ゴール出ん

 ウキウキしている。

 足どりも軽く、気分上々。

 と同時に、とてつもなく緊張している。


(やばい。ぼく、持ってないぞ……)


 アレを。

 アレなんか、まず使うことないと思っていたから。

 アレってコンビニにあるんだっけ?


「どうぞ~」


 家にいて部屋に上げてもらった。

 この世界の〈ぼく〉に親しく接してくれる、二年の先輩。

 むかしから仲良くしてた近所のお姉ちゃん的な存在なのか、おたがいの家もすごく近い。歩いて3分ぐらいの距離だ。


「じゃあ、さっそく始めよっか?」

「え」


 セーラー服の赤いスカーフに手をかけて、シュルッとほどく。

 さっそく……?

 まじか。


「コーくん……」


 赤いくちびるが接近してくる。

 目の前にいるのは、メガネの似合うクールビューティーな年上の女子。

 コー、というのはたぶん、ぼくの名前のわたるを音読みしてるんだろう。

 逆に、ぼくは彼女をどう呼んでいるんだろう?

 呼び方も知らない子と、ぼくは初めての経験を…………


「こら」


 こん、とおでこの上あたりを軽くたたかれた。


「お姉ちゃん、今から着替えようとしてるんだから部屋を出なさい。エッチなんだから」

「……そうでし、たね」

「おかしなコー君」


 くすっ、と笑う彼女に背中を押されて部屋を出る。


(どうも思ってた流れとちがうような……)


 しばらくして「いーよー」と中から声をかけられてドアをあけた。

 そこには、


「お姉ちゃん、スパルタだからね?」


 白いヘアバンドを頭に巻いた、ピンクの上下ジャージの彼女が。

 そして低いテーブルの上に、本が山積みされている。さっきまでなかったのに。


(なんの本だ?)


 東大生のなんとかとか、達人の何々とかあるが、だいたい共通して本のタイトルについているのは〈クイズ〉。


「え?」渦巻く疑問を、ぼくはたった一文字で表現した。

「コー君、私といっしょに来年、ハイスクール・クイズに出るんでしょ? そう言ったよね?」


 ハイスクール……ああ、なんかテレビで見たことある。

 高校生が三人一組でクイズするって内容だ。


「まだ時間はあるけど、日ごろから努力あるのみ。なにより基礎知識をつけとかないと。私、あの番組で優勝するのが夢だから」


 まるいテーブルの向かい側に正座で座って、くいっ、とメガネを敬礼のような手つきでさわる。

 ぼろぼろぼろと崩れる、あわい夢。

 クイズかー……。

 ぼくは、そんなことしてる場合じゃないんだよ。

 180秒のキスをしないと、いけないんだよ。


「問題!」


 彼女が人差し指の先をぼくに向ける。


「人工知能をさす言葉、AIエーアイってなんの略?」

「……」

「ぶー!」


 いや「ぶー」じゃなくて。

 数秒前までいだいていた、健康な男子高校生の夢を返してくれ。


「正解は、AアーティフィシャルIインテリジェンスでした。あれ? 同じ問題、前は答えられてたよ?」

「ごめん。ド忘れで」


 頭では、まだ引きずっている。

 夢を。

 ぜいたくは言わないからキスだけでもさせてくれないものだろうか?


「コー君、もしかしてコンディションがよくないのかな?」


 すこし下にさがったメガネのまま、上目づかいで聞いてくる。

 それだけでも魅力的なのに、意図的かいなか、テーブルの上にのせられてやわらかさが強調されている二つの豊かな胸。

 理性が飛ぶよ。しっかりしてないと。

 そこでラインがきた。

 ともにパラレルワールドからの脱出を目指す、パートナーのスミコからだ。

 みじかい一言。


 押し倒せっ!


 と。

 信じれない。

 それは反則だろ。


「コー君にライン? 誰からなの?」

「あ、いや……友だちです」

「男子?」

「えーと」ここは、正直じゃなくてもいいか。「そうです」


 ふうん、と言って彼女は部屋を出ていった。

 静かになる部屋。

 弱めの床暖房をいれているのか、床があたたかい。

 部屋を物色とかよこしまなことをたくらむヒマもなく、トレーにジュースが入ったコップをのせて、すぐもどってきた。

 リンゴのジュースだ。


「コー君、悩み事でもあるの?」


 すすす、と彼女が間合いをつめてくる。

 ぼくの右横に座る。

 甘い香り。


「じつは……」

「うんうん」

「キス、したいんです」

「うん?」

「しかも180秒の長さで」


 絶句した。「あ」の形であいた彼女の口が、ふさがらない。

 さすがに打ち明けるのは時期尚早だったか……。

 カチカチとなる時計の音。

 カランとなるアップルジュースの氷。

 逃げ出そうかと思っていたところに、意外な返答をもらった。


「お姉ちゃんが……その相手でもいいの?」

「えっ」


 彼女は立って、テーブルの向かい側にもどった。

 メガネに敬礼のようにさわる。


「とか言って。そんなことしたら、ヨリちゃんにうらまれちゃう」


 ヨリちゃん?――あ、幼なじみの遠藤えんどう寄子よりこのことか。


「あの子は一途いちずだから……」


 テーブルの上の本を片づけ、そこからは遠藤さんの話になった。

 おかげで、いろいろなことが判明する。

 ぼくと彼女が小学一年生からのつきあいであること。遠藤さんは、ぼくを家族みたいに思っていること。たくさん男子に告白されているのに彼氏をつくろうとしないこと。

 思いがけない好機で、〈誕生日〉、〈すきな食べ物〉、〈得意な教科〉など知りたかったことをぜんぶ教えてもらえた。

 どうやらぼくは、


 よっこ


 と彼女を呼んでいるらしい。

 この〈お姉ちゃん〉の名前もわかった。

 城之崎きのさき水鈴みすず

 直接本人に聞いたわけではなく、家の表札と、部屋のネームプレートの両方で確認できた。


「また遊びにきてね~」


 大人の階段を上がるのも、大人のキスもできなかったが収穫はあったぞ。

 おかげで、今回の〈11月1日〉は強制リトライにならずにすみそうだ。


 ◆


「まー当然だよね」

「当たり前だろ、よっこ」


 ぼくはさっそく、遠藤さんをそう呼んでいた。

 今、ベストカップルコンテストの予選が終わったところだ。

 ぼくたちは予選をトップで通過した。


「やっと、らしくなってきたじゃん」


 と、彼女も上機嫌。

 体育館から校舎につながる連絡通路を、いっしょに歩いている。空は真っ赤な夕焼け。


「昨日のおまえって、なんか別人みたいだったよ? 放課後のあれには、笑わせてもらったけど」


 チュッと彼女は投げキッスの仕草をする。

 かわいい。

 すれちがった体操服姿の男子のグループが、全員彼女のほうを見ていく。

 気がつけば、窓から彼女を見てる男子もいた。


「ところで、さ」


 荷物をとりに戻った教室にはちょうど、誰もいなかった。

 いるのは、ぼくたちだけ。


「昨日のこと……ちょっと考えたんだけど――」


 遠藤さんが、ぼくのほうに歩いてくる。

  

「あれ、どこまで本気だったの?」

「あれって、キスのこと?」

「……ばっ⁉ バカっ‼ はっきり言うなよっ!」


 顔を横にふって、ショートボブが遠心力でゆれた。

 横顔のままで言う。


「……しても、いいけど」


 はっきり聞こえたのに「えっ」と聞き直した、ずるい自分。

 あるいは時間かせぎかもしれない。心の準備をするための。

 思わぬ事態だ。

 遠かったゴールが、一気に目の前に出てきた気がした。


「いいよ。キス……。その代わり、私を一番にしてくれる? ワタルが好きな子よりも」

「コー君」


 突然、出た。

 教室の入り口に、城之崎さんが夕日の逆光を受けて立っている。

 気のせいか、毛先のカールが昨日よりも気合が入っているように見えた。

 いやそれより、どうしてここに?

 ずんずん教室に入ってくる。


「問題!」と、指先をぼくに。

「えっ」こっちはマジの聞き返し。

「コー君は、お姉ちゃんとヨリちゃんの、どっちが好きなんでしょう?」


 なんてことを聞いてくるんだ。クイズじゃないし。

 答えにくいというか、答えられない。


「ど、どっちも……です」

「ぶー」


 城之崎さんは、くちびるを突き出す。 


「不正解」

「わっ」


 ハグされた。

 また「ぎゅう~~~~」という音つきで。

 急展開すぎて理解が追いつかないが、気持ちはいい。


「正解は『お姉ちゃん』…………でしょ?」

「ちょっ、ちょっと水鈴みすずさん? 何してるの? どういうこと?」

「ヨリちゃん。あのね」


 ハグをやめて、ぼくの横にならぶ。


「コー君、私がもらってもいーい?」 

「それは……ダメだよ」

「どうして?」

「どうしてって……ワタルは」胸元に手をあて、強いまなざしを城之崎さんに向けた。「ワ、ワタルはダメっ! だって……私の大切な幼なじみなんだからーーーーーっ‼」

「――――きいてる?」


 なっ。バカな‼

 またスタート地点にもどったぞ。

 

「き・い・て・る?」

「……きいてた」

「なんで過去形? ま、いいや、あのマンガさっさと返してよね」


 まいったな……。

 となりのクラスで、スミコも同じようにもどってきてるはずだ。

「どーしてリトライしちゃったんですかっ!」って、また怒られるだろう。

 遠藤さんが遠ざかり、親友の広仲ひろなかが話しかけてきたあと、一人になったタイミングでスマホをチェックした。


(こんなの……あったっけ?)


 すでにチェックずみの、


 10月31日 17:00 校門前で彼女を待つ


 のひとつ前に、


 10月31日 二時間目の授業をサボれ


 と書かれている。

 あやしい。

 これはムシしちゃいけない気がする。

 サボろう。

 一時間目の休み時間に教室を出て、なんとなく、足は図書室に向いて、



「セナミ」



 そこでぼくを知っている女子と出会った。

 彼女の背後でゆれる白いカーテン。

 金髪で青い目。

 片言かたことみたいなイントネーションで、外国の人が「テンプラ」って発音する感じで口にした。


「セナミ。会いたかったぞ」


 握手を求めてきた。

 やわらかい手だ。

 手をとったまま、高速で体を回転させ、ぼくの背中に回る。

 そしてキラっと光る刃物が、ぼくの首につきつけられた。


かくしてもわかる。キサマは、ワタシのよーく知っている、セナミではない」


 ナイフ!

 信じれ……るかっ! こんなの!

 う、動くと首が――


「言え。キサマは誰だ?」

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