トライ有る

 大爆笑している。

 クルッと背中を向けると、すぐに肩が小刻みに動いて「あははは!」とおなかをかかえて笑い出した。

 この反応は予想できなかった。

 人気ひとけのない場所に呼び出される、からの「キスしてくれ」という突飛とっぴな要求。

 だいたい、


 ◎=しょうがないなあ……うん……いいよ

 〇=いいけど……こんなところじゃ、ちょっとね

 △=いやだよ。私たち、つきあってないんだし

 ×=バカっ‼(ビンタつき)


 こんなところだと思っていた。

 もとより、目的はキスではない。

 彼女――幼なじみのようにふるまう女子、遠藤えんどう寄子よりこさんがぼくをどこまで許してくれるのかが知りたかったんだ。

 結果が、これ。


(もしかしたら……親しいといってもかなり〈友だち寄り〉なのかもな)


 とにかく、彼女の笑いが落ちつくまで待とう。

 笑っているのをいいことに、ぼくは遠藤さんの体をじろじろと観察した。

 身長は女子の平均よりちょっと高めで、細身。ただし、スカートからのびる足はほどよく引き締まっているようだ。運動部だろうか? 靴も、革靴ではなくスポーティーなスニーカーをはいている。

 髪はサラサラのショートボブで、

 くりくりしたキュートな丸い目。

 さらに、女の子をかわいく見せるのに最強の衣装ともいえるセーラー服なんか着て。

 キャワだ。おそろしくキャワ。こんな子が、ほんとにぼくの幼なじみか?


「はーあ……」


 指で目元をこすりながら、ゆっくりとぼくのほうに向く。


「今までワタルがボケた中で、いっちゃんおもろいじゃん!」


 ばんばんと肩をたたかれる。

 愛想笑いして、ぼくは「まあな」と言い返した。

 彼女の胸元の赤いスカーフが夕凪ゆうなぎでゆれる。


「それで、その……キ、キスは……」

「へっ?」

「いえ、なんでもないです」

「なんで敬語キャラになってんのよ~、おまえらしくないなぁ」


 お――――おまえっ⁉

 はじめて女子にそんなふうに呼ばれた。

 イヤな気は一ミリもしない。ただただ、びっくり。新鮮な衝撃だ。


「そんなにキスしたかったわけ?」

「したかったよ」と、ついナチュラルに言ってしまった。「あ! ちがっ……これも冗談で……」

「百年はやいでしょ」 


 ふっ、と口角の上がるソフトな笑顔を浮かべつつ、遠藤さんはぼくの背後に回った。

 そこから、目にも止まらぬハヤワザで、


「……んっ」


 ほっぺに当てにきた。自分の口を。


「ほら。これでいい?」


 いい。

 精神的には大満足だ。

 が、これではパラレルワールド脱出の条件を満たさない。

 ほっぺにチュッじゃダメだし、なにより、あと179秒足りない。


「…………ずいぶん不満そうじゃん。ワタルのくせに」 

「そんなことないけど」 

「まさか、本気でガチのキスしようと思ってたの? ここで? 私と?」


 遠藤さんはあきれた表情で両手を腰にあてた。

 雰囲気的には、もう試合終了だ。ここからネバったって、たぶん何もいいことはない。

 まずまず、いや、予想以上の収穫があった。

 遠藤さんは「キスしてくれ」とお願いしたら、ほっぺにはしてくれることがわかった。

 シンプルにうれしい。

 さて――今後どうするか、だな。

 そこで、彼女は蜘蛛の糸を垂らすみたいな一言を口にする。


「んー、土下座でもされたら考えたかもだけど……あ! 今からしたってダメよ?」


 ぼくの判断は早かった。



「リトライ!」



 一日を巻き戻す。

 確実じゃないにしても、わずかな可能性にけてみたい。

 おそらくこの世界で、ぼくと〈180秒〉の長くディーブなキスをしてくれるのは、彼女しかいないんだ。

 放課後、同じ場所に呼び出して、秒で土下座した。


「ぼくとキスしてくれっ‼」


 と、今度は大爆笑どころか、完全なドン引き。


「えぇ……ウソでしょ……」


 イタいヤツを見る目。

 なんということだ。信じれない。


「これってばつゲーム? それとも誰かにやらされてる?」

「100%自分の意志だ」

「ほんとに?」


 ぼくを可哀かわいそうに思ったのか、またしても蜘蛛の糸が垂れた。


「うーん……キスはしないけどさ、もし、ハダカで土下座してくれるぐらい思いきってたら――」

「リトライ!」


 彼女の言葉を鵜呑うのみするのも、よくないとは思う。

 だが、とにかく、いろいろやってみるしかないんだ。トライあるのみだ。

 夕方の体育館の裏で、ぼくが服を脱ぎはじめた時点で、いやーっ! と逃げ出した遠藤さん。


「リ、リトライ……」


 だめだ。

 おかしなルールで、あくまでも〈元気よく〉じゃないと無効らしい。

 ええい、


「リトラーーーイ‼」


 いったん冷静になるか。

 その日の朝に戻り、昼休み、食事もとらずにぼくは校内をブラブラ歩いていた。


(かわいい幼なじみに、気のいい親友がいて――)


 ぼくは昔から、一つのことが長続きしない。

 勉強も、趣味も、努力も、人間関係も。

 そのぶん新しい環境への適応は、早いほうだと思っている。

 つまりもうすでに「こっちの世界でいいか」とか思いはじめているんだ。

 けっこう真剣に……。

 ぶっちゃけ、元の世界ではぼくは〈ぼっち〉だし。

 不都合がないなら、こっちでいいような気がする。

 がんばって帰還しようってモチベがなー…………


(いや。ここで心が折れたら、メリバだ!)


 メリーバッドエンド。

 メリーはクリスマスとかに使うアレで、陽気な、とか、たのしい、って意味。

 メリバは、自分だけはハッピー、けど第三者からみたらバッドエンドっていう状態だ。

 これを回避するには、


「あっ、ごめん」

「てめー、どこみてんだオラっ!」


 胸ぐらをつかまれた。

 考え事で、背景ごと人間も見えていなかった。

 迷子になるほど広い学校じゃないけど、勝手かってを知らない学校だしな……ここはどこだろう。


「おい! きいてんのか!」


 めんどくさいな……。

 リトライするか?

 不運なことに、ちょいギャル系のヤンキー感がある女の子につかまっている。横には女子トイレがある。おおかた、彼女が廊下に出たところで、ぼくがぶつかってしまったんだな。

 胸のふくらみを目指すように蛇行だこうするロングの茶髪。カフェオレみたいな色。

 赤いジャージを着ていて、ジッパーをけっこう大胆にあけている。インナーの白Tにける紫のブラのチラ見え確認。


(よく見ると、きれいだ)


 二重のすずしい目元は賢そうな印象で、ほどよく日焼けした肌は健康的な印象。

 そして、ぷるん、と少しれたピンクのくちびるが、心なしかズームされてぼくの視界に入った。


「キスしていいですか?」

「は、はぁっ⁉」


 いかん。逃げろ。

 何を言っているんだ、ぼくは。

 頭の大部分が〈キスすること〉でいっぱいだからって、そんなの言いわけにはならないぞ。


「リトラ……」


 ちょっと待て。

 リトライはいつでもできる。

 もう〈今日〉をやるのにも飽きてるから、そろそろ〈明日〉にすすみたい。


(追いかけては――こないな)


 ならし。

 こっちには一週間と半日の時間があるんだ。

 幼なじみの遠藤さんにマトをしぼって、引き続き、もっともっと試行錯誤してみよう。


 ――翌日。


 校門の前が、ザワついている。


女帝じょていが待ち伏せしてるぞ」


 そんな声がきこえてきた。そのあとも、なんども「女帝」というワードが耳に届いてくる。

 女帝?

 おおげさなあだ名だな。

 この学校の、女子の番長的存在なのか――――


「てめーっ‼」


 びしーーーっ、とピストルみたく突きつけられた指の先には、ぼくがいる。 

 昨日、廊下でぶつかった女の子だ。子……? いや、もしかしたら、学年が上の先輩かもしれない。

 彼女が女帝?


「やっと見つけたぞ」

「あ、あの」

「『あの』じゃねー、覚悟はできてんだろうな」


 再現するかのように、ふたたび胸ぐらをつかまれた。


「………………名前はなんていうんだよ」

「えっ」

「名前だよ名前」

世並せなみです」

「せ、せなみぃ~~~? ちっ、ふざけた名前しやがって」

「世界の世に、牛丼並の並です」


 と言ったら、意外にもくすっと笑ってくれた。

 目が細くなる、愛嬌のある笑顔だ。


「わっ、笑ってねーし」


 何も言っていないが、ぼくが「笑ってますね」と言いたげな目つきをしていたのかもしれない。


「まーいい。世並な。おぼえといてやる」


 まだ、つかんだ手をはなさない。

 レモンかミカンか、それ系のいいにおいが彼女の体からしている。


「……アレはふざけて言ったのか?」

「アレ?」

「アレだよアレ」

「キスですか?」

「キスだよ!」


 ざわっ、と周囲がいた。


「フツーじゃねえ……まさかこのアタシに、あんなことを口走る野郎がいるなんてな」

「理由があるんです」

「理由だと?」


 そのとき、「あのっ!」と女の子の声がカットインしてきた。

 天の助けだ。もしや遠藤さんか?

 ぼくと、ギャルヤンキーの彼女が、同時にそっちをみた。

 そして同時に言った。


「――誰?」

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