第36話 地下を行く8 落とし穴

「まったく、どうなってるのよ!ここは」


 土が露出した穴をやっと抜け出したと思ったその先にも人工の構造物で覆われた通路が現れ明音は困惑して怒りを孕んだ声を出してしまう。それだけだったら良かったが、なぜかその怒りの矛先が一緒に歩く八神に向けられてしまうのだから、明音の混乱ぶりが良くわかる。

 だが、八神も大人しく怒りを向けられる訳には行かないと落ち着きを取り戻すように諭し始める。なぜならば明音は今、機能制限版の身体機能倍力装置が備わったボディースーツを身に纏っているからだ。それで殴られたら”痛い”を通り越して骨折してしまうかもしれない。殴られた八神がでは無く手を出した明音がである。

 骨折するだけならまだ良い。最悪はボディスーツで覆われていない手首から先が複雑骨折や解放骨折となってしまうかもしれない。


「おい、ちょっと待てよ。俺だってこれは予想してなかったんだからよ!」


 八神でさえも予想していなかったと聞くと幾分か明音は冷静になったらしく、握った拳を八神に向けるのは止める事となった。だが、それでは腹が収まらないと壁際に移動すると握った拳では痛いと思ったのか、壁を蹴りつけるのであった。


 明音が蹴った所で地下の穴を覆っている人工構造物を壊すなんて真似は出来る筈も無い。

 しかし、なにも変化が起る筈も無かった壁が何故か凹んでしまったのである。


 予想だにしなかった変化に戸惑う明音。

 同時に嫌な予感が脳裏を過る八神。

 どちらも咄嗟の変化に対応できるはずも無いだろう。

 そして、八神が明音に近付こうとしたその時、八神の、いや、二人の足の裏にあった地面の感覚が消えてしまったと感じとった。


「え?」

「やっぱり!!」


 明音が蹴った壁が切っ掛けだったのは間違いない。八神が感じ取った悪意の塊として脳裏に浮かんだ通り現実のものになって現れてしまった。

 足元がパカッと開いたのか、パッと消えたのかはわからないが二人を飲み込んで余りあるほどの大きな穴、落とし穴が現れたのだけは確かだ。


 そうなればどうなるか。

 地球が持つ重力に引かれて中心に向かって落下し始める。一方は小さな舌打ちを残し、もう一方は黄色い悲鳴を流れ星のごとく引きながら。


 これが某国民的泥棒アニメの主人公であれば、袖口に仕込んだワイヤーロープを投げ飛ばして何処かに引っ掛ける、なんて事が出来るかもしれない。だが、現実には落下の速度とワイヤーロープを投げ飛ばす速度はほぼ相殺されてできる筈も無い。むしろ、咄嗟に投げる動作が出来る人間がいたら見てみたい、そう思うだろう。


 そんな事を思いながら八神と明音は真っ暗な落とし穴に落ちて行くのである。


「うっそ~!」

「とりあえず掴まれ!」


 思わぬ出来事に再び声を上げる明音。無駄とはわかっていても咄嗟にスカートの裾がまくれ上がらないように押さえつける。

 明音とは逆に冷静に、それでいて必死に対処しようと、八神は声を掛けながら腕を伸ばして掴もうとする。その甲斐あってか八神の声が辛うじて聞こえたのか振り向いた明音は八神が伸ばした腕に向かって自らの腕も伸ばす。


 ぎりぎりで二人の手が交差するとぎゅっとお互いで握り締める。そして、八神は明音を自らの元へと引っ張ると左腕で彼女を抱きかかえる。

 開いた右腕はと言えば、八神の肩口にかけてあるライトの脇に縛り付けてあったロープを掴んでいた。


(南無三!持ってくれよ)


 わずか数秒でも意識を持っていかれるような落下の速度に達するだろう。なんの予備知識も装備もないままであれば堕ちた瞬間に意識を持っていかれても仕方がない。明音だけだったら落下の途中で気を失い地面にたたきつけられて短い生涯を終えていた。その時は意識が無かっただけ有難いと思うだろう。

 だが、今は明音を抱きしめている八神がいる。存在だけでも頼もしいのに、見た目以上に細い体で力強く抱きしめられては生へ執着しても良いとさえ思ってしまう。いや、執着して良いと思うのではなく、八神は確実に足掻いている。


 それが現実として現れたのは落下からわずか数秒後。重力に引かれて身体が軽くなっていたはずなのに、いきなり空へと引っ張られるそんな感覚が明音を襲ったからだ。


 八神が明音を抱きしめ肩口に止めてあったロープを引っ張る。街中で使う装備とは異なるが、バックパックに括りつけてあった装備が瞬時に展開し始める。良くしなる金属のポールを何本も組み合わせそこに薄い膜が張られている蝙蝠の翼に似た装備が現れ、地球の重力に引かれて落ち行く二人の運命を生へと抗わせる。

 しかし、この世に顕現したと言っても良いその翼は八神一人と荷物を支えるので精一杯だった。軽量化し、コンパクトに畳める最低限度に設計されていたのだから仕方が無いだろう。それに加え広げた翼は落とし穴以上の広さを覆いつくさんばかりに広がり続ける。軽量とは言え金属のポールが壁面を削って赤い火花の軌跡を作り出しているほど。どうしてそうなっているかと言えば顕現した翼は落とし穴よりももっと大きく広がるはずなのだ。

 設計以上の重量を支え、尚且つ、設計通りに広がらぬ翼でどれだけ落下を押さえられるのか、八神は祈るしか出来ないのであった。


 その祈りが通じたのか、十分に落下の速度は押さえられていた。このままの速度を保っていれば八神の力であれば二人とも助かるだろう。だが、八神の祈りはそこまでだった。


”バキッ!!”


 耳障りな破断音が八神と明音に届くまで時間は掛からなかった。


「かぁ!やっぱりか」

「また~~!」


 引力に抗いゆっくりと降りていた八神達だったが、空気を掴んでいた翼からの鈍い音が聞こえた途端、再び落下が始まった。


 掴みかけてた空気がまるで指先から零れ落ちるかの様にするりと抜けて行くと、二人の体はぐんぐんと速度を上げて落下し始め、”もう、これまでか”と、八神でさえも諦め始めてしまう。再び何かに祈りを捧げてもこんな短時間では届く筈もないだろう。

 絶望が二人に重くのしかかる……。


 しかし、諦めかけていた二人を奇跡、いや、軌跡が救う事になる。


 翼が破壊され真っすぐに落下し始めた筈だったが、何故か壁に激突してしまう。

 何故、そのように設計したのかは不明であるが、とある場所から四十五度のスロープ状になっていたのだから驚きである。そうなれば後はそのスロープを滑り台の要領で足に力を込めて速度を殺し滑って行くだけで良くなる。


「とは言えキツイな!」


 しかし、真っすぐに落下していたためか、スロープを滑り落ちる速度がゼロになる筈もない。ある程度まで八神が頑張って速度を緩める事に成功したとはいえ、二人の体重が合わさっていれば頑張りも途中までとなろう。


 ツーっと柔らかい物体にぶつかりながらスロープを滑り降り、地面へと衝突するのだった。衝突と言っても落とし穴を真っ逆さまに落ちていた時ほど速度は出ていなかったのが幸いして、それほどの衝撃は無かった。

 とは言いながらも、ある程度の衝撃は感じざるを得ないだろう。八神であれば問題ないレベルであっても抱えていた明音はそうとはならない。それに八神が結構な怪力を誇っていたとしても落下の衝撃を受けた明音を片腕だけで抑え込める事は無理だった。


 落下の衝撃は八神をその場に残し、抱えられていた明音は投げ出されてゴロゴロと地面を転がるのであった。

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