第5話 探偵の優雅な午後5 探偵、依頼を受ける
「……お嬢ちゃんの妹か」
そう口にしたのは手持無沙汰な中村であった。
だが、手持無沙汰と同時に興味なさそうにも感じる。そわそわしていて、いかつい顔の中村にはどうも似合わない。
「どうした?その歳で漏らしたか?弁償してくれよ、クリーニングでもいいぞ」
「ば、馬鹿野郎、漏らすか!」
「じゃ、如何した?」
八神にからかわれて赤ら顔になったが、中村はすぐに冷静になり溜息を吐きながら重い口を開く。
「そろそろ署に帰らんといけんと思ってな」
「そうっすね。面倒だけど帰らないといけないっすね」
昼食後、中村が連絡を受けた捜査会議に参加しなくてはならないのだ。欠席は認められないらしい。捜査会議が夕方からあると中村は口にした。時間的にはまだ夕方とは言える時間ではない。だが、八神の探偵事務所でいつまでも油を売っている訳にはいかない。資料を携帯端末に取り込み目を通しておく等、事前準備も必要だから。
「なるほどな。ま、こっちはこっちでよろしくやるから大丈夫だぞ」
「お前のそういうところが心配なんだがなぁ……」
中村と三上は目を細めて八神と明音を交互に見やる。
探偵なのだから人探しは何とかなるはずであろう。だが、依頼人は体が成熟し始めたばかりの女子高校生。大丈夫だと思うが、八神が手を出さないとも限らない、と心配するのだ。
「まぁ、いい。手だけは出すなよ」
「そんな趣味は無いぞ」
「ならいい。だが、手を出したら認定してやるからな」
一抹の不安を感じながら、八神に一応、釘を刺しておくことにした。何の認定をするのかと言えば……。それは言わぬが花であろう。
尤も、明音を背負っていた三上を八神も茶化していたのだから、中村の考えは杞憂であるのだが。
そして、中村は三上に視線を一瞬だけ向けると、開けてもいない缶コーヒーを手に取り八神の探偵事務所を後にするのだった。
「さて、五月蝿いのもいなくなったし……」
鉄の玄関扉が激しい音と共に閉められたその後、八神は目の前の缶コーヒーを手にして飲み口を開ける。そして、ゆっくりと缶コーヒーを傾ける……。
「……。わ、わたしの体が目当てなの?」
「ぶぶっ!」
中村が発した意味深な言葉をしばらく考えていた明音が顔を赤らめて声を張り上げる。
八神は”体が目当て”と耳にし、思わず口に含んで飲み込もうとしたコーヒーを噴き出した。
確かに釘を刺していた言い方を耳にすればそうも取れるだろう。しかし、それは明音の早とちりと取られても過言ではない。
「話を聞いてただろ!依頼の続きを聞くっての。件の妹の写真くらいあるだろう。それに名前も聞いてないぞ」
「……冗談よ」
場を和ませようとしたのか、自分の緊張を解こうとしたのかは不明だが、その場が明るくなった事だけは確かだろう。ただし、テーブルは拭かないと行けなくなったが。
明音の容姿はと言えば年齢的なところから見れば可愛い部類に入るだろうし、学校では異性からの視線を浴びていることは確かだろう。だが、八神には依頼人である明音に手を出すつもりもないし、そもそも、年齢的に興味が無かった。女性の好みと聞かれればもっと年上と答えるのだ。
それを分かったうえで初対面の八神を翻弄するのだから、明音も相当に肝が据わっていると見ていいだろう。
そして、鞄から携帯端末を取り出すと画面を引き出して写真を表示させる。
「これがわたしの妹の伊央理、
「ふ~ん……」
明音の端末に写った伊央理は明音が口にした通り、可愛らしく笑みを浮かべている。八神からしてみれば好みの範疇から外れすぎているので”探し人だ”程度にしか興味は無かった。だから、彼の返事はどこか生返事であった。
「なによ、可愛くないっての?」
「いや、そういう訳じゃないんだがなぁ」
可愛く写った妹の写真を自慢する明音はシスコン気味だと思われる。妹を探してくれる探偵を見つけて足を運ぶほどに、だ。
探し人の名前、それに通っている制服の写真が八神の手元に揃った。
ここまでくれば後は明音から失踪当時の様子や恰好を聞けば何とかなる、そう考えた。
八神が今まで築いてきた情報網に軽く当たれば、痕跡くらいは見つけられるだろう、と。
「その写真を俺の端末に送ってくれないか?」
「う~ん、どうしようかな~」
「ここまで来て今更か?依頼しないんだったらさっさと帰ってほしいんだけどなぁ」
探し人の写真を提示までして持ったいぶるとは思ってもなかった。
料金もある程度は納得しているだろうし、依頼達成率もしっかりと説明したのだから。
他に何があるのかと逆に頭をひねる。
「いいわ、依頼してあげるわ」
「それ、依頼人の態度じゃねぇな?ホントに困ってるのか」
「困ってるわよ。とてもね」
「そうは見えないけどなぁ……」
「失礼ね!」
飲食店でクレームを入れる客の様に振る舞う明音であったが、八神からしてみれば迫力に欠けるので怖いとも思えない。それよりも、気丈に振る舞い
「まぁいいわ。どうせ誰かにお願いしないといけないんだから」
「そりゃ、助かる」
生活するには困っておらず、探偵業は趣味の延長としている八神。依頼料の多寡ではなく暇潰しが出来ると内心で喜びを露にした。
それから八神は依頼の内容を明音から詳しく聞くのであるが、知っていた情報はそれほど多くは無かった。その中でも自宅から南、つまりは二十四区方面に向かったのではないかとの話は有難かった。捜索範囲がある程度だが狭められる。
ただ、もう何日も帰っていないらしく、かなり心配している事はよくわかった。
「とりあえず、今日の所はこれでいい。明日から調査を始めるからな」
「ちょっと~!そんな悠長にしてていいの?」
「こっちもいろいろとあるんだよ。文句言うな」
「えぇ~~」
「ほら、帰った帰った」
依頼を受ける正式な書類を作成し終えると帰る様にと明音を促した。
彼女が帰宅する時間を考えれば今の時間がギリギリだ。明音ほどの可愛らしい女子高校生を日が沈んでから帰すなど八神には考えられなかった。闇夜から這いずり出て来る悪漢の毒牙にかけるなど……。
それに、何日も帰っていないとなれば何処かで食べ物を調達しているはずだから心配いらないと八神は思う。
「わかったわよ。何かわかったらすぐに知らせるのよ」
「定期的に連絡は入れる」
渋る明音を部屋から追い出して後ろ髪を引かれる彼女に手を振って見送った。
そして、明音がエレベーターに乗り姿が見えなくなると、八神の顔から笑顔が消えた。トロンとしていた目はキリリと鋭くなり垂れていた目尻は持ち上がり、空高くから獲物を狙う猛禽類と見まがうばかりだ。
(さて、ああは言ったが早速調べるとするか……。だが、まだ時間が早いな)
アパートの廊下にさんさんと降りしきる太陽の光を迷惑そうに手で払いながら部屋へと戻る。そして、飲みかけてぬるくなった缶コーヒーを手にベランダへと出て手すりにもたれかかる。
(しかし、なぜこんなところに来たのか気になるな……。もしかして?)
ぬるい缶コーヒーをぐるぐると回しながら脳裏に考えをめぐらす。
依頼を受けたは良いが
(この東京二十四区になぜ来た?誰かに連れられてきた?いや、それは無いな。犯行声明が出て無い。そうしたら好奇心か?)
八神はすっかりぬるくなった缶コーヒーを口に当ててグイっとあおる。
ぬるくなったとは言えコーヒーはコーヒーだ。彼の喉を苦みが通過してゆくと一つの結論を導き出す。
「何にしろ、本格的に調査するのは明日からだな。だがなぁ……予定がなぁ。まぁ、さっさと終わらせてしまうか」
目の前に広がる林立するビル群を睨みつけながら八神はぼそりと呟く。この中に探し人が悲しげな表情を浮かべながら姉の明音を待ち続けているに違いない。
そう思うと早く見つけなければと思うのだが、急いで事を仕損じるわけにはいかぬと飛び出して行きたい衝動を強引に押さえつける。
そして、西に傾いて赤くなりつつある太陽を恨めしそうな視線を向けると、ベランダを後にするのだった。
この依頼が大事になるとは、この時の八神には知る由も無かった。
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