第40話 這い出た先1 白衣の男

 八神は五メートルの高さにある螺旋階段の一段目に身体能力を生かして飛び乗った。そのまま飛び上がれる筈もなく、鉤爪のついたロープと壁を蹴り上げてである。そして、明音の腰に通したロープを引っ張り彼女をそこまで持ち上げる。


「暗いからわからんだろうが、下を見ない方がいいぞ」

「わ、わかってるって……」

「粗相をしても知らんからなぁ~」


 ここが明るければ五メートル位なら地面が見えてしまうだろうが、真っ暗闇の中に二つのライトが灯されているだけだから微かに見えるだけで、地の底が何処まで続くかわからぬ穴がぽっかりと開いているように錯覚する。そう思えば、足が震えてしまうのは仕方がないだろう。

 だが、八神が何を思ったのか明音にセクハラと思われるような言葉を掛けるのだから、睨みつけて返すしか無い。この時、”いつか仕返ししてやる”と思うのは当然と言えば当然だろう。だが、それがいい意味で緊張を解していたのだが、明音には気づく暇はなかった。


 二人は壁沿いに設けられた緩やかな螺旋階段をぐるりと一周、回る事になる。

 そこで螺旋階段は終了し壁にぽっかりと、人一人が通れる通路が口を開けて待っていた。

 進む道はそれしかなく、仕方ないと二人はライトを照らしながらゆっくりと通路を進んでゆく。


「ちょ、ちょっと……。これって大丈夫なの?」


 通路を照らす電灯などある筈も無く、二人が照らすライトの光を頼りに進まざるを得ず、明音は”心配だ”と声を漏らす。これが仲の良い友達と行くテーマパークのお化け屋敷であれば、”キャーキャー”と黄色い声を上げて気を紛らわせられるだろうが、命の危機を感じながらの脱出路探索は気を休められず、声を漏らすのを我慢するほどに精神をすり減らして行く。


「とりあえずは……、大丈夫だ」


 八神は進めていた足を止めて振り返りながら声を掛ける。

 明音は”とりあえず”との言葉に若干の不安を残しながらも”ホッ”と安堵の息を漏らした。


「敵が人手不足じゃなかったら、とっくの昔に捕まってただろうからな」


 だが、八神が言葉として出した”とりあえず”が敵の実情を予想しながらとわかり、吐き出した安堵の気持ちを空気に混ざる前に再び吸い戻したい、そう思うのだった。


 再び真っ暗な闇を進み始める二人。

 通路に入ってからおおよそ百メートル進んだだろうか、今までの通路に比べてやけに広い部屋へとたどり着いた。

 ライトの光が辛うじて向かいの鼠色の壁を照らしている事から、縦横共に十メートルほどの広さを持っていると見られた。


「さて、何処へ向かうか?」

「って言ってもさぁ、一つしかないじゃん?」


 腕を組んでどうするかと悩む八神だったが、明音には何で悩んでいるのか不思議でならなかった。彼女の目には真正面の壁にドアが一つあるだけとしか見えなかったのだから。


「いやいや、あそこにもあるだろう。見えんか?」


 八神が指示したのは二メートルとちょっとの天井に設けられた格子をつけられた通風孔らしき穴だった。


「いや、無理じゃん?」


 明音の言う通り通風孔の格子が外せたとしても、身体を潜り込ませるのが無理なくらいに小さい。三十センチ四方の穴と見れば無理だろう。

 身体が通ったとしても、八神のバックパックは如何するのかと小一時間問い詰めたいと思う程であった。明音が着ているボディースーツや水路を進んだボート、それに飲み物や他にも脱出に必要な道具が入っているだろうから置いておくわけには行かない。


「確かに、進むしか……。……進むしか、ないか」

「??」


 だだっ広いへやにたった一つの扉。

 後ろは真っ暗な立て坑に続く真っ暗な通路が続くのみ。

 戻っても出口は無く、進むしか道は無い。

 八神が自ら指示した通風孔を進むには明音のリュックならば大丈夫だろうが、便利道具満載のバックパックは無理があり、諦めざるを得ない。

 それならば虎口に飛び込む、そんな気持ちで進まざるを得ないだろう。


 溜息を一つ漏らして、八神は足を進めて扉の前に立つ。その横の壁に設置された赤く光るボタンをゆっくりと押下してやると、プシュッと空気の漏れた音が聞こえ扉が横へとスライドしてゆく。扉の向こうからは二人を導くかのように眩い光が溢れ出した。


 溢れ出した光は太陽光に比べれば遥かに弱く淡い光だったが、真っ暗闇の中を進んでいた二人には目の奥を焼くような痛みを感じさせる強烈な光だった。その為に思わず目を細め、さらに手で顔を覆い光を遮るしかなかった。


 暫くして目の奥の痛みが和らいでからゆっくりと瞼を開けて行くと予想だにしなかった光景に目を白黒させるのであった。


「なんだ、ここは?部屋か、通路か……」

「気味悪いわね。海外のテレビドラマで見る何処かの研究室、いえ、鑑識って感じね」


 淡い光が漏れ出す扉の向こうにある新天地へ二人はゆっくりを足を進めた。

 天井に埋め込まれた電灯が淡い光の正体だったと納得するよりも早く、二人の目に飛び込んで来た謎めいた部屋に驚きを感じてしまった。


 八神が言葉にした通り、幅や高さはそれほどは無い。せいぜい数メートルの幅と三メートルもない高さの天井だったが、奥へと視線を向ければ数十メートルもあり通路と呼んでも不思議でない空間だった。


 そしてもう一人、明音が口にしたような研究室とも見て取れる。腰ほどの高さから一メートル程のガラス張りの壁はまさにその通りだと何人もが思うだろう。しかし、ガラスが曇っているのか闇に覆われているのか、はたまた偏光ガラスで作られているのか、ガラス越しに見て取れないのは何のヒントも貰えず、残念と言わざるを得ない。


 ただ、一つハッキリしているのは、出口を見つけるには進むしか無かった事だ。


 思いがけない光景を目の当たりにして見とれている場合ではない、と八神は明音を先導するようにゆっくりと、警戒しながら足を進め始めた。


 数メートル進んでも同じ光景。

 天井の淡い光は安定している。

 横のガラスは二人の姿をぼやっと反射しているだけで、ガラスを隔てたその先を映し出すことは無い。


 そうやって辺りを警戒しながら進んでいると、八神は何となく人の気配を感じ取った。

 暗い縦穴の底に”成りそこない”がいたのだから、誰かしらいるだろうと予想はしていたのだが……。


(どんな奴がいる?)


 八神は足を止め、どんな敵が現れても大丈夫なように重心を下げて周囲を警戒する。


『はっはっは、飛んで火にいる被検体よ。ようこそ、私の研究所へ』


 八神をあざ笑うかの様に頭上から声が聞こえてきた。

 当然ながら頭上は金属製の天井で所々に申し訳程度に人の入れぬ通風孔が開いているくらいだ。

 その他に何があるのかと目を凝らしてみると、通風孔の奥、天井よりもさらに高い所に黒く色分けされたスピーカーが設置されているのを発見した。


 直接ではなくスピーカーからの声ならば何処かにカメラでも仕込んでいるのではないかとキョロキョロと辺りを見渡してみた。だが、それらしい物は発見出来ず、不安からか思わず叫んでしまう。


「何処だ、出てこい」

「そうよ!顔くらい見せなさいよ」


 ”成りそこない”を除けば、この暗い地下には八神と明音の二人しかいない。そこに響いた人の声。それは脱出のヒントをもたらしてくれる有難い存在である。だがそれは同時に、相対する存在であるのだから全く油断できない。

 二人が怒声を上げたのは当然と言えよう。


『そんなに見たいか?それなら見せてやろう』


 再びスピーカーから声が聞こえると左側のガラスの一部が鮮明になり、大きな目を奪われる装置と共に、白衣の男が姿を現した。


『これでどうかな?』


 と。

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