第22話 不機嫌な明音、謝る八神

「おい、機嫌直せよ」

「ふん!」


 八神と明音は二十四区の南、港湾部へと向かう車の中にいた。

 頬を膨らませて機嫌が悪い明音を何とかなだめようと八神は優しい言葉を掛けるがそれは逆効果であり彼女はいっそう機嫌が悪くなっていた。


 何故、明音の機嫌が悪いかと言うと、彼女の妹の、そう、伊央理について知り得た情報を八神が伝えなかった事にある。八神がうっかりと口を滑らせた事に起因するのだが、それについて言い訳ばかりだったのだ。

 言い訳を口にしている八神だが、伊央理について判明した事実を話そうとしていた事だけは事実だ。だが、明音が早々に探偵事務所へ来てしまい、話す機会を逸してしまっていたのだから。とは言え、そう口にしても、伝えなかった事は事実であり八神の失態と言っていいだろう。


 八神は伊央理について知り得た事実を話した後、言い訳を口にしていたが、明音はそれよりも”ゴメン”や”申し訳ない”等の謝罪の一言が出てこないかと待っていた。その言葉が出てくれば、機嫌を悪くすることなく水に流すつもりだった。


「こんな男に依頼したわたしが馬鹿だったわ。こんな服買ってもらってもちっとも嬉しくないわ」

「さっきまで喜んでたじゃないか」


 確かに、お洒落な流行りの服装を貰って嬉しく思った事は事実だ。妹の伊央理が居なくなって出かける服装に無頓着だったのは認めるしかない。

 だが、それ服を貰った事これ謝罪を受ける事は全く違うのだ。だから、いまだに明音の機嫌は良くならない。


「アンタねぇ……。これで全てが済むと思ってないでしょうね?」

「悪かったと思ってるけどよ……。如何すればいい?」

「自分の頭で考えてよ。それとも、ここで服を脱いで帰った方がいい?」


 明音は貰った服を脱いで八神に叩きつけてしまおうかと思いながら上着の裾に手を掛ける。本気で上着を脱ごうとは思っていなかったが、どうやらそれは効果があったらしく八神の謝罪を引き出すことに成功するのであった。


「そこまでとは思ってもいなかった。悪かったよ、次から気を付ける」

「そう、そこまで言うなら許してあげるわ」


 思っていた謝罪の言葉とは多少異なったが、言い訳していた時よりも反省しているようだし、機嫌が悪いままでは調査に支障をきたすだろうと考え、これ以上は無理難題を押し付けても仕方無いと許すことにした。

 尤も、引くに引けないところまで来てしまっていたので、ホッとしたのも確かである。車の中とは言え、赤の他人の男に乙女の柔肌、さらに言えば下着に包まれているが小ぶりとは言え双丘を見せるにも抵抗があったのだから。


 運転している八神としても依頼人を怒らせたままでは都合が悪く、どうしようかと考えていた。そこに助手席の明音が服を脱ぎだす仕草を見せてきたのだから、今のままでは流石に不味いと咄嗟に謝罪の言葉が口をついて出てきた事でその場が収まったのは僥倖であったと言えよう。


「それで、何処へ向かっているの?」


 気を取り直して明音が何処へ向かっているのかと八神に訊ねる。

 車に乗り込み人で溢れかえっていた繁華街から、マンション群や閑静な住宅地を抜けて寂れた場所を通り抜けようとしていたのだ。白昼堂々、人気の少ない場所へ誘い込み、いかがわしい事でもされてしまうのかと考えが浮かんでしまうのは仕方がない。明音の地元とは異なり、ここは八神のホームである東京二十四区なのだから、不安にもなろう。


「なんか、変なこと考えてないか?」

「き、気のせいよ」

「それだったらいいんだけどよ」


 明音は八神の言葉に少しだけ焦りを感じた。もしかして、人の心を見透かしているのではないかと思ったからだ。しかし、少し考えてみるのだが、八神の言葉遣いや行動から人の心を読み取れているなどありえないだろうと結論付け安心した。

 明音がそんな事を考えていたのだが、運転中の八神はどうやって機嫌を直せばよいかを考えていて、そんな良からぬ事はこれっぽっちも浮かんでいなかったのだが。


「浮浪者から入手した情報に港ってあっただろ。だから、そっちに向かってるんだけど?」

「そ、そう?それならいいわ……」


 ほっと一安心と明音は緊張を解き、窓の外へと視線を向けると人気が無くなった歩道や空き地が彼女の目に飛び込んでくる。しかし、その寂れた景色が視界いっぱいに映り込んできてしまえば八神の言葉を完全に信じ切る事は出来ないのも確かだ。


(ま、依頼しているんだから信用するしか無いか……)


 一抹の不安を抱きながらも、明音は自らに暗示を掛けるのだった。


「とりあえずはなんか食おう。ファミレスでいいな?」


 明音が頬杖をついて窓の外へ視線をむけて気を紛らわそうとしたタイミングで、八神からお昼を食べようとの提案があった。ダッシュボードの時計に視線を向ければ、お昼の時刻までもう少し余裕があった。

 しかし、明音には何故八神がそう告げてきたのか痛いほどわかった。外を向いて誤魔化そうとしたがお腹が”くーー”と小さく鳴ってしまったのだ。タイヤからのロードノイズがあったからと言っても、彼女のお腹の虫は隠し通せなかった。


 これが一昔前に絶滅した、博物館で無ければ見ることができないガソリン車であれば誤魔化せたのかもしれないが、今は水素自動車や電気自動車が全盛の静かな車の時代なので仕方がないだろう。


「もうちょっと高いところに連れて行ってよ。それくらい良いでしょ?」

「おごるって言ってんだから少しは遠慮しろよ。それとも牛丼が良いか?」


 明音は何処にでもあるファミリーレストランで別に不満は無かったが、あえてもう少し良い所へ入ってみたいとリクエストしてみた。期待はしていないがちょっとだけ贅沢を言っても良いかなと思っただけで他意はなかった。お昼を出してもらえるだけで十分贅沢と思っていた。


 だが、八神は明音がそんな事を考えているなど露程も思わず、高校生なのだからあまり贅沢を口にするのはどうかと断っただけであった。懐事情が厳しい事も無いのだから。


「仕方ないわね」


 八神は明音が再び機嫌を悪くしてしまうかと懸念したが、落ち込んだ様子も無く口調もそのままだったので安心した。

 これなら大丈夫だろうと、港湾部へと向かう道すがらにあるファミリーレストランへ車を入れるのだった。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 お昼の時間をいつもより長く取った後、八神と明音は何隻かの貨物船が接舷している岸壁に立っていた。忙しく動いているキリンの様なガントリークレーンを口を開けながら見上げて。


「ほう、これは凄いなぁ」

「こ、ここって邪魔にならないの?」


 本来なら仕事の邪魔になると侵入を拒む場所だ。真正面から”ちょっと入らせてくれ”と願ったところで無理だと断られるのは目に見えている。それが探偵だとしても、私立探偵と聞けば眉をひそめるだろう。これが警察組織であれば嫌々ながらも協力せざるを得ないところだ。

 そんな所に何故入れたのかと言えば、ただ単に入らせてくれと告げたのではなく、人の命が掛かっていると訴えたからに他ならない。


 そして、その答えが今、彼らが足を留めている場所なのである。


「大丈夫。この黄色い線の内側ならな。あと、そのヘルメットが目印だ」


 八神達が入構の条件として提示された一つに危険な場所に近づかない事とあった。それが黄色いラインで区切られた歩行者用通路からはみ出さない事である。百パーセント安全とは言い切れないが、そこからでなければ八神達は不都合を言われることは無いだろう。


 そしてもう一つ。黄色く目立つヘルメットの着用である。

 八神はともかくとして、お洒落な恰好をした女子高校生の明音の頭上には不格好なヘルメットが鎮座して、何ともアンバランスで思わず笑ってしまうような不格好となっていた。


 明音は仕方ないと溜息を吐きながら、そのヘルメットを撫でるのであった。

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