だって、悪いの、あいつだもん。
kayako
第1話 せいぎのみかた
私は、その子が嫌いだった。
理由は特にない。強いて言うなら、目が少し大きくて気持ち悪かったから。
その子がたまたま忘れ物をして、いつも通りに先生がガミガミ雷を落としまくっていたら、彼はついに泣き出した──
その泣き方があまりにも気持ち悪くて、みんなの嫌われ者だったそいつは、同じく嫌われがちだった私にまで嫌われることになった。
「まいちゃん、本当に大丈夫?」
クラス中の友達が、すごく心配そうに私に話しかけてくる。
理由は簡単。席替えで、私がその子と──地村と隣になっちゃったから。
「何かされたら、いつでも逃げてきていいよ」
「あたしたち、相談に乗るから。我慢しないでね」
「ほら、机離さなきゃ。臭いでしょ」
みんなが話しかけてきてくれる。
ちょっと前までは人見知りすぎて、クラスののけ者だった私に。
「まいちゃん、誰にでも優しいし、心配……」
「前の学校でいじめられて転校してきたんでしょ?」
「おとなしいから、地村と一緒でも問題ないだろうって先生に思われちゃったんだよ。
嫌だったら、すぐ言っていいんだからね」
このクラス──6年3組は、みんな優しい。
いつも乱暴な男子たちも、心配そうに私の方を見てくれる。中には珍しく話しかけてくれる男子さえいた。「奇崎、ホントに平気か?」って。
私はにっこりとみんなに笑ってみせた。
「大丈夫だよ。
このぐらい、私、平気だから」
隣の席──地村の席は、幸い今日は空いたまま。
だいたい週に2、3日ぐらいは、あいつは学校を休む。
少なくともその間は安心。あいつの臭いも嗅がなくてすむし、あいつの目も見なくてすむ。
先生のヒステリーが地村じゃなく、誰に飛ぶか分からなくなるのだけが怖いけど。
「ねぇ、まいちゃん。
美香ちゃんのお母さんから聞いたけど、貴方のクラスでいじめがあるって本当?
地村君って子がいじめられているって……」
ある日、家でお母さんが尋ねてきた。
心配そうに見つめてくるお母さんに、私は首を横に振る。
「違うよ。
私たちはいじめてなんかいない。あいつに嫌がらせされてるの」
地村、という名前を声に出すのも嫌だ。あの丸い目を思い出して気持ち悪い。
「一体どうして……」
「あいつは居るだけでキモイし、忘れ物ばかりして頭悪いからしょっちゅう先生に叱られるし。お母さん知らないでしょ、朝あいつが寄ってくると滅茶苦茶臭いんだよ」
「地村君、最近ストレスでお腹壊しているって聞いたけど」
「知らないよ。
とにかくあいつのこと、私、大嫌い」
「まいちゃん。お友達にそういう言い方するのは……」
お母さんがあいつの話題を引っ込めようとしないので、私は思わずテーブルを叩きながら立ち上がった。
「私だけじゃない。みんなあいつのこと大嫌い。
それはあいつが全部悪いの。いじめなんかじゃないから。
いじめっていうのは、殴ったり蹴ったり、カバンや靴や教科書を盗んだりすることでしょ? 私がされたみたいな!」
「そ……それはそうだけど」
「私もみんなも違うもん。
私はあいつの持ち物なんか絶対触りたくもないし、あいつの身体に触るなんて死んでも嫌。
盗みや殴る蹴るなんてとんでもないよ。みんなもそう!」
「でもね、まいちゃん……」
「先生だって、最近いつも怒るのあいつだもん。
あいつは掃除もちゃんと出来ないし、教科書はしょっちゅう忘れるし、ノートは算数と理科と国語をまとめて書いちゃうし、日直もろくに出来ないんだから。
この前とうとう先生がキレてあいつの机蹴り倒したら、中からすごく前の給食のパン出てきたんだよ? 信じられない」
「……小学生の男の子なら、よくあることじゃないの?
先生は怒りすぎじゃないかしら……産休明けみたいだし少し心配でねぇ」
「先生が悪いっていったものは悪いんだよ!」
そんな私の言葉に、お母さんはやっと納得してくれたようだ。
何故かため息ついてるけど。
「……そうね。
そういう子にも優しくしなきゃって思っちゃったから、前の学校でまいちゃんはいじめられたんだものね」
そうだよ。ブサイクでみんなから無視されて可哀想と思って優しくしたら、何故か私、そいつからいじめられたじゃない。
お母さんだって覚えてるでしょ。気持ち悪い奴に情けかけちゃいけないの。
悪いのは全部、あいつだもん。
地村が学校に来ると、女子はみんな一斉に悲鳴を上げて逃げた。
隣の席の私は臭いを必死に我慢して、あいつが隣に座るという苦痛に耐えた。
休み時間には大抵男子があいつをどこかに強引に連れ出していってくれたから、何とかなったけど。
あいつが来れば、先生の怒声がだいたい全部あいつに集中してくれるのが唯一の救いだった。
先生に否定されまくるあいつは、キモイ悪魔。だから、私たちがあいつを嫌うのは当たり前。
あいつの隣に居させられる私は、悪魔に捧げられて業苦に耐える生贄の女の子。だから、みんなが私を守ってくれる。
教科書を忘れたあいつに、私がしぶしぶ教科書を見せただけで──
みんなが私を気遣ってくれる。心配してくれる。私は容易にみんなの輪に入れる。
みんなは、悪魔みたいなあいつから私を守る正義の味方。あいつをやっつける為に、みんなは滅茶苦茶結束していった。
──みんな、すごく優しい。すごく仲がいい。
だからこのクラス、大好き。勿論、一人を除いてだけど。
そんなある時──
クラスで謎の盗難事件が頻発した。
誰彼問わず、ノートや教科書、体操着や筆箱、果てはせっかくやってきた宿題のプリントまで、あらゆるものが盗まれた。
いつでも酷かった先生のヒステリーはこの事件によって格段に酷くなり、血眼で犯人捜しを開始した。
当然、疑われたのは地村だったけど──あいつはそれを否定も肯定もしなかった。
いつもの学級会で一人立たされて、ただ俯いて、涙をこぼしながら先生の怒号を聞いているだけ。
──マジ、キモイ。
そんな囁きが、当たり前のように私の周りから漏れていた。
しかし数日後。
私は学校に来てから、大変なことに気づいた。
3・4時間目の理科の授業で使う教科書とノートを、丸ごと忘れてしまったのだ。
自分でも、顔面が蒼白になるのが分かった。
──いつも地村に浴びせられている先生の怒声が、私に?
そう思った途端手足が震えだし、冷や汗が止まらなくなった。
1時間だけならまだ隠し通せるかも知れない。でも、2時間も続けて教科書もノートもないのを隠すのは絶対に無理だ。あの鷹のような目で先生は見つけ出してくるし、忘れ物をした子を先生は決して許すことはない。そもそも周りの子に見つかったらすぐに先生に言いつけられてしまう。そして怒鳴られるんだ──
あんたは頭がおかしい、みんなより幼い、黙ってばかりで何考えてるか分からない、だから前の学校でもいじめられたんでしょう。あんたはおかしい。幼稚。馬鹿じゃないの。何考えてんの。イライラする──
地村が先生に嫌われだす前、先生から自分に投げつけられた怒号を思い出し、頭が真っ白になる。
──もう二度と、先生にあんなこと言われるのは嫌。
だって先生は大人だもの。正義の味方だもの。
その先生にあれだけ否定されるなんて、私もう、絶対に耐えられない。
ちらりとだけ隣を見る。今日も変な臭いを放っている地村を。
地村に教科書を見せてもらう? 冗談じゃない。
私は咄嗟に席を立ち、先生のところに行って──こう告げた。
「先生。
私の理科の教科書とノート、盗まれました」
クラス中が「えーっ」と驚愕の悲鳴に溢れる。
先生はじろりと私を見下げた。疑いに満ちた冷たい目が、今にも瞼だけでガミガミ怒鳴りだしそうな勢いで、しばらく私を見つめていたが──
「全く、仕方ないわねぇ!
奇崎さんは佐野さんから教科書貸してもらいなさい。佐野さんは前田君のを見せてもらって!!」
佐野さんは私のすぐ前の子で、前田君はその隣の男子。
私が席に戻ると、すぐに佐野さんは心配そうに私に教科書を貸してくれた。勿論、地村の方をじろりと見据えるのは忘れない。
視界の隅で、地村が私に教科書を差し出そうとしているのも見えたが──
あんたなんかと一緒に教科書見るくらいなら、舌噛んだ方がマシよ。
でもその日、私には何となく分かってしまった。盗難事件の犯人が。
いや。元々、事件なんて起こってない。犯人なんていなかった。
私がそうだったように、クラスのみんなも、忘れ物を「盗まれた」と言って、先生の鬼のような追及を逃れた。それだけだ。
悔しいけど、地村は何も関係ない。
それなのに私たちは、あいつを──
ううん、違う。
元々、疑われるようなことばかりしていたあいつが悪いの。
そもそも、盗難事件全部が偽物って決まったわけでもない。そのうちいくつかは本当に盗まれたものもあるに違いないし、それはあいつがやったに決まってる。
地村がやったってはっきり言わないだけ、あいつは私に感謝するべき。頭下げに来られても、嫌なだけだけど。
そんな風にして、その日は平穏無事に過ぎ。
盗難の噂はやがて、いつの間にか風化して消え失せていた。
そして私たちは──校内でも結束の強いクラスとして有名になった。
いじめもない。みんなが友愛に溢れ、固い絆で結ばれている。悪い子をきちんと罰することが出来る──
「貴方たちはまるで、正義の味方ですねぇ。
校長としても鼻が高いですよ」
卒業式に校長先生に笑顔で褒められ、お父さんにもお母さんにも盛大にお祝いされながら──
私は卒業し、クラスは離れ離れになった。
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