第42話 戦闘1 劣勢

「作品だかなんだか知らないが、返り討ちにしてやる」

『ほざくがいい。腕の一本や二本、いや、三本でも四本でも折ってもいいが、殺すなよ。行け!』


 大男に向かって脱兎のごとく駆け出した八神の耳に白衣の男空の声がスピーカー越しに届いた。自信満々なその鼻っ柱をへし折ってやる、そんな気持ちから、”全力をもって一瞬で終わらせる”そう内心で叫びながら殴りかかる。


 八神は慢心などしていない。

 存在する”ニュー・ヒューマン”の中でも八神は弱い方だ。努力し続けなければ一向に強くなれない。

 だから、訓練を欠かさずに鍛えている。

 だから、戦いに遭遇した時には全力で敵を叩きのめす、そう胸に刻んでいたのだ。

 だから、大男を全力で殴り一瞬で終わらせる、”成りそこない”を一発で屠るほどの強烈な一撃をお見舞いしたのであった。


 ……が。


「なん……、だと?」


 目にも止まらぬ八神の右ストレートが大男の手によって簡単に止められてしまった。彼が出せる力の限りを込めた右ストレートが、である。


『ふん、そんな一発、私の”作品”に通じるはずないだろう』


 スピーカーから流れる白衣の男の言葉はいちいち棘がある嫌味ばかりだ。

 当然八神達はその言葉の一つ一つが癇に障りイライラが募る。


 だがこの時、八神達は敵に相対して感じていなかったが白衣の男の心臓がスピーカーを通して聞こえてしまうのではないかと思う程にドキドキと脈打っていた。

 それは八神が繰り出した右ストレートが目にも止まらぬ速さで繰り出され、大男が一発でノックアウトされるのではないかと刹那の間に感じてしまったからに他ならない。

 しかし、その結果、大男は見事に期待に応え八神の動きを止める事に成功した。


 その刹那の後、八神は掴まれた腕を強引に振りほどき後方へ跳躍して距離を取った。


「ちょっと!何やってんのよ。さっきの強気は何処へ行ったのよ」

「うるせー!アイツ、手強いんだよ」


 頼れる相棒、八神の事をそう思ったのはついさっき。大穴から脱出時に揺れ動く心で感じたことだ。

 大穴の底で”成りそこない”と呼ばれる敵をあっという間に屠った、その頼れる相棒が目にも止まらぬ速さで繰り出した攻撃が止められてしまったのだ、愚痴の一つも言いたくなるのは、暗い地下にかなりの時間いて追いつめられているのだから、心理的には仕方がないだろう。


 八神は明音から愚痴を向けられ思わず大声で叫び返してしまった。それが彼の心理を言い表していると言ってもいいだろう。

 渾身の力を込めて繰り出した右ストレート。今まで相対した”成りそこない”だったら屠るまでは行かないまでも殴り飛ばし、戦闘能力をある程度奪えた筈だ。予想だにしない敵の強さに焦りが生じ、ごくりと唾を飲み込む。

 これが八神が全力であったのなら、掴もうとした腕もろとも大男の身体を突き破って決着を付けていた。と思いながらも結果は結果、白衣の男や明音が見ている手前、正体を明かせる筈も無く苦々しく思うしかなかった。


『その男を拘束しろ!出来るな?』


 スピーカーから流れる白衣の男の命令に大男が反応する。

 重心を一瞬で下げると、下半身の強力なバネで地面を蹴って八神へ飛び出した。それと同時に右腕をグイっと引き搾り八神と交差すると同時にその腕を解き放つ。


「ちっ!」


 八神は瞬時に右に飛び退くと大男の視界の外へと出て反撃に転じようと試みる。防毒マスクは視界が狭く身体から出る汗が水蒸気となりレンズが曇りがちになるだろう、と。刹那の間に考えた結果であったが、それはすぐに覆される。


 大男はその動作を感じたのか、それとも動体視力で捉えたのか、八神の動きに追随するようにすぐに左に身体を向けて再び八神に迫ろうと、地面を蹴ってその身体をカタパルトから射出する戦闘機の様に飛び出した。


 流石の八神も大男の動作に反応できたが身体は付いて行けず、捻って避ける事さえ出来ず巨体の体当たりをもろに受けてしまう。


「ぐっ!」


 体当たりを受けて八神は跳ね飛ばされてしまった。

 だだっ広い体育館の様な広場ではなく、広くもない通路の様な場所なのだからゴロゴロと転がって力を弱める事すら出来ず、八神は背中から壁にぶち当たり潰された蜥蜴の様な声を漏らす。そして、肺に渦巻いていた空気が強制的に吐き出され、酸素欠乏症になるのではないかと思う程に苦しみを露わにした。


 大男は転がった八神を掴もうと両の腕を伸ばしながら追撃をする。

 肺の空気が無くなり注意が散漫になりながらも床を転がって大男の追撃を逃れる。横隔膜を一杯に動かし肺へ空気を吸い込み、瞬時に立ち上がって反撃の体勢を整える。

 体勢が整ったと同時に八神は大男とがっぷりと組み合った。


 八神が思うに、力は互角。いや、大男が若干優勢に感じられる。

 そして、速度は八神に軍配が上がるが、下半身の力強さは大男が勝る。

 実力はほぼ互角。組み合いながら様々なシチュエーションを考え、どうやってこの場から逃げるかを思案する。


 八神一人だったら、本来の力を開放して大男を制圧し白衣の男を拘束するなど造作もない事だろう。しかし明音がいる手前、八神が”ニュー・ヒューマン”である事を隠しておきたい。だから、思案に思案を重ねるのであった。


 その考えが良くなかった。

 大男と組み合った間ではよかった。思案する時間を稼げたのだから。

 八神の思考を妨げるように、スピーカーから白衣の男の声が追撃の様に聞こえてきた。


『ふむ、かなりの実力を持っているようだな。だが、私の作品が一匹とは誰が言ったか?』


 まさに寝耳に水と言うべきだろう。

 地下水路で倒した敵を一人倒しており、目の前の大男さえ如何にかすればこの場から逃走するのは容易いだろうと考えていた。普通なら戦力の逐次投入は戦術としては下の下となる。

 しかし、八神と明音の二人を観察していれば戦力となるのは八神一人。八神さえなんとさすれば明音は如何とでもなる、そう考えるのは理にかなっていると言える。

 それに、初期に投入する戦力を制限しておけば、後に同等の戦力を出して敵を絶望の淵に追い落とすことが出来る。

 敵の罠にまんまとはまった。八神は明音を視界の隅に捉えながらそう感じ、臍を噛むのだった。


 八神はそう考えたが白衣の男の考えは実際には異なっていた。

 戦力を隠していたのはその通りだが、戦力に、この場合は男の作品と言うべき手足の様に動かせる駒の事であるが、それに余裕が無かったのが理由だ。八神と組み合っている大男とは別にもう一匹しか手駒いないのだから。

 手駒を出し渋った事で敵の動揺を誘い、有利に進めるとは思ってもなかったのだから、思わず嫌らしい笑みを浮かべてしまう。


『お前はその男をその場から逃がすな。もう一匹はその娘を拘束しろ!』


 何処へ命令したのか、再びスピーカー越しに白衣の男の声が流れた。

 明音が危ない、と組み合っている大男を引きはがそうとするが、巧みに動く大男から逃れる事は出来なかった。


 八神が大男ともみ合っているうちに、何処からともなくゆったりとした足音が聞こえてきた。聞こえてきたのは八神達の後ろから。大男が出てきた方向とは真逆からである。


「くそっ!」


 組んだ姿勢から逃れられない八神。その視界の隅で明音に近づくもう一人の大男。ガスマスクを被り不気味であるのは変わらなかった。


 明音は逃げようとするが、威圧的に近づくガスマスクの大男にがくがくと足が震え、絶望のあまりその場にすとんと腰を降ろしてしまう。


 ついに明音は、新たに表れた大男に囚われてしまうのであった。

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