第2話 いじめ
小野は憂鬱だった。
新しく担任になった数学教師が自己紹介で過去どれだけ数学分野で優秀な成績を収めたことがあるかを語っているのをつらつらと聞き流して、小野はこれからの暗い学生生活に思いをはせた。
私立聖心女学校に小野が入学した理由は、何も憧れた進学校でのスクールライフを送りたかったわけではなかった。
同郷の幼馴染である原と竹内が進学校に進路を決めたから、それだけだった。
原の父親は小野の出身地域で有名な開業医で、原は一人娘だった。
竹内の両親は自営業で一財産を成しており、下に弟がいるようだった。
二人とも地元では有名で頭脳明晰だった。
小野の両親は娘に、あの二人と仲良くさせていただきなさい、と言い含めるのだった。
元々特に二人と仲が良かったわけではなかったが、新たに進学した先では同郷の人間と言えばこの二人以外にいなかったので、よく行動を共にするようになった。
彼女達も小野のことを同郷の者として親しく扱ってくれるつもりのようだった。
原はよく喋る子だった。明るく誰とでも打ち解けようとする人間だった。
ところが新しくできた友人の輪のうちで暫く話していると、彼女の本来持つ気の強さが顔をのぞかせた。彼女は意見が対立するとよく多数決を取らせた。
それで、自分の意見のほうに票数が多いのを見ると満足するのだった。
偶に自分の意見のほうに票が集まらないことがあると、独自の「原ルール」を適用して強引に自分の意見を通してしまうのだった。
「原ルール」とは、例えば「三秒以内に票を投じなければ無効票とみなすこと」などである。
その「原ルール」を適用しても自分の意見が通らない場合は、今までやってきた遊びや活動を突然辞めると言い出した。
或いはそのときは顔には出さないが、後々まで彼女に反対意見を述べた者に対して執拗に嫌がらせをするのだった。
一方竹内は、原よりは比較的穏やかに話せる人間だった。
竹内個人と話しているときは非常に不快感を覚えることも少なかった。
しようと思えば人に配慮が出来る人柄だった。
しかし、原と一緒にいるときの竹内は非常に原と似ていた。
原が大抵ひとりで話していることのほうが多いので竹内は相槌を打ったりしているのだが、原とはよく意見が合った。
原も他の人間が反対意見を述べたときとは異なり、珍しく竹内の意見が反れたときは竹内の意見を尊重することもあった。
同じように竹内が原に折れることも少なくなかった。
その一方で小野と二人きりになると両者とも相手の悪口を言い始めてしまい、「小野ちゃんは私の味方だよね!?」などとのたまうので困ったものだった。
だが小野といえばその実、原からの扱いは竹内よりも格下だった。
その他の人よりはいくらか聞いてもらえることもあっただろう。
しかし原から嫌がらせを受けることを避けるために、小野はなるべく抗わず大人しくしておきたかった。
入学してすぐのクラス分けでは、小野は原とは離れた。
竹内とは初めて面識を持つクラスメイトだらけの教室内で、よく一緒に行動することが多かった。
休みの時間になると原と三人で時間を共有することが多くなった。
どう足掻いてもそのなかでのヒエラルキーは最下層になる。
小野は疲れていた。
そんな折、清水が声を掛けてきたのだった。
己の部活動に精を出していたためになかなか合することが出来なかった清水は、原と竹内にとっては新たに外からやってきた「お客さん」だった。
ほとんど一緒に過ごすことはない清水を、二人は丁重に扱った。
清水の気持ちを肯定し、ほめそやし、小野を更に軽々しく扱った。
小野は清水を最下層に引きずり込んで、自分の心の負担を軽減させたかった。
ところがその目論見は外れ、清水はいつまで経っても「お客さん」扱いだった。
最終学年に上がると受験にすべての時間を費やさなくてはならなくなるので、一、二年生の学校のイベントは派手だった。
遠足ではバスをクラスごとに貸し切って、目的地を生徒が自主的に設定し一日かけて社会勉強も兼ねて外周してくるのだ。
目的地に着くまでの間、バスの中で生徒たちは思いおもいに過ごしていた。
案の定竹内と同じグループに入った小野は竹内の隣の席に座っていた。
そして彼女が持ってきたトランプで、周りの数人を巻き込んで大富豪をすることになった。竹内の要望である。
しかし巻き込まれたうちの一人である中西は大富豪を一度も遊んだことがなく、そのルールを全く知らなかった。
だが、彼女にきちんとルールを教えながら遊ぶということで、他にも中西も含めた皆が知っているゲームはあったにもかかわらず、大富豪が強行された。
結局のところ、あれだけ初心者の中西に分かりやすくプレイすると公言して竹内の要望を周りに呑ませたのに、これまた竹内の要望により細かいルールがコロコロ変わった。
その結果中西は混乱してしまい、最後までルールを理解したうえで遊ぶことが出来なかった。
それを竹内に逆手に取られ翻弄されて、文字どおり貧乏くじを引かされ続けたのだった。
中西はカードゲームをやめようと思ってもやめることが出来なかったのだ、と小野は思う。
何故なら中西の席は大富豪をしている生徒に囲まれていたからだ。
やめようにも一人で何をするというのだろうか。
身動きの取れないバスの中で、大富豪するのに邪魔だから席代わって、とでも言われるかもしれない。
そこで実際に動くのは中西自身なのであって竹内ではない。
走行中のバスの中で勝手に移動して、引率の教師に叱られるのは中西なのだ。
そうなった場合、周りの生徒は誰も助けない。誰も自分が教師に叱られたくないばかりでなく、誰も竹内を敵に回したくなかったからだ。
そしてそれは入学してからせっかく築いた友人関係を壊され、今後も独りになること同義だった。
中西は孤立無援、四面楚歌であった。
文化祭にも力を入れていた聖心女学校では、生徒が自主的にクラスごとで企画したものを催すのが慣例であった。
学年が一つ上がった際に今度は清水と同じクラスに振り分けられた原は、よろこび勇んでクラス演目として「お化け屋敷」を候補に挙げた。
担任となった社会科教師に休みの時間も積極的に話しかけることで意欲をみせ、他のあまりやる気のない生徒たちの投票を抑えて「お化け屋敷」の演目を勝ち取った。
ストーリーも屋敷図の構成もすべて原が考え、仕事の役割も原が分担して取り仕切った。
クラスメイトもわざわざ衝突してまで反対するものはおらず、ぞろぞろと原の命令に付き従った。すべては原のシナリオ通りだった。
高木という生徒は友人の内田と、屋敷のセットを作るというかなりの重労働を振り分けられた。
小野が思うに、清水以外にも「お客さん」扱いされる人間はいた。
原に気に入られれば、どんなときでも「お客さん」扱いをされる者も現れた。
高木はそのうちの一人だった。
彼女は基本的に大人しく、自分の意見を表立って主張することのない「つつましい」性格だった。
内田も内向的な性格で高木とは違ってあまり笑わない暗い印象を受ける子であったが、高木と馬が合ったのだと思われた。
小野も物資を運んだり連絡伝達をしたりと動き回っていた。
その折、内田と高木が二人で一緒に作業をしているところを、開け放った窓越しに見かけたのであった。
するとそこに、方々に指示を出しているはずの原がテンション高くやってきて、高木を一人どこかに連れて行ってしまった。
廊下にはまったく文化祭とは関係のない世間話をしている原の声が響き渡っていた。小野は、ひとりで暫く固まっていた様子の内田からそろりと目をそらせ、各所へ伝達をし始めるのだった。
忙しく動き回った小野が半刻以上たって再び教室付近へ戻ってきたとき、内田は未だに一人だった。
そこへ外から高木を連れて戻ってきた原が内田に、先ほどまでの高木に話しかけていた甲高い声とは打って変わってトーンダウンし、「あら内田さん、ご苦労様」と声を掛けた。
高木は当たり前のように、置いてきぼりにした内田が作業を進めてくれていたことに関して何か声を掛けることもなく、作業を再開させるのだった。
小野はその様子を見て思わず背を向けた。小野には原の台詞が、「あら内田さん、あなたのような下々の者が私のために働いて、どうもご苦労様」と副声音が入って聞こえた気がしたのだ。
小野は憂鬱だった。
原と竹内は小野の首に真綿でできたリードを引っ掛け、卒業するまでズルズルと引きずり回すのだ。
とはいえ今更離反しようとしても彼女達からは、駒が生意気にも反抗している、と嫌がらせをされるようになるのだろう。
周りからの救助は全く期待できない。気が付けば真綿のリードで吊り下げられ、崖下の虚空を見つめながらぶらんと揺れているのだろう。
あるとき中西に「小野さんは原さん達が好きで一緒にいるの?」と聞かれた。思わず目を剝いた。
そんなことがあるはずも無いが、そう公言できる訳もなかった。
慌ててあたりを見渡したが、原と竹内の姿は見えなかったのでそうっと胸をなでおろした。
そして小野は中西に向かってシー!と唇の前に指を立てて注意し、こっそり宣言した。
「私の目下の目標は、なるべく目立たず騒がず、スムーズに卒業することだから」
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