第22話

「さて、今日の大仕事はあとひとつ、と」




 部屋から出て、玄関を施錠し、階段を下りる。そのときだった。




「あ、東儀さん」




「――御厨、さん」




 そこにいたのは、目を丸くした御厨ユキだった。何故か今日も制服姿だ。部活でもあるのだろうか。顔色が昨日よりも悪い。


 なんて言おう。なんて顔をしたら、いいんだろう。そんな思考で頭が埋め尽くされる。


 どうしようかとシアラは固まっているうちに、御厨はシアラのすぐそばに駆け寄ってきた。




「東儀さん、家がここだったんだね」




「う、うん。そう」




「ちょうど通りかかったの。偶然、運がいいのかな」




「そ、そうかな。御厨さんあの――」




「昨日はごめんね」




 御厨の言葉にシアラは戸惑った。先に言われてしまった。自分はなんていえばいいだろう。




「あとから、二人に聞いて――、余計なこと言っちゃったみたいで」




「私こそ、その、ごめんなさい。先に帰ってしまって――」




 顔を上げられない。見なくても、御厨がシアラのことをじっと見ているのがわかる。


 蒸し暑い空気、セミの鳴き声。アパートの外にいても入り組んだ場所のここは人が通ることも少ない。


 ――なんていえばいいだろう。




「私は、その――」




 シアラがつぶやいた、その時だった。




『――やっぱり、お前が魔女だな』




 耳ではない。体に染みつくような足元から響くようなそれが直接頭を揺さぶる。


 どこから、いったいだれが。体が動かない。


 なんで。どうして。そんな言葉すら、出てこない。


 顔を上げて、御厨を見る。そして、シアラは固まった。


 ぼやけるように、御厨がぶれる。




 ――御厨が、御厨じゃない。今までは確かに御厨だったのに。




 地面にめり込むような重圧。暑さではなく、緊張からの汗が背中を伝う。




『みつけた』




 御厨の顔で、それは笑った。




 ――からす、いりせさん。




 かすかに動いた手で、シアラは腕輪を触る。




 ――たすけて。




 すぐに、意識が暗くなった。




◇◇◇




 いりせはいつも通り、洗濯物を干していた。


 屋敷の庭は少し茂り始めている。




「そろそろ、草むしりしないと……」




 干し終わった洗濯物から手を放し、庭を見渡す。


 夏の暑さに負けないような、深い緑たち。春半ば過ぎの新緑も好きだが、この時期の緑もいりせは好きだった。


 草むしりを今の時間に行った場合、絶対に熱中症になる。確実だ。日が昇りきる前の朝か、日が陰った夕方に行う方が無難だろう。


 いりせは洗濯籠を手に取った。ぬるい風にはためく洗濯物の量に少し愉快になる。




(一人暮らしも楽ですが、やっぱり他の人がいる方が楽しいですね……)




 夕食のリクエストに、手の込んだ朝ご飯。どれにしても、二人は喜んで食べる。それに、




(人と話すのは、楽しいですね)




 今まで、いりせはこの屋敷にほとんど一人だった。


 ご主人様はいるが、ほとんど家に帰ってこないし、帰ってきてもすぐに出て行ってしまう。


 仕事の重要さも分かっているし、自分の立場も分かっている。だから、買い物以外で外に出ないようにしているけれど。それでも、やはりさみしかったのだろう。今更のように思う。


 ステッキが見つかったとしても、二人が屋敷に残ってくれるようだし、そうなるとさらにうれしい。


 ただ。




「ご主人様、いつまで逃げるつもりなんですかね……」




 シアラを長年監視してきたご主人様である。愛すべき主であるが、しかし、ここぞというところでヘタレるのだ。




「だったら、最初から隠さなきゃいいのに。というか、何かしてしまったんでしょうか」




 最初から言ってしまえばそんなに困らなかった気がする。しかし、かっこつけて、電話で話したり、会うのを避けるから怪しいのだ。


 まぁ、気持ちは想像できる。


 『事故』でご主人様は若干外見がアレになり、それを生かして監視業務にあたるようになった。




(ご主人様のアレな状況の原因としては理解できるんですけど。そもそもあの逃げ方は何か他に原因がありそうな……)




 しかし、今のようにシアラと鴉を避け続けるのもいかがなものか。二人がいないときに帰宅し、二人がいるときには逃げて、忙しいと言い訳して、職場に泊まり込む。


 そんな生活はいつまでもは続くまい。と思うのだけど。




「私が口を出すわけにはいかないんですよね……」




 何しろ、この状況を作った根本的原因は、いりせにも関係しているのだ。


 いりせは肩を落とした。そのときだった。


 固定電話が鳴る音が聞こえた。慌てて洗濯籠を片手に屋敷にもどり、電話にでた。ご主人様は、シアラと鴉に聞かせたくない内容を電話してくるときは、いつも固定電話にかけてくる。いりせは嫌な予感がした。




「もしもし」




『僕だ、いりせか』




 ご主人様の声だ。いつもは余裕を持った声なのに、今は妙に口調が早い。




「そうです。ご主人様どうなさいました?」




『すまない。東儀さんと鴉くんは今どこだ?』




 いりせは受話器を握りなおした。




「予定通りふたりとも出かけていますけど……」




『二人一緒か?』




「どうでしょう。時間的にはそろそろ合流してもおかしくない頃だとは思いますが……」




 二人が出てから既に一時間が経過している。シアラのアパートは屋敷から十分もかからないし、鴉のほうは目的地まで二十五分程度と言っていた。用事が終わってすぐ向かっていれば、合流できているころだろう。




『二人に連絡して、すぐ屋敷に戻るようにいってくれ。――昨日話したやつが、姿をくらませた。あいつの狙いは魔女本体だ。使い魔としての強化もされている鴉くんだけならともかく、満足に魔法が使えない東儀さん一人だと喰われる危険がある。くそッ、東儀さん一人にするのはまずかった。せめて鴉くんと一緒にいるように言えばよかった……ッ。すまない、何かあれば僕の判断ミスだ』




 藤峰は普段の丁寧な口調が嘘のように荒れた口調だった。


 いりせは受話器を持つ手が震えるのを感じた。




「――わ、私、二人に電話してみます」




『頼む』




 電話は藤峰が切った。




 ――言わなかった。言えなかったことがある。




 藤峰だけじゃない。いりせも、その方がいいと勝手に決めた。




(シアラちゃんが、無事でありますように――)




 昨日渡したばかりの携帯電話の番号を押しながら、いりせは祈った。




◇◇◇




 ――風が強い。




 でも、ぬるついた風は、涼しさよりも不快感を与えてくる。


 飛べばいいのだ。空高く、風を切って。だが、今この身に翼はない。




「暑い」




 鴉は、ぼんやりとシアラとの待ち合わせ場所でつぶやいた。


 シアラから連絡では三十分で着くだろう。といっていたのにもう四十分すぎた。


遅れすぎている、とまでは行かないが、少し心配になってくる。


 鴉は、肩を回し、こちらからシアラに電話をしようかと、携帯電話をとりだすと、ちょうどそれが震えた。着信だ。シアラかと思ったが、画面を見ると、いりせからだった。




「――もしもし、どうした?」




 少し小さな声で出る。すると、




『か、鴉さん、鴉さん――いりせです、あの、あの、シアラさんは一緒ですか?』




 いりせの感情を押し殺すような声が電話から聞こえた。




「いや、まだ合流してないが」




『最後に連絡取ったのはいつですか?』




「四十分ほど前だが。どうかしたのか?」




 鴉の声は低くなった。




『……私からシアラさんに電話をかけたのですが、つながりません。もしかしたら、さらわれてしまったかも……』




 暑さが少し、遠のくような感覚がした。




「どういうことだ」




『それは――』




 いりせは抑えた口調で藤峰からの連絡の内容を鴉に伝えた。




「――鳥人間はB、そいつとかかわりのあるやつがAと」




『はい。ステッキを持ち去った鳥人間は最初の通り、B判定で、シアラさんと鴉さんだけで対応をお願いしたもの。でも』




「もう一つが」




『A判定――もしくはAプラス判定の転移者です』




「そいつを藤峰たち調停者が追っていたが、逃げられた、と」




『はい……。彼らはその、手を組んでいる可能性があるということがわかりまして』




「昨日はやけに曖昧な言い方をしていたよな。なんでその部分を黙っていたんだ?」

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