第25話 熟考に次ぐ熟考、だが?

 明音の妹を攫って、監視の厳しい港湾部からどうやって逃げたのか、足を動かしながら考える。アガサ・クリスティーの名作、探偵ポワロだったら灰色の脳細胞がひらめきを返してくるだろう。しかし、名探偵と言うよりも迷探偵の部類に足を突っ込んでいる八神はそんな脳細胞があるはずもなく途方に暮れる。


 攫って逃げた、それが正解であると考えるが伊央理自身が自らの意思で靴を置いてどこかへ行った、そうも考えられるが、十中八九その考えは捨てるべきだろう。明音に連絡もせず、学校も無断で休んで何処かへ姿を消すなど、明音や学校の先生からの聞いた限りではありえない。


「だとすると、どうやって消えたんだ?それもそうだが、あの浮浪者もここに来ただろうし、二人、もしかするとそれ以上の人間がここで消えてるのかもしれない?まさかね……」


 一旦、伊央理の事を頭の片隅に片づけて浮浪者の行方を考える。


「浮浪者も同じようにこの港湾部を目指したと仮定しよう」


 十中八九間違いないと思いながら、浮浪者も伊央理と同じくこの港湾部に来ていたと仮定して考える。そして、同じようにこの場で姿を消した、と。

 否、攫われたと考える方が無難だろう。身寄りの居ない浮浪者なら消え去っても誰も気に留めないからだ。


 そうなるとどうやって攫って逃げたのか?


 伊央理はそこまで身長は高くないし、中学生なのだから体重もそこまでではないだろう。ちょっと力のある大人だったら担いで移動も出来る。しかし、浮浪者となれば一人の大人だ、栄養状態が悪くある程度体重が無く担げたとしてもそのまま逃げるにはどうやっても無理がある。絶対に見つかってしまう。

 体重は何とかなるにしても人一人分の体積が増えるのだから小さく見せられない。


「伊央理と浮浪者、両方共に共通する方法があるはずだ……」


 そうやって様々な可能性を考えるのだが、今の八神では何処かで考えが行き詰ってしまう。


「あ~!どうやっても無理だなぁ……」


 再び頭を掻いて情けない声を漏らす。

 そして、足を止めたところに如何したのかと不思議な表情をした明音が顔を覗き込んできた。


 八神は今まで自信たっぷりに言葉だったり、明音を揶揄うような辛辣な言葉を発していた。それから比べると今は自信なさそうにしているのだから明音が気にするのも当然と言えば当然だ。

 歩きながら何かを考えているそぶりを見せていて、何かをひらめき足を止める事もあるだろうと、何の疑問もなく彼の後ろを歩いていた。それがピタリと足を止めて弱気な言葉を吐き出したものだから心配になるのも仕方がない。ひらめきを口にする所が弱音を口にしたのだから。


 明音も同じように揶揄ってみようかと考えるが、伊央理が残した靴がそれをしてはいけないと、引き留めて来るような気がして言葉を発せなかった。だが、気落ちしたままの八神では伊央理の居場所が突き止められないだろう、と考え乾いた布を絞るような気持ちで言葉を喉の奥から出すのであった。


「ねぇ……。大丈夫?」

「あ、あぁ。心配かけちまったか」


 明音の顔に視線を向けると笑みを浮かべながら言葉を返した。

 依頼人が一緒にいた事を失念するほど思考に全てを割り振ってしまった。それに加えて依頼人を心配させるなど探偵としてあるまじき態度だったと、八神は反省する。

 そして、これではいけないと笑顔のまま再び歩き始め、気分を切り替えて調査を再開する。


 だが、気を取り直して調査を再開する八神であったが、そんな気持ちを全く考えぬように足を取られてしまう。こんな所に似合わぬピカピカに磨かれた小さなマンホールに。

 しかし、マンホールと呼ぶには小さすぎる。八神が手の平を広げて親指から小指までの直径しかないからだ。排水の蓋とでも呼んだ方が適切かもしれない。


「おぉっ!あっぶねぇなぁ」


 滑っただけで転ばなかったが、これが雨上がりだったら間違いなく派手に滑り後頭部を強打する程に間抜けな格好で転んでいたかもしれない。上着やズボンをドロドロに汚して明音に笑われていた、そんな未来もあったかもしれない。

 だが、転ばずに済んだのだから幸いだった、と言うべきだろう。


「……おや?」


 滑らされた排水の蓋をキリッと睨みつけたのだが、何故かその背景にいる明音と彼女が躓いた小さな尖がりが視線に入ってくる。

 普段だったら地面に飛び出た尖がりなど気にもしないし、視界に入っても何も感じず気持ちを切り替えて調査に戻っているはずだ。だが、明音が尖がりに躓き、八神が排水の蓋で滑った妙な共通項が脳裏に浮かび、それが喉の奥に小骨が引っかかったように気になってしまった。


「くそっ!何でだ?……あれ?」

「???」


 八神は今日以前に、別の場所で尖がりに躓いたなと思い出した。

 しかし、それが何処でだったか思い出せず、再び首を傾げて考え始める。


「ね、ねぇ!どうしたのよ?何とか言ったらどうなの?……おいっ!」


 八神は腕を組んで熟考し始める。こうなると彼の耳には何も言葉が届かない。耳元で明音が罵声に似た声を出していてもだ。脳の全てを思考に割り当ててしまう為だ。


 とは言え、八神にはそれほど知恵も記憶力もひらめきもあるはずもなく、探偵としての能力はずいぶんと落ちる。警察官の真似事をして情報を集めての調査なら自信をもって出来ると口にするだろう。しかし、探偵小説の名探偵の如く推理が出来るかと言えば無理があろう。


 だから、熟考に入ったとしてもそれが続くのは最長でも五分が限界である。


「ダメだ!思い出せん!」


 こんな具合にすぐ熟考を止めてしまうのだ。諦めが良いとも言うかもしれない。

 それが良いか悪いかはさておき、無駄になる時間が少ないのは良い事であろう。

 ちなみに、今回は三十秒で終わっている。


 しかし、重要であろうと思えば完全に諦められない。空き時間にでも考察してみようと携帯端末を取り出して写真に残した。


「ちょっと!少しはわたしを気にしてよね」


 その様子に放っておかれたと思った明音は腰に手を当てて怒って見せる。ぷくっと頬を膨らませて怒りを露わにして見せたが所詮は高校生、一回り以上年の離れた明音の態度はむしろ微笑ましく見えてしまう。


「はいはい、お姫様。で、もう少し見て回ってもいいかな?」

「いいわよ……って、わたし、お姫様って柄じゃないんだけど~?」


 少しばかり優しくしようと冗談を混ぜながら答えたのだが、逆効果だった様で明音は再び冷たい視線を返してくるのだが、本気で怒っているなど無い。

 傍から見れば微笑ましい親子の様な会話を続けながら二人は歩き始めた。


 それからしばらく、数か所を回ってみた二人だったが、足を引っかけたような尖がりやツルツルの排水の蓋を数か所見かけただけで明音の妹に繋がるような手掛かりを見つける事は出来なかった。安易に見つけられないだろうから、これは至極当然で落ち込む必要は無い。

 出来ればコンテナをクレーンで吊り上げてもらい、一つ一つ、その下を確認したいと思うのだが、無数にあるコンテナの下を調べるには時間も労力も足らないから諦めるしかない。これが捜査令状を持った警察だったら調べられるのに、と八神は苦虫を噛みつぶしたような顔をするのだった。


「そろそろ帰るか……。帰ったら夜か?」


 一通り見てまわり、そろそろ帰る時間かと携帯端末に視線を落としてから港湾事務所に向かう。借りたカートとヘルメットの返却、それと調査に理解を示し許可を出してくれたお礼を言わねばならぬ、と。


 その横を歩く明音だが、伊央理が見つかれば幸いと淡い期待を抱いていただけに足取りは重い。それに加え、二十四区の端から自宅まではどんなに頑張っても空が暗くなってしまう距離と思えばさらに足に重りが付いた様に動きが鈍くなる。


「はぁ……そうね。帰るのもつらいわ」

「女の子を一人で帰す訳には行かんからな。送ってくぞ?」


 愚痴を漏らした明音を気づかい八神は優しい言葉を投げかけるのであった。

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