるっと回してイスの背中を手前にし、ぼくに向かって足を大きく広げて座る。大胆な姿勢だ。ちなみに、彼女のスカートの奥はイスの背中に絶妙にガードされてて不可視。

 とりあえず、ぼくも座った。


「セナミ。ベストフレンドのワタシを忘れるなんて、ひどいじゃないか」


 彼女の眉尻まゆじりが、悲しそうに下がった。


「この学校を選んだのは、あなたがいるからだぞ? ミッション系のお嬢様学校に入れって、ほんとウルさかったんだから、親が」


 ヘンな語順ごじゅん……言葉の順番だな。

 もしかして、見た目のとおり、外国の人なんだろうか。

 赤いスカーフのセーラー服をカンペキに着こなしてて、最高に似合ってるけど。

 不思議そうに彼女をながめていると、その何倍も好奇心に満ちた目で、ぼくをじーっと見つめ返してくる。 


「……ジョークじゃなさそうだな」

「はい」


 OK、と彼女はめっちゃいい発音で言った。


「ならば仕方ない。自己紹介からいくか。ワタシは北市きたいちすみれ。セナミは、ワタシの大事な友だちだ。生まれはこの国だが、この国の血は入っていない。親が両方とも帰化してるから、名前が外国風じゃなくて見た目とミスマッチしてるってわけ。ここまでは、よろしいか?」

「はい」

「敬語はよせ。ハートが傷つくからな。ワタシのことも気安く『すみれ』と呼んでくれ」


 OK、とぼくはカタカナ英語で答える。


「交通事故にでもあったのか?」

「いや、ちがうんだ」

「暴漢に襲われたか?」

「ちがうって」


 小さく肩をすくめる。ハリウッド映画の俳優が「やれやれ」でやる動作だ。とてもサマになっている。


「セナミ。なんだかんだいって、からかってるんだな、ワタシを」


 それが……と説明しようとしたそのとき、


「あー」

「やっと思い出しましたよ、セナミくんのID」

「さすが私の記憶力(*^^*)」

「とか言ってる場合じゃなくて」

「もうっ‼(>_<)」

「どーしてリトライしちゃってますかっ‼」


 スマホがブルった。

 確認すると、スミコからラインの乱れ打ちが入っている。


「こんなにくり返してたら、180秒のキスなんかできませぬぞ?」

「理由はよ」

「ふふふ」

「授業中にほかのクラスの友だちにラインなんて……」

ようキャじゃ~~~~!」


 何秒おきかでメッセージがくるので、こっちから返すスキがない。

 北市さんが、おもむろにイスから立ち上がった。

 でも画面をのぞきこんでくることはせず、腕を組んでぼくに質問する。


「それセナミのフレンドか? ガールフレンド?」

「うん、まあ……」

「捨て置けないな、それは」

「あっ」


 イナズマのはやさで、スマホをうばわれた。


「中間テストも終わり、文化祭の直前。教師もたいした授業はしていまい」

「すみれさん、返して下さいよ」

「ほう。さん付けで呼ばれるのもわるくないな。だが、すみれと呼べ、ワタシのことは」

「何を打ってるんです?」

「挑戦状かな」


 ぽい、とすみれがスマホをぼくにほうる。

 画面をみると、


「授業サボって図書室にきてくれ」


 と。

 そこから、スミコの返信はきていない。


「話のつづきだ」と、また大股おおまたをひらきイスの背を両手で抱くようにして座る。「考えたくはないが……なにか、よくない病気にでもなったのか?」

「健康そのものです。ピンピンしてます」

「記憶はどこへ行った?」

「それは、ぼくが知りたいですね……」


 はぁ、はぁ、と息切れがかすかに聞こえる。

 まさか。

 きたのか、スミコが? 授業をサボって?



「セナミ君!」 



 入り口の自動ドアのところに、彼女が立っている。

 走って髪が乱れたせいか、前髪が横に流れ、片目だけが見えていた。

 相変わらず、とんでもなく美形の目だ。あれだけ恵まれた容姿なのに、クラスではいんキャつぼっちなんて信じれない。

 はーはー、と下を向いて息をととのえて、ぼくのほうにけてくる。


「大丈夫ですかっ⁉」


 ん?

 おかしいと思ってスマホを確認したら、


「大ピンチなう」


 ってメッセージが「授業サボって~」の前に送られていた。


「まあ、一次審査は通過というところだな」

「審査とな……。誰です? こちらのステキなおかたは?」

「なかなか個性的なヘアスタイルをしている」


 すでにスミコの目は前髪の奥にかくれ、いつものメカクレ女子にもどっていた。

 北市さんが立つ。

 意外と上背うわぜいはなくて、スミコのほうがちょっとだけ高い。


「ピンチにかけつけるのは、友人なら当然だ。そうだな?」

「ふぇっ……? セナミ君、どーいうことです? 彼女は一体……」

「その前に」と、ぼくは立ち上がった。「この人に説明しよう。今の、ぼくたちの状況を」


 一人からより、二人から話されるほうが説得力があるはずだ。

 一から、パラレルワールドのことを打ち明ける。

 意外にも、北市さん……いや、すみれに疑う様子はない。


「アイシー。理解した。簡単なことだな」


 ぼくとスミコが「?」と顔を見合わせる。


「見届けてやる。どうぞ」


 手を、クロスさせた。右手はスミコを指し、左手はぼくを指して。


「さあ」

「いや、さあって……」

「セナミ」

「はい?」

「ワタシはあなたと最高の友だちでいたい。だからキスはできない。キスは、特別な感情がわくと言われているからな」


 雲行きがあやしくなってきた。

 なんとなく、飲み込めてきたぞ……。


「最良の解決策としては、あなたがた二人で口づけする。それしかあるまい」


 やっぱりかっ!

 その可能性は、じつは少し考えたんだよ。

 でも……キスっていうのは恋愛感情ありきだから……こんなえないぼくとなんか、いやなはず……


「ですよね!」


 まさかの乗り気!

 信じれない。

 スミコは、腕を小刻みに、マラカスのようにふっている。


「……そう思いました。私がガマンすれば、こっちの世界も、もともとセナミ君がいたあっちの世界も、まるくおさまるんじゃないかなー、って」


 ガマンという部分が多少チクっときたが、それよりもうれしさが上回る。

 思いがけない突破口。こんなところにあったか。


「ならば善は急げだ。ほらほら」と、すみれがスミコの背中を押す。「ワタシは、目をつむってるから」

「は……はあ……」

「セナミも。何をしている。この子をリードしないか、男なら」

「わ、わ、わ……」ふかく息をすいこんで「わかったよ」と覚悟をきめた。


 よし。

 ビビってたって、しょうがない。

 やろう。


「あ……あのっ、はじめてなので……やさしく……」

「OK」と言いつつ、早くもぼくの口元はふるえていた。


 スミコの肩に手をおく。

 お祈りをするように胸元で組み合わされている彼女の手。

 じょじょに近づく口と口。

 こんなときは、目をつむるもんだっけ。

 それより、180秒ってどれくらい?

 スマホのタイマーをセットしておくべきだったな。

 あんまり長くすると、彼女はイヤがらないだろうか?

 イヤがったら、すぐにやめるべきだろうか?

 いよいよ、接触の瞬間。

 そこで、



「フリーズ!」



 すみれが叫んだ。

 おどろいて、ぼくの口がちょっと当たってしまった。スミコの口の、ちょい横に。

 キスは失敗した。


「セナミ。入り口に気配がある。誰か、たぶん先生がくるぞ」

「えっ」


 八重歯をチラ見せして、すみれは笑った。

 綺麗な青色のに、なんだか吸い込まれそうだ。


「見せつけてくれる。すこしけるよ、あなたたちが」

「……誰も、こないみたいだけど」

「それはつまり、そういうことさ。それが女心だ」


 どん、とひじでぼくを突く。

 そのあとも結局、図書室には誰も入ってこなかった。 

 なんなんだよ女心って。

 放課後。

 ぼくは確実に誰もやってこない場所までスミコに来てもらって、


「じゃあ……」


 とロングキスをしようとしたが、


「い、いやっ⁉」


 ほっぺをぐーっと押され、拒絶されてしまった。


「あのっ、そのっ、えー……やはりですね……ホカをさがしましょう。ねっ?」

「ホカって」

「セナミ君とそうしたいっていう女の子ですよっ。私では……役不足で失格です」


 このとき「役不足」の使い方が正しいのかまちがっているのか、ぼくにはわからなかった。

 女心も。

 ただ一つ、彼女とキスできるチャンスを失ったことだけは、しっかりと理解できた。

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