第31話
シアラはなんと言って良いのかわからなかった。頭が回らない。意味がわからない。
黙ったままのシアラに、由加賀は小さく笑った。
「――やっぱり、そんな気はしてたんですけど、貴方私の名前覚えていないですよね」
「……名前?」
シアラは首を傾げた。
確かに自分は彼のフルネームを憶えていない。そもそもクラスメイトの大半は覚えていない。
しかし、それになんの関係があるというのか。
それに何故いりせは驚いた顔でシアラをみているのか。いったい、なにが。
眉をひそめたままのシアラに由加賀は笑みを深めた。いつも通り胡散臭い。
「学校での私の名前は由加賀藤峰。本当の名前は藤峰由加賀。――貴女の滞在している家の主なんです」
「……は?」
シアラはぽかんと口を広げて呆然とした。
――由加賀藤峰、藤峰由加賀。
なんだその偽名になってない偽名。気づかなかった自分にも意味が分からないがそんなことより。
「わ。私の監視をしてたのってあんた、だったの……中学生、じゃないの……?」
シアラの言葉に、彼は少し後ろめたい顔をした。
「――戸籍上は二十八歳ですし、実際に二十八歳です。体は事故で、若返りましたが」
「若返ったからって中学生の監視にわざわざ中学校に転入する?ていうか」
シアラはステッキを握りしめたまま、身体を震わせる。
「――じゃあ、あの、私の体操服の件も、それで……?」
「……あれは悲劇的な誤解です。貴女の監視業務には一切関係がありません」
「ご主人様、何したんですか」
絶対零度の声でいりせが藤峰に声をかけた。藤峰がシアラを見るも、彼女はすぐに視線をそらし、鴉の後ろに動いた。
いりせが代わりに藤峰に近づく。観念したように嘆息してから、彼はいりせに言った。
「……体操服を間違えてしまい」
「……あ、まさか前の持って帰ってきた……」
「そうです」
「なるほど……」
いりせはうなずいて続けた。
「ご主人様が夜勤明けに無理に出勤して、自分の机と間違えて、隣の机から体操服をもって更衣室に行ってしまい、あまつさえそれに気づかず着替えて運動場まで行く途中に調停者案件で呼び出されてしまったので、着たまま帰ってしまい、洗濯した段階で『これご主人様の体操服じゃない』と私が気づいた――あの事件ですね。そういえば『東儀』でしたね、ゼッケン」
「そうですよ、よく覚えていましたね」
懺悔の終わった顔の藤峰を見ながら、鴉は自分の後ろに隠れるシアラに言った。
「なぁ、魔女。その程度でお前あいつのことが嫌いなのか」
「盗まれたって担任に言っちゃって大騒ぎになったんだもん。私は悪くないのに。目立ちたくないのに……学級会議まで開かれて……なんでかカウンセリングまで受けさせられて……。一週間も経ってから『間違えてました』って遅いのよ!」
「……すまん、魔女。お前のこと、年の割に大人だと思っていた部分もあったが、そんなこと全くなかったな。どうみても、どこからみても年相応の糞面倒くさい女だお前は」
「鴉くん、もういいよ。魔女とはいえ中学生の女の子。それがわかっていて、無理して監視業務をしていて、変なミスをしてしまった僕が悪い」
藤峰は首を振った。そして、シアラに頭を下げた。
「改めて、東儀シアラ。創楽の魔女の娘、貴方のご尽力には感謝いたします。先日お伝えしたように、貴方さえよければ今後の協力を請いたい。――とりあえず、一度医者にかかった方がいいでしょう。お連れしますよ」
「――そうね」
シアラは涙目のまま、つぶやいた。
衝撃で色々言ってしまったが、いりせの反応を見ても、遠巻きにしている他のスーツ姿たちをみても彼が調停者であることは確実だろう。
むしろ、子どもじみたところをみせてしまったことに少し後悔する。
今後問い詰めなければいけないことが山ほどある。それでも。
一旦は彼らに任せるべきだろう。
「魔女」
鴉がささやいた。シアラは彼を振り向く。涙目のままだけど、できるだけ尊大に。魔女の誇りと威厳をもって。
「私たちのお仕事は終了。――あとは任せましょう」
シアラの言葉に鴉はうなずいた。
◇◇◇
医者にかかるという話だったが、シアラたちが運ばれたのは屋敷だった。まずは往診で様子をみるそうだ。
御厨は一番に診察を受けた後、すぐに立花が病院に連れて行った、彼女の身体は生気を奪われていたことに対する消耗が激しいため、総合病院で診てもらう方がいいとのことだった。
シアラたちは応接室に集められ、御厨の後から一人ずつ呼ばれた。魔力喰いから魔力を奪われたシアラは最初に呼ばれた。
シアラが簡易診察室とされた食堂に入ると、そこには白いツナギとマスクとサングラスとシャワーキャップのようなもので髪の毛を覆った医者がいた。性別はわかりにくいが女性らしく、診察は不安だったが、怪しい風貌の割にくぐった声から出てくる質問は非常に的確で迷いがなく安心した。おまけに、魔力を失った魔女の症状について、一定の知識があるらしい。
この医者も調停者に所属するものなのだろう。
「今の魔力は人間並みですが……大丈夫ですか?」
シアラを全身くまなく診察したのち、医者は淡々と言った。
医者の質問にシアラはどこまで魔女の生態を教えても良いものか迷った。
「自分の魔力は時間の経過で取り戻せるので大丈夫です」
言葉少なに答えたシアラに医者は何か言いたげではあったが、ドアの向こうに控えていた藤峰の
「研究は後です」という声掛けもあり、それ以上は何も言わずに退出を許可した。
私も研究されるのか……と思いつつも、やぶ蛇をつつかぬように、シアラは何も言わずにさっさと退出した。
そして、廊下で待ち構えていた藤峰に自室に戻る許可をもらったので、そのまま部屋に戻ることにした。通りすがりのいりせに仮眠をとる旨を告げて、シアラは部屋に戻った。その三時間後、シアラが仮眠から目を覚ましたころ、再び応接室に呼び出された。
屋敷にはもう藤峰以外の調停者はいないようだった。魔力喰いを封印した腕輪とゾートも他の調停者が連れて行ったらしい。連れて行かれるゾートは売られる子牛のような顔をしていたらしいのが心配だが、大丈夫のはずだ。――多分。
応接室では長方形のテーブルの長辺にシアラと鴉、二人に向かい合うようにいりせ、そして、短辺に藤峰が座った。
「今回はありがとうございました」
胡散臭い笑顔で藤峰は言った。
「皆さん無事で良かったです」
「……すみません、ご主人様の言いつけを守らず、私が勝手に動いてしまって……」
「今回に関しては、良い方向に働いたのでよかったです」
藤峰の言葉にいりせは頭を下げる。その様子を眺めながらシアラはつぶやいた。
「――私はどうなるの?」
「最初のお約束の通り、協力者になる、ということでお願いしたいですね」
「わかった」
「おや、いいのですか?」
藤峰は嫌味の調子もなく首をかしげる。
「一度はお母上と相談しなくても」
「お母さまは事後承諾でいいでしょ、私が魔女の毒にならなきゃいいだけなんだから」
シアラは藤峰の方を向かずに手元だけ見て言った。
それでいい。そう思えるのは、きっと、素知らぬ顔をしながら伺うようにこちらを見ている鴉や、不安そうにちらちらこちらを見てくるいりせがいるからだ。
(由加賀が藤峰で、藤峰は調停者……、……くそぅ)
自分個人のことであれば色々思うところはある。考えてしまうものもある。
でも、魔女の娘として、今後のことを考えると結局協力関係を結ぶのが一番いいのではないかという結論になったのが現状だった。
「では、まぁ詳細を煮詰めてから契約しましょうか」
「そ、それより、御厨さんは大丈夫だったの?」
「はい。基本的な検査も済んで、無事とのことです。もちろん、生気をだいぶ奪われていたので、熱中症扱いで入院にはなったそうですが。お見舞いはしますか?」
「――そうね、落ち着いたら、行きたいかな」
彼女とも一度は話さないといけない。しっかりと。
「ちなみにゾートくんも無事に本部に着いたそうです。あちらでも色々を確認して、彼も私たちに協力する意向は変わりないそうです。もっと早くにそうなっていれば、よかったんですけどね。どうも、異世界からきた方々からは、見つかったら殺される的に思われているらしく」
「……」
嘯く藤峰にシアラはその胡散臭そうな態度が悪いんだろと心で思う。
オープンにするわけにもいかないが、隠すと本来の姿が見えなくなってしまうのはかわいそうだと思うが。
「まぁ、方針の共有がされたということで良しとしますか。それじゃ、私はまだ仕事があるので一旦外します。あ、その前に」
藤峰はさっと立ち上がる。そして、シアラの前で立ち止まり、膝を落とした。
「――東儀さん。貴女には色々申し訳ないとは思っています。今までのことは、仕事とはいえ、ご不満な点もあるでしょう。ただ、これだけは信じてください。私は貴女を助けたいと思ってここまで来ました。方法や方針が気に入らないであろうことも承知です。魔女からみて。人間の私からの援助が屈辱と感じることもあるでしょう。でも」
藤峰は小さく深呼吸してからいった。
「貴方は、まだ十四歳です。せめて、成人するまでは、この屋敷にいてほしい。守らせてほしい。ここは私の家ですが、貴方がここにとどまる間は出来るだけ帰らないようにします。だから、お願いします」
「………」
なんて言っていいかわからなかった。
藤峰の言葉にシアラは両手を握りしめる。
(だから、藤峰は屋敷に返ってこなかったんだ)
学校での出来事も、結局彼のいう通り。不幸な事故なのはわかってる。ただ。シアラがそれに触りたくないだけ。ヤなことから、逃げる癖。
「――あなたの家なら、あなたも住むべきよ。安心して。どうせ、当分行く当てもないし。ここにはいてあげる」
かわいくない言葉だ。どうにか、シアラは藤峰を見た。
彼は少し安心した顔をした。その表情にシアラは妙に納得した。
(胡散臭いけど、やっぱり)
彼に感じていた違和感の意味が分かった。外見年齢と中身の年齢が違いすぎるのが、原因だ。彼が『大人』だということを理解していれば、この表情の胡散臭さがだいぶ減る。
――それでも、やっぱり胡散臭いことにかわりないけど。
「よかった。では、私は後処理があるので」
「お見送りします」
今度こそ、藤峰は部屋を出て行った。そのあとをいりせが追う。
応接室にはシアラと鴉が残された。
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