第26話 とある探偵の一日

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 八神と明音が二十四区の南側、港湾部を調査した次の日。

 夏間近であるがまだ夏休みに入るには少し早いこの時期のイベントで、明音は”学校なんか面倒”と愚痴を漏らしながら愕然とした表情を浮かべていた。彼女の目の前、座っている机の上には数枚にわたって文字が記された恐怖の期末テストが配られたところだったからだ。

 妹の伊央理が行方不明なのだから勉強に身が入らないのは想像できるが、それでテストが無くなる筈も無く地獄の底へ転げ落ちて行く、そんな気にさせられるのは当然だろう。


 そんな明音が期末テストと向き合い絶望に似た表情を浮かべていた頃、ソファーで目を覚ました八神は携帯端末に目を向けて日課であるニュースを見ていた。ゴロゴロしながら携帯端末を弄る、なんて至高の時間であると思いながら。

 とは言いながらも、月曜日なのでめぼしいニュースがあるはずもなく、その至高の時間はすぐに終わってしまう。


「まずは朝飯か……」


 ゆっくりと上体を起こし伸びをしながらソファーから立ち上がる。

 台所に向かいながら時計を見やれば、針は九時を過ぎて十時にまっしぐら。そろそろ動きださなければ今日はすぐに終わってしまうと急いで朝食の準備を始める。


 ケースの半分以上を占める冷凍庫から手ごろな袋を一つ取り出すと、それを電子レンジに入れてスイッチを入る。すぐに過熱が始まり数分もすれば出来上がるだろう。

 その間にコーヒーを淹れる。

 ゆっくりと過ごす休日は趣味で珈琲を入れるが、時間のない朝食時はインスタントだ。粉をマグカップにサッと入れてお湯を注げばすぐに出来上がる。今日は朝食に合わせて何も入れないブラックだ。

 そうこうしているうちに電子レンジが出来上がりの何とも言えぬ音楽流して、朝食が出来上がったと知らせてくれる。

 そこから朝食を取り出してからテーブルに座れば、それで寂しい一人暮らしの朝が始まる。


 昭和の一人暮らしに見られたような紙の新聞を広げて目を通す、そんな事はもう過去の事。携帯端末をテーブルに置いてさっきの続きのニュースに目を通し始める。起き抜けのニュースは社会面が主であったが、朝食時は三面記事や芸能関係などの娯楽関係にシフトする。

 八神はそれほど芸能関係に興味がなかったので見出しをさらっと見ながらめぼしい記事を探すだけが多い。


「そう言えば、そろそろ夏休みか?俺もたまには骨休めしたいなぁ~」


 八神は二十四区から離れないでほしいと常々言われている。中村の所属する警視庁二十四区署特殊捜査課の手に終えぬ事件が起こればどうしても手を貸さなければならないためだ。現に先週には二回も出動する羽目になってしまった。

 仮に八神が不在に成れば中村達が頼りにするのは防衛軍となる。

 防衛軍が街中に出動するには政府から外出禁止命令が発令される必要がある。それをなるべく防ぎ警察に関連する組織だけで対処したい、そう言われてしまえば政府に協力している唯一の戦力の八神が二十四区から遠く離れた場所で骨休めしたいと申請しても簡単に許可が通るはずもない。


 そんな彼が携帯端末に表示されている南国風景の広告に思いを馳せるのは至極当然。だが、それははかない夢とがっくりと肩を落とすのであった。


 朝食を終えて着替えを済ませて身だしなみを整える。鏡に向かって百面相を作り出しながら髭の剃り残しが無いか確かめて”ヨシッ!”と気合を入れる。


「今日も頑張りますかね」


 玄関横に置いてある何時もの道具が入った鞄を斜に掛けると玄関を閉めて出掛けて行った。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 八神が一日歩き回って調査をしたが、これといった手掛かりを見つけられないまま夜が更けて行く。学生が夏休みに入る寸前のこの季節は太陽が隠れるにも時間が掛かる。辺りが真っ暗くなってすぐに夕食を食べてから、少し早いと思いながら顔なじみの店へと足を向ける。


 ”Bar ホワイト・ローズ”


 八神が懇意にする情報屋のママ、片山白華かたやま しろかが店主を務めるお洒落なお店。センスの良い看板が彼を出迎えてくれる。


「いらっしゃ~い」


 入り口を潜ると顔なじみの女の子が挨拶がてらに出迎えてくれる。笑顔が似合う可愛い女の子、八神にはそうとしか写らないのだが。


「こんばんは。ママはいるかな?」

「いるわよ。他のお友達も見えてるけど?」

「お友達?」


 疑問符を頭に浮かべながら店の奥の隔離された場所へと案内される。防音にはなっていないが周りからの視線は遮られるだろう。

 そんな場所のテーブルに顔なじみの三人の姿があった。


 一人は当然、ここの店主片山白華かたやま しろか。胸元が大きく切れ込んでいてちょっと屈んだら豊かな双丘とその頂きが拝めてしまいそうな薄手のドレスを身に付けてい。カウンターに陣取れば男どもの視線を独り占めにしてしまうのは必然だろう。


 二人目は八神がいつも世話になる公僕の中村鉄郎。出っ張っている腹を何とかしないと、それで寿命が縮まると言っているにもかかわらず、なかなか引っ込まず周囲からは奇異の視線を向けられることが多い。


 三人目はこれも前からの知り合いで馬鹿でかいのに女装が趣味の音無竜二おとなし りゅうじ。パンツ姿で股間が目立っている何処にでもいるような男性の格好をしているが、派手な色のシャツには真っ白いフリルがふんだんにあしらわれているのだからこれも女装の一環なのだと頷いてしまう。

 ただ、股間は少しだけ窮屈そうにしている所は思わず笑ってしまうが。


「ママが同席するのは嬉しいけど、お前らと一緒は嬉しくないな」

「ほざいてろ。そのうち涙を流して土下座させてやるさ」

「昨日ぶりね。そんな事言っていいのかしら?協力しなくてよ?」

「それは困る」


 悪友に挨拶しながら三人のテーブルに着席する。

 警察官の中村はともかく、情報収集に長ける音無が協力してくれないと探偵を廃業してしまうと彼女(?)にだけは頭を下げた。


「で、二人は何でここにいるんだ?」


 ”いつもの!”と注文しながらグラスを傾ける男二人を交互に見やる。中村と音無が知り合いなのは知っていたが、まさかこんなところで顔を合わせて飲んでいるなど考えてもみなかった事だ。もしかしたら八神が知らない場所で一緒になっているかもしれないが。

 そんな二人が顔を合わせているのだから何をしているのか、不思議に思うも仕方のない事だった。


「ママに会いに来たのよ~」

「入ったらこいつがいた」


 と、二人が答える。

 音無が飲みに来て、そこへ中村が入って来たのだという。その口調から、ただ単に飲みに来ただけだろう。


「月曜から飲むとは……。どんなお大臣様だよ」


 月曜日から飲兵衛になって翌日の仕事に差し支えるんじゃないかと羨ましそうに、そして、嫌味を含めて問い掛けてみるのだが……。


「明日は非番だ」

「お店は火曜が定休日よ~ん」

「ほう、さいでっか……」


 問い掛けられた二人はグラスを傾けながら、嫌味を気にせずに答えた。

 そんな二人を羨ましい限りに見つめるが、自分のペースで仕事が出来、いつでも休める探偵業で国庫からそれなりに報酬を貰えっている八神は二人の答えがブーメランの様にぐさりと心に刺さってダメージを受けていた。


 そして、ダメージ無かったように装いながら出て来たグラスに手を伸ばす。


「中村よ、部下のあんちゃんは今日は一緒じゃないのか?」

「あいつは今日はデートだってよ」

「う~ん、羨ましいわ~」


 中村とコンビを組む三上は見た目と言葉遣いからちゃらちゃらしてると見られがちだが、その中には一本筋が通っていて身持ちは固いのだそうだ。その為に複数の女性と付き合う様な男は嫌いだと常々口にしてるらしい。

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