第43話 戦闘2 絶望

 口をパクパクとさせるが大男の威圧に怯えて声を出せず、息をするので精いっぱいだった。逃げようとしても足は腰は抜けてしまい身体を立ち上がる事すらできない。

 やはり、極々普通の女子高校生の明音には、大男の威圧に耐えられない。粗相しなかった事だけでも褒めてやってもいいかもしれないが。


『ほら、捕まえた!』


 威圧してくる大男から逃れるすべを持たない明音はあっさりと捕まってしまう。大男の力には抗う術を持たず呆然としてしまっていたが、スピーカーからの声に現実に引き戻された。

 そうなって初めて、大男から逃げなくてはとの思いが湧きあがり、体を捻って逃げようと試みるが、明音が身に着けている身体機能倍力装置では抵抗のできるほどの力は無く、傍から見れば駄々をこねる子供のようにしか見えなかった。


 そうなれば事態は悪い方に悪い方にと傾いて行くしかない。もしかしたら、均衡を保っていた天秤の片皿に超重量がのしかかって壊れてしまう、そんな風にも思えるかもしれない。

 それほどに状況が悪化、いや、最悪になった。


『ほれ。無駄な抵抗はよせ。娘が死んでもいいのかな~』


 再び耳に流れ込んでくるスピーカーから流れる白衣の男の無慈悲な声。

 八神は首をほんの少し動かし視界の隅にじたばたとしている明音の姿を捉える。白衣の男の無慈悲な言葉が現実であり、自らの行動が裏目に出てしまったと痛感し抵抗を一時諦めるしかないと思うしかなかった。


 明音があれだけ身をよじっても微動だにしない大男の腕力。八神と組み合っている大男と同等の怪力の持ち主であろうことは明音を軽々と持ち上げられている事からも明白だ。八神が抵抗を諦めるしかないと思ったのは、これ以上と格闘を演じ続けていたら依頼人の、いや、未来のある若者である明音の生命いのちを危険にさらしてしまうと感じたからだ。


 ただ、一つだけ懸念事項が無い訳でもない。


 組み合っている大男もそうだが、明音を捕まえている大男もガスマスクを被っている理由がわからなかった。

 ガスマスクで懸念するのは毒ガスを充満され、殺されることだ。

 だが、白衣の男がスピーカー越しに一言喋った”被検体”との単語。殺してしまっては”被検体”の意味がなさないのではないかとも思える。大男が無手で現れている事を考慮すれば、飲まされたり、体内に注入されるなど無いだろう。

 そうなると、ガスによる睡眠導入か神経剤で行動を奪うか、そんなところではないかと予想した。


 狭い通路だが、ガスを充満するには時間が掛かるだろう。その間に何とか手を打てればと、八神は組み合っていた大男との力を弱めるのだった。


「ああ、わかったよ」


 両手を挙げて抵抗を諦めるそぶりを八神が見せると、白衣の男は満面の笑みを浮かべて喜びを露わにする。


『はっはっは、それでいい。そのまま大人しくしておくが良い。これで”被検体”が二体も手に入ったぞ。順調順調』


 八神は挙げた両手を大男に掴まれ、後ろ手に掴まれた。

 その姿勢であれば、いくら怪力の八神であっても抜け出すには困難だろう。


 しかし、大男の行動に思うところが無い訳でもない。

 後ろ手に掴んでいるのなら、ロープや結束バンドで縛って置いた方が無難だろう。それをしないのは何故なのか、と疑問が頭に浮かぶ。それに、そのまま何処かへ連れて行ってから施術を施すのも効果的だ。

 だが、それを行わないのは何か理由があるのか、そこに付け込む隙があるのでは、八神の脳細胞が高速で回転し、様々な状況を脳裏に浮かべるのであった。


 先程まで騒いでいた明音は八神が抵抗を諦めた瞬間から大人しくなり、がっくりと項垂れている。絶望に似た色を顔に浮かべ、”この世の終わりだ”、とそんな感情に浸っているのかもしれない。


 そして、ガラス越しの白衣の男はというと、背を向けてテーブルに設置された数台の端末を行き来しながら何かのプログラムを動かし始めている。


『ふむ、これが珍しいかね?』


 八神の心を呼んだのか、背中越しに白衣の男がぼそりと呟いた。

 たしかに、白衣の男の背中越しに見える画面には理解できぬ数式で埋め尽くされている。それも昔ながらの真っ暗な画面の中に真っ白の文字で浮かび上がる様にだ。

 今時のコンピューターはそんな数式を表示させるなど一般では考えられない。これが企業や大学の研究室であれば何となく理解できる。


 そうなると、やはり、”実験”なのか、と考えるのだった。


『そう、実験だよ』


 再び、八神の心を見透かしたように白衣の男の声が響く。


『どうせ、君たちは私の”被検体”として活躍して貰わなければならない。と言っても、すぐに眠ってしまうだろうからね』


 端末をいじって何かの命令を実行させる。

 すると、八神の耳に小さく”シュー”と、エアダスターで風を吹き込むような音が聞こえだした。白衣の男の口調からすれば睡眠導入ガスが注入され始めたのだろう。これはますます絶望が近づいてきた、そう思わざるを得ないと八神は明音に謝る事にした。


「明音、すまないな。睡眠ガスで眠らされて、終わりみたいだ」


 ほんの少しでも隙があれば逃げる算段を取りたいとは思うがは絶望的だ。二人を拘束する大男達は白衣の男の命令に絶対で力を緩める事さえしない。むしろ力を入れ込んでいる程だ。

 しかし、二人の大男では臨機応変に事に望むには向いていないらしい、と考える。付け込める隙はそこに見出すしか無いだろう。針の穴を通すような希望を見出すには一束の藁を掴んで水上に浮かぶほど絶望的な確率しかないと思えば謝るしか今は出来ない。


 それを聞き、明音は察したのか溜息交じりの言葉を吐き出した。


「そう……。短い人生だったわね~」


 八神に責任を擦り付けたいが、明音自身に原因があると思い出せばそうも行かない。妹の伊央理を探し出したいと勇んだ結果がこれだ。

 ただ、達観するにはまだまだ若い、抵抗を試みたいとも考えるが、がっしりと掴まれてそれすら許されないのだから仕方がないと自らに言い聞かせる。


『はははっ。諦めがついたか。そうだな、冥途の土産にお前達の明日を教えてやろう』


 スピーカーから聞こえてくる白衣の男が紡ぐ絶望の言葉。二人のこれからがどうなるのかを説明し始める。今までもそうやって命の使い方を聞かせてきたのだと言う。

 端末に向かいながらニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべるのは、絶望を顔に浮かべるのを眺めて悦に入る悪趣味に他ならないと八神は思う。


「ホント、悪趣味だな。お前」


 思わず口をついて出てきた一言。

 絶望の色を浮かべていた明音にとってもその一言は気持ちを現実に戻させる一種のカンフル剤となったようだ。明音の口から”ぷっ!”と噴き出したのだから。

 明音がそうやって気持ちを切り替えさせたのは、気を失うまでの一時いっときとなる筈だった。明音もそう思っただろう。絶望の淵に立たされて崖下を見ながら恐怖を感じるよりも、笑みを浮かべながらの方がよっぽどましだ、気持ちを十分に切り替えられた。

 しかし、八神の思わず漏らした一言と、明音が噴き出した笑いが白衣の男の逆鱗に振れるとは思ってもいなかった。


 先程までは八神が何を言っても暖簾に腕押しとばかりに軽く聞き流していたが、八神が”悪趣味”だと口にした瞬間から、白衣の男は顔を赤らめて激高して行く。

 自身が渾身の研究成果と誇っていた結果が認められず、”悪趣味”だと袖にされたのだから。

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