第47話 研究所解放後 1 薄幸の明音

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 八神達が白衣の男をあと少しというところで取り逃がしてから二時間ほど経過した。

 ティルトローター機から降下してきた中村達がこの研究所を一応制圧したのが一時間前。


 無人だった研究所を制圧したと言っていいのか疑問ではあるが。

 自爆装置の有無が心配だったが、爆発物の類はなさそうだと言うのが中村達の意見である。

 データを見ようにも、端末のオペレーションシステムやデータの殆どが消滅していたので、動かす事は無理があった。解析には相当な時間が掛かると予想される。


 端末など装置とは別に、八神と明音の目の前には三人の男性と一人の少女が寝かされて、寝息を立てているのが見える。

 彼らは円筒形の水槽に入っていた白衣の男が研究していた被験者、つまりは被害者だ。

 目を覚まさぬので事情聴取は後日となったが、どんな話が聞けるのか警察としては戦々恐々であろう。


「まだ、時間が掛かるとよ」

「まぁ、そうだろうな」


 八神と明音の後ろから中村が声をかけてきた。

 研究所の機能を制御していた端末が動かなくなり電気もつかず、ちっぽけなライトしか頼りにできぬこの暗闇はよく声が通った。それほど大きくない声であっても反響が酷い。こんなに反響していたかと思ったが、端末が響く音を打ち消すように音をコントロールしていたのかと思えば納得出来るのであった。


 その”ヌッ”と現れた中村は研究所から出て警察本部へと連絡してきて、この研究所を調べる為の鑑識や設備、東京二十四区ニュー・ヒューマン特別課の面々がここへ到着するのは深夜になるだろうと聞いてきて溜息をもらしていた。


 ここは海上に突き出している煙突部分はほんのわずかしかなく、警視庁が使用している大型のティルトローター機は当然だが、ヘリコプターですら到着できるスペースが無い。なので、大勢で乗り入れるには八神がたどった地下道を歩いて進むか、海上を船で進むしか無い。

 当然、大勢を送り込もうとしているのだから後者しか選択肢は無く、船舶の準備と調査機材、そして、人員の確保の関係からすぐに送り込めるはずもなかった。


「そうなると、時間つぶしか……」


 中村達が強襲のため使用したティルトローター機には救助者のためにと食料や毛布などが積み込まれ、今はそれを利用し体を休めていた。それでも時間をつぶすには手持無沙汰であることは変わりなく如何したらよいかと頭を悩ませるのであった。


「ねぇねぇ、わたしはどうすればいいのよ?動くなって言われて、納得できないんだけど?」


 暇を持て余そうとしていたところ、大人しく八神と中村の会話に耳を向けていた明音が問いかけてきた。明音自身は気を紛らわそうと身体を動かそうと考えた。そうすればこの辛い状況が少しでも好転するのではないかと思ったのだろう。

 確かに目の前の惨状を見れば辛いだろうとは誰の目にもはっきりとわかる。

 身内が研究室の水槽に浸かって実験材料にされていたのだから惨状と呼ぶにふさわしい光景だ。


 しかし、ほんの少しの説明と引き換えに”大人しくしていろ”と言われて納得できるはずも無かった。八神からしてみれば手伝う気満々の明音が辺りに散見できる端末をうっかりと触って壊されたら目も当てられない惨状になるのは確実だった。

 本来なら、もっと落ち着いてからじっくりと、第三者という二十四区役所の地下に居るを交えて説明をしようと考えていた。その方がしっかりと受け止めてくれるだろうと考えていたからだ。


 その状況を踏まえ、八神はどうするかと考えあぐねるのだった。


「だがよぉ。もうちょっとお嬢ちゃんに話をしてやった方がいいんじゃないか?」

「そ、そうか?」

「そうよ。そのおっちゃんの言う通り。可憐にして薄幸な少女に愛の手を」


 八神は伊央理を助け出してから性格が変わったのかと明音にジトッとした視線を向ける。

 しかし、中村の言うことにも一理ある、そう思えば話さざるを得ないだろうと重い口を開く事にした。


「薄幸かどうかはこの際、置いといて……。明音、お前の身体は”ニュー・ヒューマン”に成ったと、何となくで良いから理解したか?」


 ”ニュー・ヒューマン”はどんな人達なのか、ネットの海にいくらでも情報は浮かんでいる。今では学校でも教える程である。身体能力が普通の人の数倍あり、それぞれが特殊能力を備える。基本的には社会に溶け込もうとしているので、もし見たとしても普通の人と同じように扱うように、と。


 そして、件の明音であるが、今まさに”ニュー・ヒューマン”へと成ったばかり。人間の数倍の身体能力を持つに至った。特殊能力はまだ確定していないが、毒ガスなどを浄化する能力を持つに至ったと八神は考えている。


 それらを一から説明するのも面倒と、八神はバックパックをガサゴソと探り、簡易包装の携帯食料を取り出して明音へと”ほれっ”との掛け声と共に放り投げた。

 空中に放物線を描きながら手元へ落ちるそれを何気なく明音は掴んだ、つもりだった。

 しかし、我が目を疑うような光景に明音は思わず身体をのけ反らせて驚いた。


「……。な、何よこれ?」


 数秒ののち、我に返った明音が悲鳴とも怒号とも取れる声を上げた。

 何気なく掴んでいただろうその携帯食料が爆発、いや、爆散してしまったのだから始めてみれば誰でも驚くに違いない。


「それが、お前の今の力だ」

「わたし……、の?」


 明音の身体は”ニュー・ヒューマン”へと成ったと説明を受けた。当然、”ニュー・ヒューマン”が何者なのかと何となく知っていたつもりだった。しかし、”知っていた”と”成ってしまった”では事実が大きく異なる。

 頭で理解できたとしても、身体から溢れる力を制御するにはまだ経験が足りていなかった。その為に、何気なく掴んだ携帯食料は明音の力によって握り潰され、爆散してしまったのである。


「これでわかったか?お前は妹を助けたい一心でその身体に成ったんだ」

「わ、わかったわよ。でもこれじゃ、普通の生活に戻れないじゃないの……。辛いわ。やっぱり薄幸の美少女なのね」


 百聞は一見に如かずと言うが、携帯食料が明音の手で爆散した事により何故大人しく知っていろと言われたのかを理解した。今の彼女ではちょっと動いただけで辺り全てを壊してしまう、だからなのだと。


「で、でもさ。アンタは普通に生活してるじゃない。可笑しいじゃない」

「それもわかる」


 明音が怪力を発揮して携帯食料を爆散させたにもかかわらず、それを放り投げた八神が普通の力加減だったのが納得いかないと頬を膨らませて可愛らしい怒りを向ける。


「だがな、成ってからの年季が違うんだ。それは仕方がないだろう。俺も同じようにこの馬鹿力に何度挫折を味わった事か。だがな、力を押さえる訓練をしたら、慣れた。その時の経験もあるから今は何の心配もいらない」

「そ、そうなのね。安心しておくわよ」

「ああ」


 何事も経験だと八神は言う。


 突如手に入れた有り余る力を持て余していた。自分の身体なのに自分の体ではない、そう思えた。しかし、そのままでは社会に混ざるのは絶望的であったために何とかして力を抑え込もうと試みた。

 当初は今みたいに”ニュー・ヒューマン”を保護しようと考えぬ政府だったために、八神は試行錯誤の連続だったと振り返る。それが少し経った頃から政府が協力してくれるようになり、ほどなくして力を抑制出来るようになり、普通の人に交じって社会生活を送れるようになったのである。


「その代わり、夏休みが無くなるくらいだな?」


 しかし、八神の説明の最後、期末テストも終わり羽根を伸ばせる夏休みが待っているを嬉しそうにしている明音の頭を殴り飛ばしたような衝撃が襲い掛かった。

 楽しみにしていた夏休み。

 いろいろと思い出を作ろうと考えていた矢先に地の底まで落とされれば誰でも気持ちを沈める事だろう。


「ちょ、ちょっと待ってよ。わたしの夏のアバンチュールはどうなるのよ」

「アバンチュールって、お前何歳だよ」

「ほっといてよ」


 カッコいい異性の友達、いや、あわよくば一夏の恋から始まる関係があるかもしれないと楽しみにしていただけに声を上げてしまう。一夏のアバンチュール、なんて甘美な言葉なのだろうかと。


 しかし、それを聞いた中村は”いったい何時の時代に、二十世紀に生きているのか”と呆れた表情をして溜息を吐くのであった。


「男を引っかけるのは来年以降だな」

「そ、そんな~」


 真っ暗で不気味な研究室に明音の悲鳴が木霊するのだった。

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