第6話:現実

 俺と奏は家を出ると、当初の予定通りに最近良く使っている、お客さんがほとんどいない近所の喫茶店に入った。ホットコーヒーを2つオーダーすると、奏が俺を心配そうに見つめてきた。



「ゆーくん。準備はいいですか?」



『準備』この一言の中で、奏はたくさんの思いを込めているのが伝わってくる。そんな声に後押しされて、内心では怖くて仕方がなかった俺は、意を決してスマホのアプリを立ち上げた。




 -




 スマホに映し出された映像には、俺たちが部屋にまだいるときと同様に、ゲームの対戦をしている2人が映し出された。



『もう。また負けてしまったわ』


『へへっ、羽月相手なら負ける気がしないな』


『なんかムカつくわね。はぁ、まぁいいわ。ちょっと休憩しましょ』



 そう言うと羽月はコントローラーを置いて、ベッドに寄り掛かって休憩をした。



(あいつらは俺を裏切ってなんかなかったんだ!)



 普通にゲームをやってる2人を見て、俺は「はぁぁ〜」と大きな安堵のため息を付いて、コーヒーを口に含んで口内の渇きを潤した。



「やっぱりあの2人はなんともなかったんだな」



 俺はそう言ってスマホの画面に目線を移すと、まだベッドに背を預けて身体を休めている羽月が映っていた。光輝はそんな羽月の隣に移動すると、あまりにも自然な動作で腰に腕を回した。



『ねぇ。この間も優李が途中で帰ってきちゃって、危うくバレそうになったのをもう忘れたのかしら?』


『いや、忘れてねぇけどさ、今日は2時間くらいかかるって言ってたし、帰るときはお前にRINEするって言ってただろ?』



 そう言うと光輝は羽月の顔を自分の方に向けて………キスをした。



(は?? ちょっと待て、待ってくれ。これは一体どういうことなんだ)



 俺はその映像を見て混乱し、自分の耳元にあるかと錯覚するくらい心臓の鼓動が大きく鳴り響いていた。



『光輝……』



 羽月は光輝のことをいつも『光輝くん』と呼んでいた。しかし、今映像の中に映っている羽月は、ポーッと蕩けたような表情を浮かべて『光輝』と呼んでいる。



(なんだよ。なんなんだよ。羽月……お前いつから光輝とそういう関係だったんだよ)



 映像の中の2人は、俺のグチャグチャになった心のことなんて関係ないとばかりに、より深く求め合っている。それを証明するように、映像に映っている羽月は、俺でも見たことがないくらいに乱れていた。



(こんな羽月を俺は知らない……)



 いつもは大人っぽく、落ち着いた雰囲気の羽月だったが、今は光輝のことを身体でも言葉でも激しく求めていた。そんな羽月のことを見ながら俺の心はドンドンと死んでいくのが分かった。

 喫茶店の店内は暖房から勢いよく温風が吹き出されていて、本来なら汗ばむくらいに暑くなっているのだが、俺の手足は痺れて冷えていった。それなのに身体中には冷や汗をかいており、全身が震えてきてしまう。



「ゆーくん。もういいよ。もう見るのやめよう」



 そう言って奏はスマホに手を伸ばした。

 そして、耳からイヤホンが外れる間際に俺は聞いてしまった。



『光輝。あなたのが一番好きよ。あなたが私を一番気持ちよくしてくれるわ』



 その言葉を聞いた俺は、胃からこみ上げてくるものがあり、トイレに駆け込んで行った。




 -




「お待たせ! ごめんな、急にトイレに駆け込んで長いこと出て来なくてさ」



 笑顔の俺を見て奏は泣きそうな顔をしている。俺は奏にそんな顔をして欲しくなかった。そんな顔をされると、俺が物凄く可哀想で惨めなやつみたいじゃないか。



「なんで泣きそうな顔してるんだよ。お前は気にすることないじゃん」



 俺がそういうと、奏は顔をクシャクシャにして、必死に泣くのを堪えていた。テーブルに置いたままのスマホを見ると、画面はすでに暗くなっていてさっきまで映し出されていた映像が嘘のようだった。



「まぁ、さ。結果はこんな感じになっちゃったけど、あいつらの疑念はある意味晴れたし? つか、あそこまで真っ黒だったらさ、もう何も言えないよな、さすがの俺でも」



 ハハハっと、笑いながら頭をポリポリ掻いていると、奏が無言で立ち上がって俺の手を引いて店外へ歩いて行った。



「お、おい。会計がまだだぞ」


「もうお会計はしたから」



 奏はそのまま俺の手を引いて走り始めた。俺は混乱しながらも、奏の手に引かれるがまま走り続けていたら、子供の頃から今に至るまで良くお世話になっている花咲公園に着いた。



「無理して笑わなくてもいいんだよ!!!!!」



 公園に入るや否や大声を上げる奏に驚いた。そんな俺を尻目に、奏は地面を見つめがなら大声で続ける。



「あんなの見せられて悲しまないなんて嘘だよ! ゆーくんは優しいから私のことを気遣って何事もなかったかのように話しかけてくれたけど、そんなことあるはずないじゃん!!! 無理して笑って自分に嘘をついて、自分のことを傷つけようとしないでよ!!!」



 肩で息をしながら一気に捲し立てると、奏は顔を上げて俺を見た。俺の目に映ったのは、いつもの可愛いくて見てるだけで元気になれる笑顔ではなく、涙でグシャグシャになった奏だった。



「奏……俺はもうどうしたら良いのか分からないんだよ。あの映像を見て俺はあんな羽月を知らないって思った」



 俺は全身の力が抜けてしまい、その場に膝を着いてしまった。膝立ちの状態で話を続けていると、気付いたら奏も俺と同じ体制になって、正面から俺の目を見つめてきた。



「羽月さ、さっき『光輝』って呼んだだろ。俺たちと一緒にいるときは、『光輝くん』って呼んでたのにさ。あの『光輝』って呼び方が……なんかな、いつも俺の名前を呼ぶときと同じ感じだったんだよ。あんなに優しい目をして、愛おしそうに名前を呼ぶ羽月を知ってるのは、俺だけだってずっと思ってたんだけど、そんなことはなかったんだな」



 俺は弱々しい笑みを浮かべながら続ける。



「あいつらはさ、何も知らない俺のことを見てなんて思ってたんだろうな。騙されていることにも気付かないバカだって影で笑ってたのかな。最後にさ、羽月が言った言葉を奏も聞いたか?」



『光輝。あなたのが一番好きよ。あなたが私を一番気持ちよくしてくれるわ』



「なんかさ、あの言葉を聞いたら全身の力が抜けちゃってさ。最初は怒ってたんだよ。あのまま乗り込んで光輝を殴って、羽月を罵倒してグチャグチャにしてやりたかったんだよ。だけど、徐々にそんな感情すらなくなっていって、もう消えてしまいたいって思ったときにあの言葉を聞いてさ、俺の今までの羽月に向けてた愛情や行動の全てを否定された気がしたよ」



 すると今まで黙って聞いていた奏が、俺の頭に手を回して抱きしめた。



「ごめんね、ゆーくん。あのままだったらゆーくんが壊れちゃうと思って、それだったら吐き出した方がいいと思って煽るようなこと言っちゃった。苦しいよね、悲しいよね。けど今は私しかいないよ。だから無理をしないで。ゆーくんの今の気持ちを私にぶつけて……」



 俺はその言葉に甘えて、号泣しながらあいつらに向けた負の感情を奏に浴びせ続けた。喉から血が出るくらい大声を張り上げた。

 どれくらい時間が経ったんだろう。気付いたら周りは暗くなっている。俺たちはベンチに移動して、無言で座り続けていた。



「……あっ………、そういえばあいつらに2時間くらいで戻るって伝えてたな」


「大丈夫だよ。喫茶店から今日は遅くなりそうだから先に帰ってって伝えといたから」


「そっか……。ありがとうな、奏。そしてごめん。こんなことに巻き込んじゃって本当に申し訳ないと思ってるよ」


「ううん。私の方こそ、ごめんなさい。だって私がこんな提案をしなかったら、ゆーくんはひょっとしたら気付かずに幸せでいられたのかも知れないし」


「いや、この先も騙され続けなくて本当に良かったと思ってるよ。結果は最悪だったけど、奏への感謝の気持ちは本当だよ」



「ごめんなさい」と謝りながら大粒の涙を流す奏の頭を撫でながら、俺は真っ黒な空をぼんやりと眺めていた。

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