第2話 いんがおうほう
中学に入り、最初の夏。
同じクラスに、好きな人が出来た。
奥原君っていう、ちょっと地味で小柄だけど体操が得意で、半袖ワイシャツがよく似合う爽やか系男子。
女子からも密かに人気があるって分かってたけど、それでも私だってきっと、奥原君を振り向かせてみせる。そう思っていた。
夏休みが終わり、2学期最初に席替えがあった。
すると何と、私と奥原君は隣同士になってしまった!
クラスの女子たちの羨望の眼差しを何となく感じながら、私は内心喜び勇んで新しい席に向かった。
だけど──
私が着席した瞬間。
奥原君は、何も言わずにじろりと私を睨みながら、自分の机を一気に30センチほども私の机から引き離した。
憧れていたはずの爽やかな眼差しはそこにはなく、ただ、軽蔑に溢れた黒い目が私を眺めている。
何も言わずとも、その表情ははっきりと語っていた──
お前の顔なんか、見たくもないと。
私がいくら机を元に戻そうとしても、奥原君はそのたびに席を離し続けた。
彼が教科書を忘れても、決して私と一緒に教科書を読もうとはしてくれなかった。
そんな私と奥原君を見て、クラスのみんながどうしたかというと──
奥原君に嫌われるようなことをした奇崎さんが悪い。
いつも無口で、何考えてるか分からない。みんなの輪の中に入ろうとしない、気持ち悪い。
だから奥原君だって、奇崎さんを毛嫌いしたんだ。
あっという間にそんな噂が広まり。
あっという間に、私はクラス中から無視されるようになった。
クラス中から嫌われるようになっても、奥原君から無視され続けても。
私はどうしても、奥原君がそこまで私を嫌う理由を知りたかった。
だって私は、何も悪いことなんかしてない。小学校ではとてもみんな仲が良くて、みんなあれだけ強い絆で結ばれていたのに──
結束していた6年3組は、中学になったらみんなバラバラの学校になり、クラスもバラバラになってしまった。仲が良かった子たちは大体クラスを離され、同じクラスにいる元6年3組は僅かに数名。それも、大して話もしていなかった子ばかり。
その子たちも、私が無視され始めると当たり前のように無視を始めた。
でもいいの。だって私は、何も悪いことなんかしてないんだから。
奥原君が私を嫌う理由があるとすれば、それは絶対、何かの誤解なんだ。
例えば、誰かが酷いいじめをしていたのを、私がやったと誤解しているだけ。
その誤解さえ解ければ、奥原君はきっと『ごめん』って爽やかに笑ってくれて。
今まで無視してたお詫びに、色々なこと、してくれるかも知れない。
それをきっかけに、一気に仲良くなれるかも知れない。
お詫びにデートとかしてくれるかも知れない。もしかしたら手だって繋いでくれちゃったりするかも知れない。
もしかしたら、ひょっとすると、その先だって──
そう思いながら、私は放課後、ずっと校門の陰で、奥原君を待ち続けた。
他の子たちがいると話がこじれるかも知れない。奥原君が一人になったところを狙って、ちゃんと話をしなきゃ。
そう考えて、私は何日も何日も、彼を待ち続けた。
ある日の午後、いつものように校門で奥原君を待っていると。
そこへやってきたのは桧山だった。クラスでも皮肉屋で有名な男子。
ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべながら私をじろじろ見て、桧山は私に話しかけてきた。
「よー、奇崎ちゃぁん。
また奥原のストーカーかい?」
そんな。
私は奥原君を待ってるなんて、一切誰にも言ってないのに。
慌てて目を背けても、桧山は笑いながら私に詰め寄ってきた。
「あれぇ? 何で知ってるの?って顔だなぁ~
いつまで待ってても、奥原は奇崎ちゃんのトコには絶対来ないから」
その言葉に、私は思わず顔を上げてしまった。
「ち、違う! 私は奥原君にそんなこと……
私、ただ、友達を待ってるだけで……」
「へぇ。奇崎ちゃん、友達いたんだぁ」
「他のクラスにはいるもん!
小学校から仲良かった子が、たくさん!!」
「ふぅ~ん。
今も仲いいんだ。そいつらと」
答えられなくて、黙ってしまう。
当時仲が良かった子たちとは──
離れ離れになってしまった今、ろくに話もしていない。
みんな他に仲のいい子を見つけて、たまに私とすれ違っても、もう目も合わせてくれなくなった。
それを知ってか知らずか。相変わらず気持ち悪い笑みを崩さないまま、桧山は言った。
「ま、どうでもいいや。
ともかくさ──俺、奥原に頼まれたんだ。
奇崎ちゃんをどうにかしてくれって」
なんで。
奥原君に、頼まれた?
私のことを?
「私を? なんで?」
「なんでって……
分かるだろ。キモイからだよ」
──キモイ。
これがどれだけ酷い言葉なのか。自分で言われてみて、初めて分かった。
『気持ち悪い』と、まともな言葉にさえしてもらえない。
人に投げつける言葉としては史上最低の、悪意しかない単語。
「奥原は滅茶苦茶キモがってた。奇崎のこと。
ストーカーされまくってるって、先生に相談するレベルでさ」
既に奇崎『ちゃん』とすら言わなくなる桧山。
その顔には一切不変の、皮肉な笑みが貼りつけられていたが──
細く黒々とした目の奥には、全く光が見えない。感情が読み取れない。
なのに、こっちの動揺は手に取るように桧山には分かってしまうのか。こいつは面白そうに私に揺さぶりをかけていた。
キモがってた? 奥原君が? 私を? そんな馬鹿なこと。
違う。違う、そんなことあるわけない。奥原君はきっと照れてるだけ、照れてそんなことしてるだけ。だってそういうこと、このぐらいの男の子にはよくあることでしょ?
だからきっと、奥原君は私が好きなんだ。好きで好きでたまらなくて、そんなこと言っちゃうんだ。きっとそうだよ、きっと──
「おっと。ありえない妄想に逃げようったって無駄だぜ?
あいつ、奇崎と話すの嫌で嫌でたまらなくて、俺に頭下げてきたくらいなんだから」
容赦なく私の心を砕いてくる、桧山の笑顔。
私は自分でも力がないと分かる声で、反論するしかなかった。
「そんな……私、何もしてないよ!
ただ、何で奥原君が私から離れたがるのか。それを知りたかっただけ。
私、何もしてない。きっと何かの誤解だから、奥原君と話さえ出来れば、分かってもらえるって……」
「ふぅ~ん」
桧山の笑顔が、そこで初めて、消失した。
口だけは笑いの形にしたまま、細い目がぎろりと見開かれる。
白目の中央、小さな丸い黒が陽の光を背に、どこまでも暗く私を見据える。
そして。
「じゃあ 何故 お前は
あいつの友達を
いじめた?」
何を言われたのか、分からなかった。
私がいじめた? いつ? 誰を?
奥原君の友達を? そんなこと、するわけないじゃない。
「そんなことするわけないって顔してるから、教えてやるよ。
覚えてるか? 小学校の時一緒のクラスだった、地村ってヤツ。
あいつって、奥原の友達なんだよ」
地村。
その名前と同時に思い出されたのは、涙が垂れ下がった大きな目。
気持ち悪い声。気持ち悪い臭い。気持ち悪い見た目。
「奥原は体操部でたまたま、地村と仲良くなってさ。
その時に聞いたらしい。小6の時、地村が滅茶苦茶ないじめをクラスで受けてたって。
そのクラス、先公まで率先してあいつをいじめてたらしくて、サイテーだったってな。今じゃ学校中の話題になってるぜ?
友達のいないお前は知らんだろうけどさ」
そんな。私、何も知らない。
そんな酷い噂が広まっていたなんて──
だって、私は何も悪くない。いじめなんてしてない。
根も葉もない噂だよ!
「違う……私は、いじめてなんか……
あいつの物を取るとか教科書破くとか、冗談じゃない。
だって私は、あいつに触るのも嫌だったもの」
桧山の影が、ずいと迫ってくる。
私の全てを否定するかのように。
「だろうな。確かにお前は、あいつに何もしようとしなかった。
おとなしくて虫も殺せない優しい奴だって、お前はクラスの評判だった──
だからこそ、お前の無視があいつにとっては、一番効いたんだよ」
私は何もしてない。殴ったりも蹴ったりも絶対にしてない。
あいつのものを盗むなんて、冗談じゃなかったのに。
「地村ははっきり言ってたらしいぜ。
殴られるより蹴られるより、物を盗まれて壊されるより、先公に理不尽に怒鳴られるより──
何より一番傷ついたのが、お前に気持ち悪がられることなんだとさ」
私があいつを傷つけた? 一番傷つけた?
冗談じゃない。私は何もしてない。
あいつが全部悪いの。キモイあいつが全部悪いんだから。
居るだけで迷惑なあいつが、全部悪いんだから!
「しかも、おとなしかったはずのお前が、率先して地村を無視し始めたおかげで。
それまでは軽いおふざけでしかなかった地村へのからかいが、一気にいじめに変わった。
あのお優しい奇崎ちゃんが嫌うなら、相当のことを地村はやらかしたんだろうってな。
そのせいで地村は追いつめられ、身体まで壊した。
誰でもない、お前のせいで──
少なくとも、奥原はそう思ってる」
そんなわけない。それこそ誤解だよ、奥原君。私は何もしてない。
あいつが全部悪いの。あいつが。
居るだけで迷惑なあいつが!
「その上お前、先公から叱られるのが怖くて、教科書忘れたのを地村が盗んだって言い張ったらしいじゃねぇか。
その日、地村の奴自殺しかけたらしいぜ? この学校からも近いあの大橋で、川に飛び込もうとして。
ストレスで身体は限界に近かったけど、それでもあいつは辛抱強く我慢して学校に行こうとしてた。
なのにお前のせいで、とうとう心がぶっ壊れたらしい」
違う、それは本当に違う!
確かに私はあの時、忘れたのを盗まれたって嘘ついた。でも、地村が盗んだなんて私、言ってない。
話を聞いてもらえれば分かるの。奥原君だって、私の話さえ聞いてくれれば──
「だって、悪いのあいつだもん!
地村が全部悪いんだもん。
お願い、奥原君と話をさせてよ。奥原君を呼んでよ!
話さえ出来れば、奥原君だって!!」
いつの間にか、叫んでいた。
奥原君に知ってほしくて。酷い誤解を、どうにかして解いてもらいたくて。
でも、返ってきた答えは。
「きっと地村だって、お前と話をしたかっただろうになぁ。
どんなに声をかけようとしても、返ってきたのは徹底的な拒絶と、軽蔑の目だった。
奥原だってもう、お前の声なんか聞きたくない。出来れば姿も見たくない、一緒のクラスで息をするのさえ嫌だってさ。
お前も地村のこと、そう思ってたんだろ? 自業自得ってわけだ」
それだけ言い残すと──
私の言葉なんて何も聞かず、桧山はさっさと去っていった。
私は悪くない。私は絶対に悪くない。悪いわけない。
だって、悪いのあいつだもん。いるだけで人を不快にさせたあいつなんだから。
だから奥原君、私を見て。私と話をして──
そんな私の心の呟きは、誰にも聞こえることなく。
桧山の嘲笑は、いつまでも私の目と耳から離れることはなかった。
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