第7話 お昼時の悪だくみ?

 時計の針はそろそろ十三時三十分を指そうかとしている。

 八神は役所の食堂でトレイを手にしてきょろきょろとしながらふらふらとゆっくり足を動かしている。セルフサービスの食堂で空いている席、それも景色の良さそうな窓際が開いていないかと探しているのだ。


 ここは、先ほど八神が検査をしていた窓口がある場所からはそう離れていない、区役所の最上階。区役所に務めていなくても利用可能なので、この建物に用があるときはいつもこの食堂を利用してる。


 ちなみに区役所のある建物は全部で三棟のビル群で構成されている。

 一つ目が区役所、区議会、区長室などの行政機関が入っているビルで東京二十四区で一番高い構造物だ。

 二つ目が裁判所、などの司法機関の入るビル。

 三つ目が警察や消防など、治安維持機関が入るビルで三棟の中で一番低い。


 食堂はそれぞれのビルに儲けられているが、最上階にあるのはこの区役所のビルだけ。だから八神は景色の良いお気に入りの区役所の食堂を使うことにしている。


「さて、どこか空いてるかな?」


 きょろきょろと辺りを見渡していると、そこに良く知る二人組を発見する。

 昨日、一緒にいた脂ぎった中年男とすらっとした好青年の二人。警察官である中村と三上のコンビだ。

 足音を立てずにゆっくりと近付き、食事中の二人に声を掛ける。


「二人してサボりか?」

「誰かと思えば……。ったく、サボりな訳ないだろうが」

「それだったら、あっちの食堂を使えばいいじゃないか?」


 突如投げつけられた辛辣そうな言葉に、二人は迷惑だとばかりの表情を作りながら声の主に顔を向ける。

 中村と三上は警察官であり、区役所の入る棟とは異なる場所に警察署があるのだから、こんなところで油を売っていると八神が疑うのも当然と言えば当然だ。

 そして、怪訝そうな表情をしながら二人は八神に反論を口にする。


「あっちよりもな、こっちの方が美味いんだよ」

「そうっすよ。こっちの方が美味いっすよ」

「そうか?変わらんと思うがなぁ……」


 八神は二人のテーブルに腰を下ろし、持ってきたトレイに視線を落とす。

 ご飯に味噌汁、そして、豚の生姜焼きが旨そうな匂いと湯気を上げている。

 冷凍食品を解凍しただけなのだから、何処で食べてもあまり変わらないと思うのだがと、八神は首を傾げる。


 この時代、二十一世紀も半ばまで来ると冷凍技術が核心的な進化を遂げている。ご飯やみそ汁もそうだが、豚の生姜焼きや付け合わせのキャベツまでが解凍しただけで作りたてと同じにみえるのだから不思議なものだ。


 役所関連の三つの食堂では同じ様に冷凍食品を使っているのだから、味は同じではないかと質問してみると、中村と三上は”そんな事は無い”と首を横に振って否定する。


「どうもな、こことウチんとこの食堂じゃ仕入れ業者が違うらしい」

「そうなのか?」

「そうっすよ。こっちの方がちょっとばかし高いんっすよ。けど、味は最高なんすよ」


 ビルの最上階に位置しているから、値段が高いのは場所代を含んでいるのでないかと八神は再び質問した。だが、そうではなく、単純に食材や冷凍技術のコストの差だと中村たちは口にするのだった。


「そうなのか?ま、あっちの食堂で食ったのはかなり昔だから比べようがないが」

「そういうことにしておけ。で、今日は区役所に何の用だ?」


 中村はセルフサービスのお茶をズズッと飲みながら八神に訊ねる。


「知ってるくせに。検査だよ」

「そのくらい知ってる。それ以外の要件だよ」


 八神はご飯茶碗を手にして白米を口に頬張りながら思案にふける。

 警視庁二十四区署特殊捜査課とはいえ生粋の警察官は勘が鋭い、昨日の今日なのだから二人に話しては大丈夫では無いか、と。


「昨日の今日だからな。そう言えばわかるだろう」

「依頼人の調査か……。で?」

「で?」


 八神は”重要な事を話せるはずもないだろう”と二人を怪訝そうに睨む。

 そして、にやにやと薄気味悪い笑みを浮かべる中村を見ながら、”せっかくの昼飯が不味くなるだろう”と席を変えようと考えたが、ここで貸し一つでも作っておけば何かの役に立つかもしれないと考えを改めて話すことにした。


「誰にも話すなよ」

「わかってるさ。お前との仲じゃないか」

「気持ち悪いな……。まあ、いい」


 それから八神は区役所に来た理由を口にする。

 理由は難しいことではなく簡単なことだ。

 言ってしまえば依頼人の所在を明らかにし、反社会的な組織と関りが無い事を確認するためだ。

 ついでに探し人がこの国で存在しているのかも確認しておいた。

 その結果、依頼人、探し人、ともに日本で戸籍を持つ国民であると確かめられた。これは当然の帰結と言えよう。付け加えて、両親に関しては日本国籍を持っているが、海外での仕事に従事している為に国内にはいない事まで判明した。


「なるほど、昨日の明音とかいう女の子とその妹が戸籍を持っているかを確認したのか」

「ま、そういう事。それ以上、でもそれ以下でもないさ。それ以上は……」


 八神は戸籍に乗っていること以外、中村たちに話さなかった。

 依頼人の名前は中村たちが帰る前に彼女自身が口にしたので明らかになっているが、探し人の妹の名前は二人が帰った後だったので二人は知る由もない。それに、可愛らしい顔や低めの身長が特徴の容姿もわからないだろう。


「ま、なんかあったら知らせてくれや。暇だったら調べるくらいできるからよ」

「ああ、わかった」


 中村たちは八神の依頼を興味が無い体を装いながら食事の終わったトレイを横に片づけて打ち合わせを始める。それほど大きくない声であるが、打ち合わせの内容には八神は興味を惹かれるような内容ではないと無言で昼食に戻るのであった。


 そして、八神が昼食を終わりにするとトレイを返却に向かう。

 ついでとばかりに中村たちが横に片づけ、残ったご飯粒が固くなり始めたトレイも返却する。


「それじゃ、俺は帰るからな……ん?」


 トレイを返却し終え中村たちに帰ると挨拶に戻った八神であったが、二人が手にしていた携帯端末に思わぬものを見てしまい驚きの声をうっかりと漏らしてしまった。

 そのうっかりと漏らした驚きの声を目の前の二人は聞き逃さなかった。もし、二人が警察官でなければ聞き逃してしまうような声を、である。


「八神よぉ、何か言うことあるだろう。えぇ!!」


 何に対して八神が驚きの声を漏らしたのか、二人はすでに分かっていた。

 その答えを聞こうと八神の腕を引っ張りテーブルにつかせる。


 八神が気にしたのは、中村と三上が手にしている携帯端末の動画、昨日の捜査会議で配信されたあの殺害現場から立ち去る少女の動画だ。現場に見覚えがあるのか、もしくは映っていた少女が知り合いなのかは中村たちにはわからない。だが、八神が何か知っている、二人の、いや、中村の脳裏に強く思われるのだ。それが長年の経験によるものなのか、それとも、警察官のカンによるものなのかは判断が付きかねるのだが。


 昼食を食べて打ち合わせを終えれば後は昼寝をして給料泥棒でもしようかと中村は思ったに違いない。昼行燈の様なやる気のない瞳を見ていれば誰でもわかるだろう。その瞳が力強く猛禽類が獲物を捉えたかのような鋭い瞳になってしまったのだから八神は逃れられぬと溜息を吐くことになる。


「はぁ、仕方ないなぁ。貸し一つだぞ」

「ずいぶん安い貸しだなぁ」

「お前なぁ……。今度なんか奢れ!」

「仕方ない」


 中村から逃れられるはずもないと観念すると、八神達は食堂を後にして人気のない場所へと向かうのであった。

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