第1章 人と超越者と成りそこないと
第1話 探偵の優雅な午後1 探偵、登場
”ゴンゴンッ!!”
安アパートの一室。うだるような暑さの昼下がりに壊れそうなほどのノックが響き渡った。安アパート特有の鉄製のドアを叩くのだからドアでなく、叩いた拳が壊れて血まみれになってしまうと錯覚してしまう程にである。
”ドタンッ!”
ノックの音に驚いたのか、のんびりと昼寝を決め込んでいた部屋の主は、横になっていたソファーから転げ落ちてしまった。
青天の霹靂!
平和な月曜日の昼下がり、突如響き渡った轟音に何の体勢も取る事ができずにいた。
そして、いまだ覚めやらぬ頭をフルフルと横に振り、今の状況を改めて頭の中に叩き込んでゆく。
「ったく!人がいい気持ちで寝てたってのによぉ……」
部屋の主はゆっくりと立ち上がると、下品にノックされた鉄のドアをあくびをかみ殺して睨みつけるのであった。
「おい!中村鉄郎!少しは上品にノックできねぇのかぁ!」
部屋の主は睨みつけていたドアに向かって叫び声を叩きつけた。
叫び声が部屋から消えると同時に空間と空間を遮ってた無機質なドアがゆっくりと開け放たれ、パッとしない中年とも老齢に片足を突っ込んだとも取れるような背広の男がゆっくりと入ってきた。
年齢にすれば五十代と見られるが頭髪の白み具合を見てしまえば六十を超えている、そんな様にも見えてしまう風体だ。
だが、すっと前に突き出して一歩踏み込んだ足さばきを見れば、三十代でも通じるのではないかと思われるくらいの体のキレを見せていた。
「なんだ、起きていたか。この時間だから高いびきを書いていたのかと思ったさ」
にやけ顔を作りながら部屋の主へ”わかってました”とばかりに皮肉を向ける。当然、寝起きだろうと。部屋に入ってきた男、--中村鉄郎と呼ばれた男--、は当然だろうと口にしたのである。
「よく言うよ。この八神真治探偵事務所に入って来て、どの口が皮肉をいうのかと、小一時間問い詰めたい気がするぜ」
この部屋の主、--八神真治と自ら名乗った--は、そう口にすると中村鉄郎に背を向けて、先ほどまで高いびきをかいていたソファーへどっかと腰を下ろした。そして壁掛けのテレビに向かってリモコンを向ける。
『……この事件の裏にはこの白衣の科学者が絡んでいるって噂が……』
寝起きの八神真治の耳にテレビからの音が流れ込んでくる。昼間っから昔の事件を検証する特番でもしているのかと呆れながら、興味が無いと音量を最低まで落すのであった。
それを見ながら、中村鉄郎は”邪魔するぜ”と一言口に出しながら部屋に入り、八神真治と対面する小汚いソファーへと勢いよく腰を下ろした。
小汚いソファーと言えば、座れば埃が舞い立つような雰囲気を持つかもしれないが、八神真治はこれでも綺麗好きであり、ソファーから埃が舞い立つ、そんなシチュエーションは許せないでいた。
当然、先ほどまで自らが横たわっていたソファーに関しても前日に掃除をして、チリ一つ残さぬほどに綺麗にしている。
「綺麗好きなんだから、ソファーで寝ないでベッドで寝るとかしたらどうだ?」
「何ってんだ?探偵って言ったらソファーで高いびきって相場が決まっているだろうに。それを否定すんのか?」
探偵に関して違った印象を持っている八神真治は、探偵こうあるべき!とのイメージを持っている。その一つが探偵はソファーで寝るべきだ、であるが……。いったいどこでどのようにしてその知識を得たのか不思議であると中村哲郎は顔を床に向けて笑いを堪えるしかできなかった。
「まぁいい。で、今日は何のようだ、中村鉄郎、警視庁二十四区署特殊捜査課
笑われて少し”ムッ”としたのだろう。八神真治は厭味ったらしく向かいの中年男に声を返した。
その年齢で警部なら現場で定年を向かえるだろう、そして、出世は諦めたのだろうとのニュアンスを含ませながらである。
とは言え、言葉を向けられた中年の警部はそれを気にした様子もなく、現場で定年を迎える事がさも当然であるかのように淡々と話を続ける。
「なんだ?わかり切ったことを言うな。それよりもだ、昨日の後始末が終わったから報告に来たんだが?当然、わかり切ったことだろう、これも?」
「ああ、昨日の後始末か……。って、事は報酬はスイス銀行に入金済みって事か?」
世界で一番信用されている銀行組織の名前を八神真治は口に出した。
だが、こんなうだつの上がらぬ男が、どこかの仕事人よろしくスイス銀行の口座など持っているはずもなく、対面している中年の警部は溜息を吐くしかない。
「スイス銀行?馬鹿言ってんじゃねぇよ。いや、馬鹿も休み休み言えっての。いつものおまえの口座だ。日本のな」
「ちっ!冗談の通じないやつ……。これだから中年オヤジは嫌なんだよ」
「冗談くらいわかってるっての。その金でたまには昼飯でもおごったらどうなんだ?」
「たかりか?まぁいいや、昼飯もまだだったから食いに行くか……。ただし、二人じゃないけどな」
八神は口角を上げてニヤリとほくそ笑むと玄関の無機質なドアへチラリと視線を向けた。その直後、中村ほどではないが、安寧な空間を一転させる音が響いた。
八神真治の探偵事務所を訪れる者は二通りある。
一つは中村鉄郎の様な八神真治に用がある者達である。
そしてもう一つは八神真治が探偵と知って訪れる者達である。
そして玄関ドアのノックから推測すれば、それは一つ目の中村と同じようにこの事務所、八神に用がある者達と思われる。
のだが、その推理は的を得ておらず外れるのであるが……。
「ちーっす。鉄さん来てるっすか?っあ、やっぱりここにいた!」
夜のコンビニでたむろしている若者のように、軽く挨拶をしながら入ってきたこの男、中村とコンビを組んでいる
よくもまぁ、こんな今風の若者言葉を話す三上を採用したものだと八神は目を細めていた。
「なんでぇ、若造か!」
「若造か?じゃないっすよ~。自分をおいて何処へ行ったかと思ったじゃないですかぁ」
「あん?ちゃんと書置きを残しておいたのを見てねぇのか?」
置いて行かれて泣きそうな顔をしている三上に、さも当然とばかりに中村は辛辣な言葉を向ける。それは、自分は書置きして目的地をはっきりとさせている、なんて良い先輩なのだろうかとでも言うように、である。
しかし、三上は肩をがっくりと落として、溜息を吐きながら中村に反論をしてきた。
「あれが書置きっすか?であれば、もっと大きな紙にしっかりとした字を書いてくれないと。
「ふん!汚い字で悪かったな?」
「まぁ、いつものところだと思ってたからいいですけどね……」
「お詫びって言うのも何なんだが、昼飯をおごってやるぜ」
「え?いいっすか?」
二人のかみ合わない会話を他人事のように聞き、チャラい見た目や言葉遣いとは裏腹に”こいつ、しっかりしていたのか?”と三上の評価を改める八神であった。
その評価が上がった三上に対し、ぐんと下がる中村。次の一言がなければであるが……。
「構わんさ。どうせこいつの金だしな」
奢るといった手前、言葉を引っ込めるとこはできないがそれをさも自分の手柄のように言葉を紡ぐ中村を恨みを孕んだ視線で突き刺すのであった。
「な、なんだよ!そんなに睨むなよ」
「確かに奢るとは言ったけどよ、お前の手柄じゃねえだろ。それに俺の稼いだ金だ」
「気にするな。その金の出どころは税金だろ?」
「税金だが、一般市民からいただいた、ありがた~い、税金だ。お前のじゃねぇのは確かだ」
八神が口にしたように、彼の口座にたんまりと振り込まれる報酬は国庫から振り込まれる一般市民から収められる税金である。中村や三上はその税金の中から給料をいただく公僕でもあるのだから、中村が大層な口を叩くのはお門違いと言ってもいいだろう。
それがわかっているからか、中村は肩を竦めて”おお、怖い怖い”と口にしながらさっさとソファーから立ち上がり三上の待つ玄関へと向かうのであった。
「ま、腹も減ったしさっさと行くか……。中村におごるのは不本意だがな」
「じ、自分はいいっすよね?」
辛辣な言葉を中村に向けられたからか、三上は昼飯を奢ってもらえないのかと戦々恐々としながら尋ねてみた。それに対し八神はうっすらと笑みを浮かべただ頷くのみであった。
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