第44話 戦闘3 覚醒

『悪趣味だと?この崇高な研究に悪趣味と言ったのか!』


 スピーカーから流れる白衣の男の激高した声。

 八神は彼の無慈悲な性格を悪趣味と口にした……つもりだった。

 しかし、白衣の男は悪趣味と聞いた途端冷静さを失い、八神の言葉を別の意味に捉え、自らが誇りにしている研究を馬鹿にされたと受け取った

 八神からすれば”成りそこない”を作り出している男を狂ってるとは思っても、どのような研究をしているか定かでない事まで言及できる筈も無く、悪口を言ったつもりは微塵も無かった。


 冷静さを欠いたとすれば、八神がどんなに頭の奥で計算してもその通りになる筈も無いと”失敗した”と舌打ちするしかない。

 それよりも何より、ここまで怒りの沸点が低いとは思いも寄らなかった、それが率直な感想でもある。


『そんなにお前らが私の研究を馬鹿にするのならその研究を見せてやろうではないか!!』


 端末に向かって動かしていた手を一時止めたと思いきや、再び手を動かし始めると八神達の視界に映る光景が徐々に変わり始めた。視界を塞いでいた曇っていたガラスが晴れ、その先にある様々な装置が露わになったのである。

 その光景に八神は心の奥底から”恐ろしい”と感じるのだった。いや、湧き上がるゾワゾワとした何かに浸食され始めた、そう言い換えても良いかもしれない。


 ただ露わになっただけなら何の感想もないだろう。だた、その装置たるや巨大で人一人が簡単に入ってしまうような円筒形の装置に半分ほど水が入っていただけだから、恐ろしいと感想を抱くのも当然だろう。

 まるで水族館にあるような水槽と思ってもいいだろう。三百六十度全方向から観察できる水槽。違うのは複数の管が水槽に伸びて、何かの実験に使うのが異なるところだろう。

 それが数基並んでいる。


 しかし、八神の視界に飛び込んできた光景とは裏腹に、白衣の男が言う研究がどんなものなのか、全くわからない。装置が稼働しているとは思えないからだ。


「それがどうしたってんだ?何も入ってないじゃないか!」

『いちいち君は五月蝿いね。浅慮なところも大いに馬鹿者と言ってもいいだろう』

「……それはどうも」


 一瞬だけ視線を左右に動かしただけで、その後はゾワゾワした何かに心を蝕まれながらも白衣の男の一挙手一投足に注視する。次の一手は何をしてくるのかと、当然の様に警戒心を抱きながら。

 そして、八神が抱いた警戒の答えが間もなく出ようとする。


 白衣の男は操作していた手を止めてゆっくりと振り返って八神と明音を見据える。ニヤついた笑みとも怒りともわからぬ表情を浮かべながら。


『では、後ろを向いて、見るがいい』


 白衣の男は言った。

 だが、八神がどんなに身体を回そうとしても大男に拘束されて後ろを向くなど出来ぬ相談だった。を出せば可能かもしれないが、今はその時ではないと無能を続けることにした。


「おいおい、この状況で動けるわけないだろう。拘束を緩めるとかしてくれよ。それに人質を取られてるんだから抵抗はしないって」

『ふむ……。それもそうだな』


 白衣の男は怒りがおさまったらしく、顎に手を当てて八神の言葉を冷静に考え始めた。この短時間で冷静になるのはどういった意図があるのかと考えてみた。すると、自慢したいその研究が現れてのだろうと考えた。それが正しいか間違っているのか、八神には判断できないが、白衣の男が高揚してきた事だけは行動から見て取れる。

 そして、白衣の男は八神の言葉を考慮した結果、真であると答えを出した。


『娘は拘束を解いても構わん。後ろを向かせろ』


 ”はぁ、やっとか”そう思いながら強引に後ろに身体を向けさせられる八神と明音。

 明音は失意によってうつむいたまま体の向きを変えさせられ、若干迷惑そうな表情を浮かべたがそれもつかの間の事、すぐに表情を戻していた。

 明音に視線を向けたすぐ後、真っすぐを見据える八神は思わず声を漏らしてしまう。


「こ、これは何だ!」


 身体の向きを強引に変えられ、多少拘束が緩んだとほくそ笑んだのも束の間。八神の目に写った光景に叫ばざるを得なかった。

 先程見た巨大な円筒形の水槽に、人間が入っていたのだから。

 眠っているのか目は瞑っていたが、口と鼻には戦闘機の酸素供給マスクと思えるような装置がつけられ、身体は膝までを隠す貫頭衣に似た白い服を身に纏っているだけ。時折吐いた息が泡となってマスクの隙間から漏れて水面に向かって上がっていく、それだけが生きている証拠となっていた。


 その人の入った円筒形の水槽が五つほどあるのだから、ザワザワした感情は嫌悪感となって八神を覆い被さろうとするのは当然と思える。


『ふふふ。これが私の研究だよ。君達には理解できまい』


 円筒形の水槽に入っているのは人間だけではなかった。遠くに見えるが犬や猫、東京湾を越えて連れてきたのか小型の鹿キョンの姿も見えた。


「く、狂ってやがる」

『それはどうも……。だが、その娘の感想を貰いたいもんだな。おい!』

「やめろ!」


 拘束こそ解かれたが、今にも泣きだしそうで憔悴した表情の明音の顎を大男はむんずと掴むと、うつむいていた顔を持ち上げて彼女の視界に惨たらしい光景を映した。死んだような瞳に写った惨たらしい光景に何を感じたか、その一瞬は誰にもわからなかった。

 しかし、その一瞬ののち、明音の身体全体から放出され始めた禍々しいまでのオーラで彼女が何を感じたのかハッキリとわかった。


「お、おい馬鹿!!怒りを鎮めろ」


 緩くなったとは言、えいまだに拘束され続けている八神は明音に向けて言葉を発するので精一杯だった。何を見て怒りを覚えたのかはわからない。一つだけ八神が知っているのはこのままでは明音がしてしまう事だ。

 明音が八神の言葉に耳を貸して怒りを鎮めれは問題なかった。しかし、怒りに我を忘れた明音には誰の言葉も届くことは無かった。


『な、何をしておる。その娘を早く拘束するんだ』


 明音の後ろに位置していた大男はスピーカーから流れる白衣の男からの声に反応し明音を再び拘束しようと動き始める。


「わたしに触るな!」


 八神の耳に届いた明音の声。それと同時に耳にする何かが砕かれる鈍い音。信じられない光景と音に掛けようとした言葉を思わず飲み込んでしまう。


 明音が無造作に振り回した腕が大男を吹っ飛ばしていたのだから、夢でも見ているのではないかと声を飲み込むのも不思議ではない。華奢な女子高校生が倍以上もある体重を持った大男を吹っ飛ばしたのだから。


 鼻にわずかに届きだした甘い匂いから脱出する時間はそれほど多くないと八神は考え、他者の視線があるこの状況でも奥の手を使わざるを得ないと思い始めた。このままでは二人ともが眠りにつかされ囚われるのも時間の問題だと。だが、八神が覚悟を決め全力を出そうとした矢先に思わぬ事象が明音を襲った。


 明音を中心にして白い稲光に似た放電現象が通路全体を走っていった。

 雷に身を焦がれれば命が危険にさらされる。それは誰もが知っていることだ。しかし、明音を中心にした放電現状からはビリッとした痺れを全く感じられなかった。それより、ほんのりと感じていた甘い匂いが一切しなくなった事に驚くのだった。


「こいつ、もしかして……」


 明音を視線で追いながら思わず声を出してしまう程の想像。

 本当にしまった?八神と同じに?


 最悪な”死”と言う結末を想像していただけに、それとは真逆の結果を出してしまった明音に驚愕するしかなかった。


 そして……。


「い、伊央理に何をしたーー!」


 振り返った明音はガラス越しに見える白衣の男に向かって飛び込んで行く。

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