第27話 とある探偵の一日、後編
「明日にでもお前のところに行こうと思ってたんだが手間が省けて助かったぜ」
そう口にしたのは空のグラスを持ち上げてもう一杯と注文した中村だ。八神の探偵事務所に顔を出そうとしていたのは大体が持て余した時間を潰すのが殆どだ。
だが、中村自ら事務所へ顔を出すつもりであるとすれば、暇つぶし以外の理由かはたまた依頼を含んだ用事があるがのどちらかだろうと容易に思いつく。
そして、その内容も今抱えている事件に関してだとも想像できる。ただし、細かい内容まではわからずじまいであるが。
「俺の事務所にねぇ……。で、どんな要件だ?」
八神はグイっとグラスを傾けながら中村へと視線を向ける。しかし、彼の表情は嫌な予感が脳裏を過っているのか、固いままであった。
「お前、港で女の子とデートしてただろう。未成年に興味が無いような事言ってて、結局はロリコン趣味だったんだな?」
「ぶほぉっ!」
グラスを傾けていたところに爆弾発言が降って来てしまえば、食堂に入るはずのグラスの中身が気道へ入り込むのもやむなしだ。
ただ、デートしていたと言われれば、少し大人っぽい恰好をしていた明音と一緒だったのだからそう見えるのも納得が行く。だが、
「あら~?八神ちゃん、この前の女の子にお熱だったの?隅に置けないわね~」
「ば、馬鹿言え!あれは依頼人だって!」
八神は噴き出したお酒をおしぼりで拭き取りながら、ロリコン趣味を断固、否定する。勝手に人の性癖を増やすなと。
音無はその言い訳を聞くと、”それなら、まだ私にもチャンスはあるわね”と思いながらも、そんなそぶりを見せぬ様にグラスを傾けながらソファーに身を委ねていった。だが、表情は隠せてもそぶりは完全に隠せず、彼女(?)の顔に八神が投げたアルコール臭いおしぼりが命中するのだった。
「俺はロリコン趣味じゃねぇ!って言うか、何で港に居たって知ってんだ?」
「百歩譲ってそうだとしても、昨日は何であんなところにいたんだ?理由を求める。オレが話すのはその後だ」
中村の表情は嫌らしい笑みを浮かべている。それは年齢も相まって、不気味だったり気持ち悪い、そんな印象を受けるだろう。もし、仮にだが、明音がこの場に居合わせていたら絶対に”きも~い!オジサン、近寄らないで”と中村の心にグサッと刺さる一言をぶつけていたに違いない。
そんな中村に話さなければならないのかと辟易しながら八神はゆっくりと口を開いた。
「あんなところって言うけどな、俺がいたのは調査だったからだ。それ以上でもそれ以下でもない。そして、ロリコン趣味ではない。あれが勝手に付いてきたからだ」
依頼人の明音とデートしたなど断じてない。
そう言うだけだった。
だが、それで中村が納得するかは別問題だ。その証拠に揶揄うような口調を続ける。
「ロリコンかどうかは置いといて……」
「じゃないって!」
「調査だろうと思ってたさ。ま、オレ達警察も今日、あそこで捜査していたからな」
八神の反論を無視して、何故知っているかを彼に答える。
中村が発した言葉通り、八神が昨日調査した港湾部に警察の捜査が入ったのである。八神の調査に遅れる事一日、そうなったのは捜索令状の発行が間に合わなかったからだ。遅いお役所仕事に辟易する、と中村が溜息交じりにぼそりと愚痴を漏らしていた。
それが無ければ金曜日には捜査を行っていたはずだった。
「なるほど……。で、俺達が挨拶に寄った事務所に聞き込みに行って知ったんだな?」
「オレはそれを横で聞いていただけだけどな」
港湾部管理事務所へは代表の刑事が数名訪れただけで、他の捜査員、鑑識などは捜査令状の提示と共に各所へと散って行った。流石に大人数を事務所に入れる訳には行かないと考えたのだろう。
そして、中村達は部署が異なるので現場の代表に付き添う事になり、その時に男女の二人組が前日に訪れたと耳にしたと告げてきた。何処の誰とは言ってなかったが、ニュー・ヒューマンの”成りそこない”の捜査と伊央理を探しているのだから、二つに共通する人物と言えば探偵の八神だと断定出来ると探偵顔負けの推理を披露するのだった。
「あと、鑑識は地下水道を調べてて大変だったらしい。主に匂いがな」
「地下水道?」
一通り説明できたと安心した中村は何の疑いも無く話を続けてしまった。彼の周りが顔なじみだったのもあるだろう。本来ならば捜査中の情報を漏らしてはならないのだが、この時点では中村は全く気付いていないのは彼にとっては不幸であり、八神にとっては僥倖であったと言えよう。
その何気ない一言に八神が疑問符を浮かべながら問い返せたのだから。
「ああ。下水道とも呼べるかもしれん」
「下水道か。良いこと聞いたぜ」
「あっ!」
人の口に戸は立てられぬと言うが、まさにその通りで手遅れだった。中村の口から洩れた極秘の捜査情報は他の三人、八神と音無、そして、気配を消して空気になっている白華ママにまで知れてしまったのだから。
酒の席で交渉が進むというが、酒の勢いに任せてなるようになる、それが本音であろう。だが、酒の席で情報交換は顔なじみであっても止めておくべき事柄であり、今回は非常に痛い事例となったと言えるだろう。
まぁ、口から出てしまった言葉を三人の記憶から消せる手段などある筈もなく、仕方なくその次まで口に出すのだった。
「喋っちまったもんは仕方ない」
「期待してるぜ」
「とは言ってもなぁ……。下水道はすぐ行き止まりになって捜索はすぐに打ち切りだったさ」
中村が次に語るであろう言葉に八神は期待を寄せる。港湾部の地面は舐める様に調べたが、雨水が流れ込む排水の蓋のその先がどうなっているか知りたい、そう思ったのである。
だが、中村が口にした言葉にがっかりと項垂れるしかなかった。八神が欲していた地下の情報が無かったのだから。
「それじゃ、下水の他にメンテナンス用の地下通路とかは無かったんか?」
「通路?」
八神はそれで引き下がる程物分かりが良くない。
探偵としての能力は少し落ちるが、物事にこだわる性格は他の探偵に、警察官に劣らずにいるのだから。その為に探偵を商売に出来るのだから何が功を奏すのかわからない。
「いや、そんなのは無かったぞ。あったのは下水道だけだったぞ。外から見た限りはな」
あっけらかんとしながらグラスを傾ける中村は絶望を与える言葉を口にして八神の希望を打ち砕いた。
それを聞き八神はがっくりと肩を、いや、それよりも酷く落ち込みテーブルに突っ伏して愕然とした表情で涙を流す。流石に涙がテーブルに溜まるまでは流していないが。
「あらあら、そんなに残念だったのかしら?今日はサービスしてあげるからお金使って行ってね」
「ママ~。それ、慰めになってないわよ~」
テーブルに突っ伏しさめざめと涙を流す八神に優しい言葉をかける白華ママ。なのだが、彼女の言葉は優しいどころか希望を無くした八神に
「ほら、元気出してよ~。添い寝してあげるから~」
落ち込む八神を介抱するように肩に手を添える音無であるが、彼女(?)もまた落ち込み弱っている八神を狙っているだけに過ぎない。このまま持ち帰って”ベッドイン!”と考えているのは誰でもわかる。中村であっても白華ママであったとしてもだ。
そんな味方のいない八神は泣きながら震えた言葉を口にするのが精いっぱいだった。
「もう帰る~」
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