第30話 地下を行く2 ここは地下道。閉じられた地下道

 明音ががっくりと項垂れたからと言って、状況が好転するはずもないし、家にひょいと転移出来るはずもない。八神と明音の二人で歩いて行くしかここから解決の手段は無いだろう。

 絶望にも似た気持ちを振り払いながらゆっくりと視線を上げると、目の前の八神は携帯端末を取り出して弄り始めたところだった。画面に何を表示させているがわからないが、なぞっている指の動作を見る限りでは地図を出して確認しているように見えた。

 八神の瞳に写っているそれが絶望を希望に変えるかは不明だが、少しは期待してもいいかなと答えを聞いてみる事にするのだが……。


「ねぇ……」

「ん?何だ。まだ、何かあるか」

「何かあるか?じゃないわよ。どうやってここから帰るつもりなの?」


 地図を見ながら経路に沿って歩いて帰るしかない、と八神の口から出るのを期待していたが、明音が聞いた答えはそれとは全く異なり、我が耳が可笑しくなったかと疑うものでしかなかった。


「と言うか、すんなりと帰れると思ってるのか?俺達は今、ここに閉じ込められてるんだぞ?」

「は?」


 閉じ込められた?

 明音の脳裏ではたった一秒しか考えを巡らせられなかったにもかかわらず、この場所が牢屋だとか、地下奥深くに閉じ込められた等、様々な考えが浮かんで来た。しかし、そのどれもが現実味を帯びている筈も無く、すぐに次の考えに切り替わって行った。

 その考えが何故、次々に移り変わって行ったかだが、落ち着いて携帯端末をいじる八神を見ていたからに過ぎない。


「う~ん、”閉じ込められた”、と言うのは少し語弊があるな。帰り道を塞がれたと言うべきだったか?」

「え、えぇ~~!それ、同じじゃない」


 八神はそこから今置かれている状況を詳しく説明し始めた。


 明音が何者か、--ここでは敵と呼称することにした--、に攫われたのを見た八神はすぐさま追いかけ始めた。彼女を担いでいるにもかかわらず体のブレは見えず、それでいて思った以上の速さで走り始めたのだから八神は慌てるしかなかった。咄嗟に追いかけ始めたが追いつくことはかなわず、長い距離を追い掛ける羽目になってしまった。


 明音を担いでいた敵は力強く、俊敏性に富んでいた。

 これは防衛軍や警察組織、--警視庁二十四区署特殊捜査課が主である--、が使用している身体機能倍力装置と同等品を使っているだろうと予測した。それでなければ八神が追い付けぬ筈はなかったからだ。


 そして、敵を追い掛け初めて直ぐ、看板の出ていない工場の敷地内にあるマンホールに消えて行くのを目撃した。当然、八神は明音を取り戻すべく、そのマンホールに”南無三”と飛び込んだ。本来なら敵の罠を警戒しながらの追いかけねばならないのだが、この時は明音が攫われた事で気が動転していた。後で思い出してみれば、そう思わざるを得ない。

 しかし、その行動が幸運だったのか、マンホールから入った底、つまりは人が立って歩けるくらいの巨大な排水路には罠らしい罠は見えず、即座に追い掛ける事が出来た。


 とは言いながらも敵は俊敏性に富んでいる。

 いくら八神が足自慢と言っても追い付くにはかなりの時間が掛かった事は確かだ。


 おおよそ三十分。良くそこまで体力が持ったと誰もが思うだろう。巧みに逃げる相手に追いつき、組み合っての格闘の末、明音を取り返すことに成功した。敵は、八神との取っ組み合いの結果、転んで頭を打った事が原因であの世へと旅立って行った。


 それから明音を背負い人が歩けるほどに広い巨大な排水路を戻ろうと数分間歩いたところで思わずため息を吐いた。排水路を耐腐食金属の格子で遮られていたからだ。

 通路が正しいかは携帯端末を利用していたのだから間違いない。衛星からの電波が利用できない地下を進んでいたが、加速度センサー等の利用により移動した距離や方向は記録に残っている。地図ソフト上に加速度センサーを利用した現在位置と移動ログを同時に表示させられるのだからその場所が間違った経路であるはずがなかったのだ。


 耐腐食金属の格子を破壊する道具など持ち合わせているはずもないのだから、戻る選択肢は消え去ってしまったのである。


 それからはそこからあまり離れていない、なるべく落ち着ける場所を見つけ明音を横にして警戒を強めたのである。


「あ~、も~。踏んだり蹴ったり!」

「それ、俺のセリフだぞ。取るんじゃない」


 八神が人ならざる力を持った”ニュー・ヒューマン”である事を隠しながら明音が気を失っていた時の経緯を説明した。それを聞けば明音でなくとも頭を抱えてしまうだろう。

 あまりにも不運、そう思わざるを得ず地団太を踏んだ。だが、よく考えてみればその時の記憶が無かった事は唯一の救いだったと考え直した。意識があったなら現状を受け入れられず、敵の上でじたばたと足掻きもっと酷い事になっていたかもしれない。

 そう思うと、ぞっと背筋が凍る思いがこみあげて来た。


「ま、何にしてもお礼は言っておくわね。ありがと」


 ぞっとする思いは仕方ないとしても、攫われた明音を助けてくれた事実は変わらないと頭を下げた。

 今、この場所で明音に出来るのはそれくらいしかない。明音は先日、八神の調査に同行して見たが、探偵としての腕はよくわからなかった。だが、目の前の探偵が明音を単身で助けられる実力を持ち合わせていると知れば自分が足手まといになってしまうのは明白だった。

 それに、頭を下げるくらいなら懐も痛まないし、真っ暗の闇の中に二人っきりだから恥ずかしさも無い。


「ずいぶんと素直じゃないか。殊勝な心掛けだな」


 お礼を口にした明音に思わず声に出して感心した。起伏の激しい明音の表情を見てしまえばそんな事をしてこないだろうと思っていたからだ。

 ”感心感心”とほんの少しだけ素直になった明音をそのままにしておけないと背負っていたバックパックから、一リッター紙パック牛乳程の銀色の袋を一つ取り出して明音にひょいと投げて渡した。


「それはそうと、これからは大変になる。これを着ておいてくれ」

「これは?」


 銀色の袋は金属とも化繊とも布とも思えぬ素材で出来た不思議な感触で、中身がそれなりに詰まっているにもかかわらず羽根を持ち上げているかのように軽かった。

 ”身に着けておいてくれ”と言われたからには薄手の上着かと思い中身を取り出して広げてみると、銀の袋と同じく銀色の上着とズボンが出てきた。”ダサい”と思いながらも何か違うところがるのかと見てみれば、一般的な服には無い、短いコードが見受けられた。共通規格のコネクターが付いたコードは携帯端末にも付けられそうだったが、何もわからぬ今は見つけただけにしておくことにした。


 実際、”ダサい”見た目とは言え着るものを貰えたのはうれしかった。リュックには薄いニットの上着が入っているが、この排水路で役に立つとは思えなかった。気温が一定とだが排水路であるがために肌寒く、コンクリートの地面からは腰に来るような冷えが上がってくるのだから。


「それを制服の下に着てくれ。あ~、少し離れたところで着替えられるぞ」

「み、見ないでよね」

「ああ、一応、後ろを向いてるよ。だけど、離れすぎるなよ」

「なんで?」


 明音が着替えるときに見えないと都合が悪いだろうと、バックパックに忍ばせておいた予備のライトを渡す。それと同時に八神は少し先の折れ曲がった角の先に指を向けた。距離にして三メートル程であろうか。

 そこなら着替えるときに乙女の柔肌を見られる心配は無いだろうと多感な年頃である明音を気づかった結果であろう。だが、一つ腑に落ちないのが何故制服の下に着ないといけないのかだ。だぼだぼのそれは上に羽織ってもいいのではないかと思える程大きさが合っていない。それを言おうか迷ったがすでに後ろを向いている八神から別の事を言われ、言う機会を逸してしまう。


「ここで何が出るか知らんぞ」

「オ、オバケとか言わないわよね」

「当然、そんな事は言わない」


 柔肌を見られたくないだろうが離れすぎるなと八神は警告しただけと明音は思ったに違いない。

 ライト一つを渡され、暗がりにポツンと一人、そんな状況になる。たった一人でそこに放り込まれれば年頃の女の子ならギャーギャーと騒ぎ出して手に負えないと思う。八神は状況を作り出して怖がらせようとしているようにも見受けられる。

 背中を向けているがもしかしたら顔はニヤニヤとしているかもしれない、そう思うと文句の一つも言いたくなるものだろう。


 そんな嫌がらせと思えるような言葉を発していた八神から、オバケよりももっと酷い言葉を聞くとは露程も考えていなかった。


「蟲とかネズミとか、出てきても不思議じゃ無いからな~」

「そういう事、言うんじゃないわよ!!」


 あまりの言葉に明音は手にしたライトを投げ付けてやろうかと思ってしまった。だが、意味が無いだろうと、プリプリと怒りを内包しながら着替えに向かうのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る