第29話 地下を行く1 明音、絶望する

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「…………い、おい。……きろ……」

「んん~~。あと五分……」


 まどろんだ意識の中、明音は父親に起こされている気になり、何気ない返事をしてしまう。まだ寝足りない、二度寝して再び幸せに浸かりたい、そしてこれが夢現ゆめうつつであって欲しいと現実を放棄しようとする。


「……おい、起きろ!いい加減目を覚ませ」


 だが、明音に呼びかける声はハッキリと、それが夢現ではない現実だと突き付けて来る。

 父親ならもう少し優しく声を掛けてくれるはずなのに、そう思いながら再び意識を手放そうとする。しかし、彼女の薄い服を通り抜けて肌に突き刺さる現実に居てもたってもいられず目を覚ますことになってしまった。


「……う、うう。何ヨ、このベッド?」


 冷たく、そして、固い石のような場所に無造作に寝かされ、さらに肩を揺らされ体が悲鳴を上げてしまい起きざるを得なかった。

 そこで、ふと今まで何をしていたのかと思い出そうとするのだが、頭がボーッとして曖昧な記憶が浮かんでくるだけだった。


「えっと……何でいるんだっけ?」


 明音は頭に手を当てて思い出そうとするが、男の声が耳に届き思考を中断する事になってしまう。


「やっと起きたか……」


 上体を持ち上げた明音に声を掛けて来たのは探偵八神だった。

 肩口に括りつけてある弱々しい明かりが二人を暗闇に浮かび上がらせている唯一の光となっていた。ヘルメットのライトに手をやろうとするが、頭の重しが無い事に気が付き途中で腕を下ろすのだった。そして、その腕が地面に当たると、そのザラザラ感から寝そべっている地面がコンクリートだとその時はっきりとわかった。


「えっと、何でアンタが?」

「それはこっちの台詞だ。お前こそ何でここにいる。いや、何でさらわれた?」

「攫われた?わたしが……」


 八神が何を言っているのか明音には理解が出来なかった。否、理解が追い付かず困惑していると言った方がいいかもしれない。そして顎に手を当てて思考に入ると、曖昧にしか思い出せなかった記憶が八神の一言を受けて鮮明に描かれて行った。動画に掛かったモザイクが取り払われ鮮明になっていく様にである。ハッキリとした記憶の最後、何者かに口を塞がれた事を思い出し、ハッとして八神に視線を戻す。


「そうよ。自転車で帰ろうとして突き飛ばされたのよ。その後は記憶が無いけど……」

「なるほど、それでその傷か……。攫われたのは何となく理解できた。だが、お前が俺の車の場所にいたのは何でだ?確か言ったよな、暫く連絡が取れなくなるからって」

「えっと、その~……」


 八神の追及にどう答えればよいか、視線を宙に彷徨わせながら考えあぐねる。

 正直に口に出せばクドクドと小言を行ってくるに決まってる。この年齢になって小言を言われるのは避けたい。だが、明音の身に起こった出来事、--彼女が攫われてしまった事だが--、それを八神の手で救われたと思えば正直に話した方が良いと考える。最終的には小言を言われるのを甘んじて受けるしかない、そう思い正直に話そうと口を開けようとしたところで八神が発した言葉が一つ気になり発しようとした言葉を一度飲み込み、首を傾げながら疑問を口にした。


「そ、そうよ!アンタが気になったのよ。悪い?でも、何で私が車の傍にいたのを知ってるの?」


 良からぬ事が起り八神が帰ってこないのではないか、そんな胸騒ぎがした。探偵だから危険にはある程度の対処能力はある筈なので、素人の明音がそんな事を口にして彼の機嫌を損ねてはいけない、と打算は多少あったのでそれは口にはしなかったが。


 それに加え、明音は八神が発した一言が気になっていた。

 攫われたと知っていたのだから、それを何処で知ったのか、それが不思議に感じた。

 それに、明音の記憶が無くなる前、あの付近にいたのなら、即座に守ってくれても良かったのではないか、と。そうすれば、真っ暗な場所で固いコンクリートではなく、車の後部座席にでも寝かせて貰っていたはずだ。

 むしろ攫われた現場にいて見逃してしまった可能性の方が多いのではないか、そう思わざるを得ない。


「何でいたかって言えば、お前に見つからないようにしていたからな。そうしたらお前が攫われてよぉ。少し離れた場所で見てたから間に合わなかったんだよ。まぁ、お前には悪いが、そうでなければこの場所を見つけられなかったから、怪我の功名ってヤツになるのかな?」


 明音が自転車にまたがり帰ろうとした少し前に瞳に差し込んだわずかな光、それは八神が手にした灯りだったようだ。何者かの存在を感知したので数瞬だけ光が漏れただけで済んだと八神が口にした。だが、その為に明音に向かった暴力をその場で解決できず攫われてしまい、申し訳ないとも謝罪の言葉を向ける。


 本当は明音が何者かに肩に担がれ攫われた現場で何とかしたかったが、相手が思った以上の力の持ち主で、さらに俊敏性に優れていたために取り逃がしてしまったのだとも告げた。


「……そっか。ならアンタに感謝しないといけないんだな」

「ま、そういうこった。だがな、ここで帰れ!って、言えないことが恨めしい」

「は?帰れない……」


 薄明りの中、明音の瞳には困った表情をした八神が写っていた。しかも、お手上げだとばかりに両手を肩の高さまで上げてフルフルと振っている。

 助けてくれた事に感謝すれど、これ以上八神に足を引っ張れない、だからさっさと帰ってベッドに潜りこもう、そう思ったのだが八神の一言に思わず間抜けな声が漏れてしまった。


「ここがどこだかわかるか?そして、今は何時かわかるか?」

「え?」


 八神がそう口にすると、明音が背負っていたリュックを”ポイッ”と投げて渡す。

 明音は制服姿であった。それは物を入れるポケットが少ないことを意味している。制服のプリーツスカートにポケットがある事はあるのだが、何かしまってしまうと膨らんだり、ひらひらとした動きがなく可愛くないと、その存在を忘却の彼方へ飛ばしていた。

 だから、飲み物もそうだが、携帯端末もハンカチも全てを持ち運びたいと思ったら別に鞄、--今回は動きを阻害されないリュックだったが--、を用意する必要があった。


 そして、リュックのポケットから携帯端末を取り出して一目見ると驚愕の表情を見せてしまう。


「えっと……」


 驚いて言葉が出ないとはこの事であろう。


「わかったか?今、何時だ?そして、場所はどうだ」

「これ、狂ってる……って事は無いわよ、ね?」


 明音の携帯端末の時刻はすでに日の出を過ぎ、朝の六時を回っていた。

 そして、地図のアプリケーションを開いて位置情報を見てみればおおよその位置しか見えないが、場所は陸地に無く東京湾上を示していた。

 キツネにつままれた、そんな気がしながらも携帯端末から視線を上げて八神を見ると、首をフルフルと横に振る姿が見て取れるのだった。


 ”それが現実である”、八神はそう身体で表現した。


 気を失っていたのだから目が覚めるまで時間が掛かったのは百歩譲って現実だったと自分自身に言い聞かせられる。強引に気を失わさせてからそのまま睡眠に移行したとすれば説明がつく。


 だが、真っ暗な闇の中でコンクリートの地面、頭上に視線を向けても空が見えない空間と認識したとしても位置情報が東京湾上を示す事は無い。衛星上から降ってくる電波が弱弱しいとしても、こんなに別の場所を示すほど狂う筈がない。


 明音が再び八神を見やるのだが、どうやっても彼は”それが真実である”、と伝えるのみだった。

 その現実に明音は携帯端末を握り締めたまま、がっくりと項垂れるのであった。

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