第32話 地下を行く4 暗黒の暗渠を進む
どれだけ歩いただろうか?
やけに足取りが軽いと思っていたが、それが気が付かぬほどの下り坂と知ったのはつい先程だった。平衡感覚を狂わせる真っ暗な排水路を八神と明音は無言のまま進んで行く。二人が身に着けている僅かばかりに光るライトだけが暗黒の場所で生きている、そんな気にさせる唯一の道具だった。
真っすぐな排水路であるが、ところどころで横に入り込む細い分岐路が見えるが、八神はそれを無視して真っすぐに進む。ジャイロセンサー付きの携帯端末の画面にはどう移動したのか形跡が出ている。どこへ向かっているのかおおよその見当がついていると明音は感じた。
身体機能倍力装置のアシスト機能があるとはいえ、ずっと歩きっぱなしだ。躯体を動かす筋肉は疲れをため込んでいないが、その恩恵にあずからぬ足首から下は違った。体重を支え、硬いコンクリートを踏みしめるのだから履きなれた運動靴だったとしても疲れが末端に集まっているように感じざるを得ない。
しかも真っ暗な闇を精神をすり減らしながら進んでいるのだから、気が滅入るのは仕方がない。明音はそろそろ限界だと八神に言おうかと考え始めていた、その時であった。
テンポよく歩いていた八神が突如足を止めたのだ。
芳しくない表情が斜め後ろにいる明音の視線に写ってしまえば言葉をかけない、そんな選択肢は選べなかった。
「えっと、休憩?」
「まぁ、それもあるが……」
ライトの光が届かぬ先を八神は注視する。明音の眼には何も見えないが、八神は何かを感じ取った、彼女はそう思うのだった。だが、それが何かと尋ねられても今は答えを口になどできなかった。
それでも明音は”何かがある”と、八神の視線が示す暗闇に視線を向け、なおかつ耳も澄ました。
真っ暗な閉鎖空間は人の五感を鋭敏にする。
もしかしたら、視覚に頼れない分ほかの感覚が鋭敏になっているだけかもしれない。それとも、五感とも違う、六番目の感覚が目覚めるかもしれない。いや、それは夢を見すぎだろう。
そんなやり取りが頭の中で行われた明音ではあったが、暗闇で確実に視覚よりも聴力が鋭敏になっているとなんとなくだがわかった気がした。
「これって、水の音?」
「多分な。だが、あまり良いもんじゃない」
地下を通っている排水路なのだから水が流れているのは当然だ。八神と明音が歩いている場所は排水路でもその端、歩道になっているような部分だ。
しかし、二人が耳にした水の音とは横でサラサラと小川のように流れる穏やかな音ではなく、徐々に流れが激しくなる、そんな音だった。とは言っても小川の域を出ないであろうが。
八神だけなら躊躇せずそのまま進んでしまっても何も問題は無い。むしろ、虎口に飛び込む勢いで向かってゆくだろう。しかし、彼の後方には身体機能倍力装置を身につけさせて能力を向上させたとは言え戦闘訓練など行った事がない何処にでもいる女子高校生の明音が控えている。この状況で進むには躊躇せずにはいられない。
一応訓練を受けているとはいえ、八神も根っからの職業軍人ではないのだから他人をとやかく言うことはできないが、明音より身体能力に長けているのは確かだ。
穏やかだった水の音が激しく聞こえてくるのだから、今踏みしめている排水路の平坦な地面が下り坂になっていると見て間違いないだろう。
二人の横を流れ進む水量はそうでもない。一メートル程の幅で数センチ程度の深さしかない。暗渠と言うにはかなりの流れだと考えてもよいが、下水とするには少なすぎる量だろう。
もしかしたらその先で複数の排水路から合流しているかもしれないとも考えられる。
「アンタ、進まないん?」
「お前ねぇ、俺が何も考えないで止まったと思ってんのか?」
この先の危険度が不明であり、ここまで歩いてきて明音の体力が減っている事実を鑑みてもここで一度考える必要があると思ったのだ。
だが、明音はそんな八神の内心を知ってか知らずか、希望に満ちた表情を見せていた。
「どうなっても知らんぞ?」
「ふふふ、望むところよ(帰れるならね)」
明音が口にした言葉に驚きを隠せずに溜息をもらす。先程、”休憩?”と訪ねながら足を揉むそぶりを見せたばかりだろう、と。そんな彼女を見れば、遊園地のアトラクションにもうすぐ入れる、そんな表情を見せているように錯覚させられるのだから始末が悪い。
危険が迫っていると思いながらも足を進めるしかないと、再び歩き始めるのだった。
進み始めた二人の先に見え始めたのは予想通りの光景。
弱いライトの光では数メートルより先は見えないが横を流れる水を見ればかなり地下へ下っていると予想が立てられる。
しかし、その光景は予想の範疇から逸脱していると言っていいだろう。下っている地面の角度に息を飲んだ。
緩やかに下っていれば問題は無い。十パーセント程度なら下るだけなら問題ない。高速道路を走行中なら注意が必要かもしれないが。しかし、角度が百パーセント近くとなっていれば躊躇するしかない。
とは言え、戻っても出口に通ずる通路は格子に遮られ進めぬのだからここを降りるしかない。仮に、少し戻って脇の排水路を選んで進んでも出口に向かうかは疑問が多い。流れ出てくる水の量が雀の涙ほどしか見えないので先細りと考えるのが妥当と八神は考える。
尤も、立ち上がって歩ける排水路は希で屈んで進むしかない排水路など進みたくは無いのだから。
「仕方ない。降りるしかないか……」
八神はぼそりと呟くと、腹を決めて足を踏み出した。
硬く冷たいコンクリートを八神の体重を乗せた靴底が踏み込む。急な下り坂は彼を重力の力を使って引っ張ろうとしているがコンクリートに食い込んだ靴底がそれを許さない。しかし、一歩間違って足を滑らせでもしたら真っ暗な地の底へと落ちて行くと思うと喉の渇きを覚えるだろう。
そんな坂道を一歩、二歩と確かめるように足を運ぶと後ろの明音に向いて、コクンと頷いて見せた。まだまだ地の底は姿を現さないが、死ぬような危険はないだろうと明音に合図したのだ。
その頷きを合図に、八神と明音は真っ暗な地の底へと降りて行くのだった。
そして、どれだけ降りただろうか。おおよそで言えば百か百五十メートル、水面をゼロとして考えればすでに三百メートルも地の底に降りている事になろう。もうしばらく、旧坂が続くと思えた。
「ん?これは」
ゆっくりと降りていた八神はコンクリートの地面に違和感を覚えてライトを近づけてみた。
「足跡……か?昇ってるな、これは」
八神は人が上っている足跡を見つけた。当然、裸足ではなく、安売りの靴専門店で売っているような何処にでもある運動靴の、だ。ただし、その足跡は泥で形作られているのだから不思議に思えるだろう。
見つけた足跡だが、八神が違和感を覚えた場所はかすかに残っている程度。そこから下るに従いはっきりとしているようだった。
コンクリートで固められた排水路。八神達は脇の歩道を歩き、中央には汚水ではなく雨水などを流す排水溝がある。その排水溝の底に泥が薄く溜まっている事は見えたが、それだけで泥の足跡がくっきりと出来上がるのかと言われれば疑問しか浮かばない。
どんな手品を使っているのかネタは明らかに出来ないが、何者かがこの排水路を使って東京二十四区方面へ向かっていることだけは確かと言える。それは、八神達が探している出口が存在する可能性を秘めていると言っても過言ではないだろう。この通路だけが唯一の出入口にするには八神だったらしない。
そう考えれば、出口が存在するか?と疑問を浮かべながらではなく、確信を持って進むことができる、と八神は笑みを浮かべるのであった。
※角度が百パーセントの下り坂=100m進んだ時に100m下る。高速道路などで見るパーセント表記の坂です。簡単に言うと45度の坂道となっています。
※出口は人の出入りだけでなく、空気を入れ替える役目を持たせるだろうとの考えもあります。八神はそっちの可能性も併せて考えたのです。
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