第37話 穴の奥底で1 八神、相対する

「痛つつ……。っと、生きてただけでも儲けもんだったか?」


 落とし穴をにはまり、何とか落下速度を緩めたがそれを維持できず、最後はスロープを滑り落ちた。その結果、地面に不時着程度の衝撃を受けながらも受け身を取って無事に生き残った。丈夫な身体のおかげで怪我らしい怪我は見当たらなかったが肩や尻あたりが打ち身になっているのか鈍痛が襲っていた。

 鈍痛くらいで助かった、と感じるほど運が良い、そう言っても過言ではないだろう。あのまま一直線に落下していれば八神であっても助かることは無かっただろう。だから、あのスロープがどんな意図を思って作られたのかはともかく、助かったのだから感謝するべきであろうと振り向いて首を垂れるのであった。


 自分が助かったのはともかく、生きているとわかれば他人が心配になる。咄嗟とは言え、うら若き乙女の明音を抱きしめてしまったのは失敗だったかと思いながら辺りにライトの光を向けてみる。


 そして、ライトの光に浮かび上がったのは地面に突っ伏し、何ともみっともない恰好で微動だにしない明音の姿だった。制服の下に黒いボディースーツを着ているので怪我などは無いと思いたいが、手首や足首の先、そして頭部は守られておらず、怪我をしてしまったのではないか、それだけだったら良い、打ち所が悪く死んでしまったのではないか、そう思って焦りながら足を一歩前に踏み出した。


「いって~~。踏んだり蹴ったりよ」


 ピクリとも動かず悪い予感が脳裏を過ったが、地面をゴロッと転がるようにして上体を起こし、頭をさすっては文句を口にする明音を見て八神はホッと溜息を吐いた。驚かすなよ、と思いながらも八神はゆっくりと自分の気配を明音に感じさせながら近づき声をかける。


「無事だったか?」

「ええ、一応無事よ。ところどころ痛いけどね」


 八神からの問いかけに体のあちこち、特に肘や膝をさすりながら答える。頑丈に出来ている黒いボディースーツは破れずに明音の身体を守っていたが、流石に打撲の衝撃を防げる性能は持ち合わせていないのだから、それには目を瞑って欲しいと八神は思う。


 痛みはあるが無事であったと思えば当然、欲が出てくる。

 この真っ暗な暗闇でどんな欲を感じるかと言えば、食欲が一番だろうが、今回ばかりは所有欲とでも言っても良いかもしれない。明音は手にしていたライトが何処かに落としてしまったと辺りをキョロキョロと見渡して行く。そして、明音たちの前方数メートルのところに暗闇を照らしているライトを見つけるのであった。


「あんなところにライトが行っちゃったわ」

「そのままで良い、俺が拾ってくる」


 上体を起こしただけの明音が立ち上がろうとしたが、八神は彼女を静止して自ら向かおうと足を一歩、二歩と進めた所でピタリと動きを止める。


「明音!後ろに下がっていろ」

「な、何が来たのよ」


 二人が視線を向けているその先、ライトでうっすらと浮かび上がるシルエットがあった。それはのっしのっしと二足で歩き大柄な人間だとわかる程度だったが、如何どうにも可笑しいとしか思えなかった。明音にしてみれば”助けが来た、助かった”、そう思えなくもないシチュエーションである。

 だが、八神の取った態勢と明音への答え、そして口調が危機的状況であると告げていた。


「”成りそこない”……、だ」


 八神はバックパックを強引に肩から下ろすと、腰に止めてあった真っ黒な刀身のナイフを引き抜いて臨戦態勢を整える。同時に明音の耳になじみのない言葉を呟いた。

 その一言を切っ掛けに八神は重心を落としつつ、”成りそこない”へと駆け出すのであった。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 ”ビィーーー!ビィーーー!”


 薄暗い何処かの部屋の中、壁に設置された幾つかのランプのうち、一つの赤いランプが激しく明滅すると同時に耳障りな大音量のブザーが鳴り響いた。

 鬱陶しそうに顔を上げる白衣の男は何が起こったのかと眉を寄せながら手元のコンソールを操作してディスプレイの表示を入れ替える。

 得体のしれないおどろおどろしい何かが映し出されていた画面から瞬時に真っ暗な画面に切り替わった。だが、カメラが壊れたのかと思う程に何も映っていなかった。


「壊れたか?こっちはどうじゃ!」


 再びコンソールを操作して別の画面を表示させると白衣の男は何とも不思議な表情を浮かべ上がらせた。


「ネズミが罠にかかったかと思ったんじゃが、なんじゃ、アイツは?”廃棄物”を圧倒しておる……。軍隊でも出張ってきたか?」


 ”独り言が多くなった”と白衣の男はぼそりと呟きながら画面を注目する。


 別のカメラからの映像に切り替わったのだろう。明るく映してはいるが画面には激しくノイズが写り込んで見にくい。これは少しの光でも反応する超々高感度カメラなのだから仕方がない。ノイズを除去する技術があったとしても、観察できれば良いだけと安価なカメラを仕込んでおいたのは失敗した、そう思わざるを得ない。


 その超々高感度カメラの映像には二人の人間が映し出されていた。

 一つは白衣の男が”廃棄物”と呼称したモノ。

 もう一つは”廃棄物”と相対し、身体能力と一本のナイフで圧倒する人間の男の姿。


 ”廃棄物”は読んで字の如く白衣の男、--つまり、実験者--、には必要がなく処分しても差し支えない程度のモノなのだ。だが、そのまま捨ててしまうのも勿体ない、後で利用価値があるかもしれないと考え、影響のない場所に捨て置いた。

 それだけの存在である。


 それに対するは丈夫な繊維のジャケットに身を包み、ましらのごとく動き回る一人の男。決定的な一撃を与えるにはもうしばらく掛かりそうだと観察してみると、身に着けている装備から民間人とは思えず、防衛軍の特殊部隊所属隊員が出張ってきたのではないかと考えても良いくらいだった。


「なるほど……。よく考えたら一匹帰ってきておらんな」


 白衣の男は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら短く舌打ちをする。

 その呟きは手足の様に命令を聞く使い走りが一夜明けても戻っていないことを示している。人の言葉を理解し手足の様に動くと言っても、思考は人のそれとは大きくかけ離れていると言ってもいいだろう。命令は聞くが自らの意志では複雑な思考を理解できない、そう思ってもらっていい。

 実験の助手として使うには全くと言っていいほど向いていない。


「とすれば、ここまで来る可能性がありそうじゃな?実験体が一匹……いや、二匹増えるみたいじゃな」


 一人と一匹の動きが激しく画面に映しきれないとカメラのズームを弄り広角側に切り替えると別の人間がその争いを観戦しているのが映し出された。失っても痛くない”廃棄物”に勝利するのは間違いなく白衣の男の元まで来るだろうと予想するまでは想定内だった。だが、もう一つ、女性と思わしき格好をしているのが見えたのには内心の奥底で笑わずにいられなかった。


「もう少しだな……。さて、こちらも用意をしておくかの」


 画面からは”廃棄物”の動きを翻弄し、後背に回り込んだ男が見えた。”廃棄物”と言っても人と同じ構造を持っているのだから弱点は人と変わりがない。

 男は”廃棄物”の後背からのしかかるようにして首回りをがっしりと締め上げる。そして、躊躇なくナイフを横に一閃して見せるのであった。


 超々高感度カメラに映し出された残酷な映像。百人の日本人がいれば九十人以上がその映像に視線を反らし、そのうちの何人かは胃の内容物を撒き散らし、さらに何人かは気を失う、そんなショッキングな映像に白衣の男は笑みを浮かべ、準備を始めるのであった。

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