女子校

ただようほこり

第1話 プライド

 女子校―そこは、学校という檻に閉じ込められた思春期の女性の意地と意地が激しくぶつかり合う、地獄である。



 パイプオルガンの荘厳な調べとともに、まだあどけなさを帯びている少女達が可憐に讃美歌をさえずった。

 この春、入学してきた新入生を学びの友として歓迎するためである。

 舞台からはけた少女達を背後に、牧師でもある校長が聖書の一節を引用してこの良き日を寿いだ。

 清水は入学式が行われている聖堂の席の真ん中の席に座って、ドームに反響した少女達の歌声とパイプオルガンの余韻に浸っていた。

 普段あれほどおとな達の小綺麗な言葉を毛嫌いしているのにも関わらず、聖堂に響き渡った調べの余韻を味わいながら聞く校長先生のことばはスルリと胸に入ってきた。

 (決めた…絶対に合唱部に入る!)

 清水は確固たる思いを胸に、煌びやかに思い描く学生生活を歩み始めたのであった。


 清水が入学した私立聖心女学校は、県内でも有数の進学校だった。キリスト教精神を学びの精神に据え、長い歴史を刻んできた伝統のある学校である。

 朝は朝礼代わりに礼拝堂に集まり聖書をよみ、讃美歌をうたう。

 その聖なる歌を聞きにイベント時には近隣から人が集まってくることもあり、学校を代表して讃美歌をうたうのが合唱部だった。

 女学生によって編成された合唱部は、コンクールにも出場して賞を取るほどであった。

 聖心女学校に入ろうと夢見る生徒はもれなく、学校の顔として活動をするこの合唱部に憧れた。


 清水の足並みは軽やかだった。

 合唱部の一員として初めての部活動だったのである。

 進学校であるこの聖心の合唱部に入学するには、まず難関入試を突破しなくてはならなかった。

 そして無事合格したのち、合唱部へ入部届を出して受理される必要があった。

 万が一定員オーバーの場合、「今後の学生生活が良きものとなるようお祈り」されるかもしれなかったのだ。

 そう、清水はまさに選ばれし者なのである。

 はじめは体験入部という形で入部したが、無事これから部活動での苦楽を共にするメンバーが決まったようだった。

 清水が自然と行動を共にするようになったのは、同期の池田、山崎、村上だった。なかでも池田は清水が苦手としているタイプの人間だった。

 兎にも角にも自慢話が多いのである。

 聖心に入学する前に大抵の学生は塾に行き、普段の学校と並行して受験への対策を講じるものである。

 池田が通っていた塾の方針は、塾で行われる定期テストの成績順位によってクラスを編成するものであった。

 塾としては学生に向上心を持たせることが目的なのであろう。

 池田はそこで行われた全国模試で上位に食い込むほどの実力だった、とは本人の談である。だから何なのか。

 しかし、まあ何か彼女の心の琴線に触れる出来事があったのだろうと、最初のうちは話を聞いてやっていた。

 ところが聞いてるうちにだんだんと疲れてくるので徐々に距離を置き始めたのだった。

 

 合唱部内でのグループから距離を置き始めると、必然的に校内で一緒に行動する友人がいなくなった。

 クラスでも若干既にグループが出来始めていたこともあり、慌てて席が隣であった小野に声を掛けた。

 小野はにこやかに応えて、所属している友人のグループに誘ってくれた。

 そこからは何か行動を部活動のとき以外で起こすときには、小野がいるところへ駆け寄って一緒にするようになった。

 夏の合唱コンクールへ向けて急ピッチで準備が進められていた。

 清水は発声練習をするとき、山崎や村上と組むことが多かった。

 なるべく池田と組むことは避けるようにはしていたが、同期で組むことが多い以上なかなか離れることはできなかった。

 池田がいないところで山崎や村上が池田の自慢話への愚痴をこぼすことが多くなっていたこともある。

 山崎と村上もあまり池田と話したくないようだった。

 上級生への礼儀というものも先輩方から厳しく叩き込まれた。

 先輩と移動教室などですれ違うと必ず挨拶をするように。しない場合は上級生から呼び出しをしてお話を聞かせてもらいます、と威圧的に注意されたが、まず上級生の顔をまだ覚えきれていなかった。

 同期の性格が気に食わないからと争っている場合ではないのだ。

 

 これから声のパート分けをするよ、と音楽教師が新入部員の集まる音楽室に入ってきた。上級生は各自パートごとの練習をし始めていた。

 清水はソプラノパートを歌いたいと入学礼拝式のときから願っていた。

 あのホールいっぱいにこだまする天使のささやき声のようなソプラノは、今でも清水の耳の奥で響いた。

 ところが、清水が高い声を出そうとしても、なかなか透き通ったような、あの天使の声は喉から出てこないのだった。

 音楽教師が清水さんはアルトパートね、と宣告した。音楽教師の綺麗な口の形がぐにゃりと歪んだ、気がした。

 池田はソプラノパートに選ばれ、なんでも出来る自分なのだと自慢していた。

 山崎は清水と同じアルトパートだった。

 村上はソプラノパートに選ばれ、池田と組んで練習することが多くなったようだ。

 山崎とは苦も無く会話を弾ませられるので、本当はソプラノパートをしたかったのだと愚痴を言うことが出来た。

 山崎は、池田のほうをちらっと見ると、そっかぁ、とため息交じりに答えた。

 そして、でもアルトがないと合唱全体の美しさは出ないよ、一緒に頑張ろう!とへらっと笑って言うと、ポケットから紙の端切れを出してボールペンで何かを書いた。

「それは?」

「ン~?わたしのSNSのID。はい、良かったらつながろう?」

 差し出された紙を見て、清水は瞬いた。

 でも、我が家のルールでは携帯やSNSを頻繁に見ることはできないのだ。

 山崎にそう告げると目を細めて、大丈夫、と笑った。

 SNSで合唱部のグループがあるらしく、そこに山崎から招待されたので入ってみた。

 あまり携帯を触ることはできないけど、友人と繋がることはできた。清水は静かにほうっと息をついた。

 

 文化祭やクリスマスの合唱部の発表は、夏の合唱コンクールのときよりも飛ぶように早く過ぎていった。

 例のSNSは合唱部内の定期連絡のみならず、学校の宿題の確認や連絡にも使われた。

 山崎と村上とは個人的に休日遊びに行ったりすることもあった。

 桜の蕾が花開く頃新たな学生が門を叩き、入学礼拝式で新入生歓迎の合唱準備に奔走するのだった。

 新入生を迎えて始まった部活動、上級生としての第一声を池田が発した。

 私たちが過去に上級生から注意されたこと―脅されたと言ってもいいかもしれない―をそっくりそのまま下級生に言ってのけたのである。

 清水としては、上級生になったからと言って歳が一、二年変わるに過ぎないのだから、もう少し優しく言っても良いのではないかとは思う。

 しかしともかく、池田によって下級生は出る前から杭を打たれたのである。

 清水は池田の口から発されるものがひどく澱んでいて、それに足元をゆっくりと絡め取っていかれるような息苦しさを覚えていた。

 山崎と村上は、阿部と福田という一年生と仲良くなっていた。

 池田は清水たち同級生と過ごすこともあれば、下級生と過ごすこともあった。

 とはいっても相変わらずの様子なのでに避けられていたり、陰で悪口を聞くことが多いように感じた。そのたびに清水は自分の気持ちに反して、彼女達をなだめるのだった。

 三度目の桜が並木道で桃色の絨毯を敷いた頃、池田は部内で孤立していた。

 最上級生としての務めを果たして部を率いていこうとしたのは良いが、それが彼女の性格と相まって更なる悪印象を招いていた。

 その年の冬、清水たち三年生は聖堂に集められていた。

 いつものとおりに長期休みに入る前の注意事項と宿題配布が済まされ解散かと思いきや、教師に呼ばれて池田が一同の前に立った。

 彼女は真顔だった。

 曰く、自分は部内でいじめに遭っていた。

 SNSやインターネット上で散々悪口を書き込まれていた。後輩にも馬鹿にされ、苦痛だった。

 人格否定にとどまらなかったので、この度転校することにした、と。

 あとを引き継いだ数学教師が、そのような見るに堪えない人格攻撃をSNS上ですることの悪質さを説いて、締めくくった。

 清水は開いた口が塞がらなかった。

 いつ、どこで人格否定以上にもなる悪口が書き込まれていたのか。

 自分が知っているSNSにはそんなこと一言も書き込まれていなかった。

 それに、池田は被害者としてしか扱われていなかった。

 しかし、被害者としてのレッテルを手に入れた池田に何を言っても、それは「いじめ」としてしか見做されなくなるのではないか。

 清水には、池田に対する憤りを正当にぶつける機会を逸してしまったように感じた。

 のちに、山崎・村上・阿部・福田の四人が清水と関わりのないSNSサービス上で、池田を散々にこき下ろしていたことを耳にした。

 明らかにいじめであった。

 しかし、何故池田が学校を去ることになったのか、実態を把握している者はどの程度いたのだろうか。

 彼女がこの学校に遺した澱みは心の奥に小さな歪みを作り、少しだけそれをあらわにして放り去られたのだった。

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