180秒のキスで、パラレルワールドから帰還できますか?

嵯峨野広秋

チューとリアル

 ギャン泣きしている。

 見たことない、いい香りのする女の子が。

 着てるのは赤いスカーフのセーラー服。

 どうしようかと迷っているうちに、ふと彼女の泣き声がんだ。

 流れ落ちる涙をふこうともせず、ずーっ! と、いきおいよく鼻水をすすって、


「ゔ~~~~~~~~~~~っ‼」


 胸に顔を押しつけてきて、また大泣きをはじめる。

 なんなんだよ、これは。

 泣いてるキミは誰?

 ここはどこ?

 女の子はぼくと密着したゼロ距離のままで言う。


「あと少しだったのに……ごめん……私のせいで……」

「いや、その」

「また私にキスして」

「え?」

「お願い……あれ……セナミくん?」


 急に様子が変わった。

 とくに目つき。知らない人を見るような目。


「そうか……。前に言ってたアレが、これからセナミ君の身に起ころうとしているのね……ああっ、私はなんてことを!」


 両手で顔をおおってしまった。

 声をかけてあげたいけど、ぼくはこの子の名前すら知らない。

 不思議な感覚だ。

 一秒前まで見ていたのに、もうこの子の顔を忘れている。

 その、彼女の髪型も服装もポーズも、背景の景色も何もかも、たしかに見えているのにまったく頭に入ってこない。


「ねえっ‼」


 両手を、両手でにぎられた。

 あったかい手だ。それに、しっとりしている。


「ムリなお願いだけど、私を忘れないで」


 え


「私はずっと、あなたのことが好き」


 ちょっと


「私の名前は――――」

「―――――きいてる?」


 ざわざわした朝の教室。

 どこにでもあるような、窓が南向きで、前後に黒板のある空間。

 なのに、見おぼえがあるアイテムは一つもない。

 固有名詞を知らないものばかりってことではなく、どれもすべて〈はじめて見る〉。

 時間割も……見るかぎり高一の授業内容っぽいけど。

 突然、ずい、とかわいい女の子の顔が視界いっぱいに入りこんできた。つまり近い。


「き・い・て・る?」

「……ごめん。きいてなかったです」

「敬語! わざとか、それ?」


 ぼくの席の横に立っている女子が、両手を腰にあてた。

 髪はショートボブで、瞳は少し茶色い。


「昔からワタルはそーゆーとこあるよねぇ。ツゴーわるくなると敬語つかって距離とるっていうかさー」


 この子は、ぼくの名前を口にした。

 ぼくは、この子の名前を知らないというのに。

 初対面から男子を呼び捨てにする女の子なんか……まあ、広い世の中にはいるか。

 でも、そういうんじゃないんだ。

 なれなれしいとかじゃなく。

 とても自然な、ぼくをずーっと〈知ってるよ〉って空気が出ている。

 さらっと「昔から」とも言ってたし。


「まあいいや。あのマンガ、はやく返してよね?」


 と、彼女は行ってしまう。進行方向を目で追うと、彼女の友だちらしき女子のグループが手をふって呼んでいた。

 みんな……誰?

 ぐるっと見渡したが、一人も知っている顔がいないぞ。

 肩に手がおかれた感触。

 ふりかえれば、


「おう、朝っぱらから夫婦ゲンカか?」

「夫婦? ぼくが?」

「あー寝ボケてやがんなー。セッちゃん、昨日の夜、一人でがんばりすぎたんじゃねーの?」


 知らない男子がいる。

 短髪で、真ん中を鬼のツノのようにトガらせたヘアスタイル。肩幅が広くて、体つきはがっしりとしている。

 学ランのボタンは全開で、中は真っ赤なTシャツ。けっこう不良っぽい。


「どしたんセッちゃん、ボーっとして」

「いや……」

「そういうときは亜鉛とるといいって言ってたぞ、亜鉛を」


 なにがだよ、とちょっと怒って言うと彼は「かかか」と機嫌よく笑った。

 そして開始する授業。

 そろえたおぼえのない教科書、参考書、ノート類のおかげでソツなく一日をすごせたものの…………


(おかしい)


 この違和感。

 知らない学校――と思っていたのは、ぼくが通っていた(はずの)高校だった。教室の中なんかはまるでちがうのに、建物とってる位置は同じだった。おかげで、とりあえず家には帰れそうだ。

 しかし、記憶と異なるクラスメイトたち。


(おかしいおかしい)


 帰り道でコンビニに寄る。

 山積みになっている雑誌を目にして、あらためて今日が〈月曜日〉であることを再確認する。

 その雑誌を手にとり、おもむろに立ち読みをはじめる。


(このへんは……おかしくないな)


 記憶と合致。

 マンガの内容や進み具合には、ちっとも違和感ナシ。

 ほかにもテレビの雑誌などをパラパラとめくったが、おおむね知ってる芸能人ばかりだった。


(じゃあ、なんで〈学校のクラス〉だけをおかしく感じるんだろう……)


 じつに奇妙だ。

 夢か?

 とびっきりリアルな夢?


「おしい!」


 びくっ、と思わず肩が上がってしまった。

 いきなり、近くで大声を出されたから。

 ぼくと同じように立ち読みしていた女の人が、まあまあのボリュームでひとりごとを言った。

 さりげなく、横歩きで距離をとる。

 ……やばい人かもな。ちらっと横目でみると、


「ねっ? それが、まさしく今のあなた。正常な世界とズレた〈おしい〉世界にいる」

「あの……」

「こういうの、はじめて?」


 OLさんみたいなスーツ姿の女の人がいて、ぼくに顔を近づけてくる。

 人生ではじめて見るレベルの、すっっっごくきれいな人だ。


「……んっ」


 いや「んっ」じゃないでしょう、出会って数秒で。

 冷静なぼくが、彼女の「んっ」につっこむ。

 実際問題、冷静どころではない。

 熱い熱い、キスをされてる。

 口と口をくっつけるヤツ。

 信じれない。

 ぼくの中では「信じられない」よりも強い表現の、ら抜きの「信じれない」。

 信じれない。

 キスって……

 あ、頭が……

 体も熱くなってる。

 両腕の力が抜けて、まっすぐダラリと落ちた。

 逆に、天をめざして垂直に立ち上がる体の一部。

 気持ちいい! よすぎる! 最初の瞬間こそイヤだと思ってけようとしたが、今となっては、なんでそんなことをしようとしたのだろうと思う。こんなにすばらしいのに。

 舌も乱戦。

 こうやって動かすの、と教えるかのごとく、向こうからバリッバリにめてくる。

 も、もうダメだ。

 ぼくの理性の最後のひとカケラが消える、その寸前で――


「はい終わり。これが180秒。つまり3分の長さだね。だいたいカップめんが出来上がるまでの長さかなー」

「…………えっ」


 ぼくは放心状態。


「元の世界に帰りたかったら、こうやって女の子と180秒のキスをしてね。期限は一週間と半日。こっちもちょうど180時間なのだ。おぼえやすいでしょ?」


 女の人は、また立ち読みをはじめた。

 棒立ちのぼくを置いて、横顔を向けたままで言う。


「反則ぎみのことをしたらペナルティがあるゾ。記憶全消去の上、スタート地点からやり直し。ね?」

「あ……」

「ちゃーーーんと正攻法でやってたら、記憶を持ち越せて、だんだん有利になるからさ」

「ぼ……」


 ぱたん、と雑誌をとじて元にもどして、女の人がこっちに向く。


「理解オッケー? もし『んだーーー‼』って思ったら、180時間が過ぎるのを待たずに再挑戦できるのだ。こう」


 女の人の手が、ぼくのまぶたにやさしくふれる。すっ、すっ、と片目ずつに。

 世界が暗転。

 まだホカホカの口元。

 残像で浮かぶ、きれいな顔とキュートなアヒルぐち


「目をつむってね、元気よく『リトライ!』って叫ぶわけ。初回はこちらでやってあげるから」


 で、ここがコンビニということを忘れるぐらいの大声で、


「リトライっ‼」


 女の人が言った。


「あなたの帰還を祈ってるからね――――」

「―――――きいてる?」


 ざわざわした朝の教室。

 デ……デジャブだ。

 黒板のわきに書かれた日付は10月31日。

 信じれない。

 まぎれもなく〈今日〉だ。現実リアルな〈今日〉の朝だ。

 突然、ずい、とかわいい女の子の顔が視界いっぱいに入りこんできた。近い。さっきしたばかりのキスを思い出す。


「き・い・て・る?」

「……うん。きいてる」

「絶対ウソ! 私、わかるんだからねっ!」


 ぼくの席の横に立っている女子が、両手を腰にあてた。

 髪はショートボブで、瞳は少し茶色い……〈今日〉とまったく同じ外見だ。


「昔からワタルはわかりやすいウソつくよねぇ。その場しのぎが身にみついてるっていうかさー」


 彼女の名は、遠藤えんどう寄子よりこ

 どうやらぼくの幼なじみらしい。そうとうつきあいが長いことが、今日一日の学校生活でわかった。


(親しい関係の女の子は、たぶんこの人だけだな。つまり……)


 放課後、彼女を体育館の裏に呼び出した。


「ちょっと! 私に話って、なんなのよ。教室じゃできない話?」


 うん、とぼくはうなずいた。

 日陰で暗い場所。

 そろそろ冬が近いかなと思わせる冷たい風が、ときおり吹いている。

 空は夕焼け。

 仲のい男子を目の前にしたような遠藤さんのやさしいまなざしに甘え、勇気をだして言った。


「ぼくとキスしてくれないか?」

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