地下室
ドイツ式の地下室は便利だ。湿気があることを気にしなければ、何にだって使える。俺が住んでいるドイツのマンションには、共用の半地下の物置があって、それぞれの住人の服や荷物が詰め込まれている。
「あっ、すみません……じゃなくて、えんちゅるでぃぐんぐ」
服を取りに行ったとき、小柄な男とぶつかった。日本語を不審に思う間もなく、男のポケットから硬貨が転がった。かがみこんで拾うと、俺が久しく見ていない10円玉だった。
「だんけしぇーん、だんけしぇーん」
言葉に対する自信のなさを補うような笑みを浮かべて、男が手を出す。思わず、俺は男をにらみつけた。のんきそうな顔と媚びたような発音が癪に障った。
「ひっ」
よそう。この男は何も悪くない。ただ、10円玉を見て、記憶が蘇っただけだ。
10円。10歳。あの頃の俺。日本のコンビニでは、それ2枚でチョコレートが買えた。父の転勤によって、10円玉は何の価値もないものに変わった。日本で築いた人間関係も、蓄えた言葉も、全部。新しいお金で買う新しいお菓子は、ドイツで暮らした時間のほうが長くなっても、故郷の味と呼ぶ気にはなれなかった。
「失礼……日本語でいいですよ」
「えっ、日本人の方ですか? 嬉しいです、よかったら今度お茶でも」
「日本人」という言葉にも、「今度お茶でも」という言葉にも、俺はうなずけなかった。うなずきたくなかった。
「ああ……忙しいので、機会があったらにしましょう」
それなのに、出てきた言葉は日本流の社交辞令で。
俺はいったい、何人になりたいんだろう。
(お題:ドイツ式の地下室 必須要素:10円玉)
(共用の地下室ってあるんだろうか。そのへん適当に書いてしまった)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます