Track 2:スタンドアップ!シスター(3)

   ***


『日常は良い』


 朝7時、起床して歯を磨いてシャワーを浴びて家から出る

 朝ごはんは食べない派だから。

 午前8時半、始業チャイムギリギリで教室にたどり着く

 寝ぼけまなこだったけど通学路が長くてさすがに目が覚めた。lalala...

 ああ、こんな時に思うよ、

 翼が生えたら羽ばたいて学校に行けるのにって。

 8時40分に一時間目を受けて、9時40分に二時間目を受けて、

 休み時間なども挟みつつ12時30分から昼休み。

 今日も学食でご飯を食べるんだよ。

 行列に並ぶ人々。

 ああ、こんな時に思うよ。

 翼が生えたら列の一番前まで飛べるのにって。

 新小金井までの下校道はおれの通学路。

 そんなおれの日常。

 Everyday is good.


   ***


 市川がおれの書いた歌詞を読み終えたころ、教室に変な空気が流れていた。

「えっと、なるほど……。『朝7時』って言ったり『午前8時半』って言ったり『8時40分』って言ったり、表記が統一されてないのがちょっと気になるかな……」

「え、そこ?」

「大事なことだよ? 句点も付いたり付かなかったりしてるし」

「はい、すみません……」

 国語の先生なのかこの人……。さっきの知らない単語をメモするあたりとか、市川は結構完璧主義なのかもしれない。

「あー……? えっと、それもそうなんだけど、そもそもの内容についてはどう思う?」

「うーん……。ちょっと、独創的ではあるかも……ね?」

 吾妻が聞くと、気遣わしげに市川が微笑む。

「いや、これは独創的とかで済ませられることじゃなくない……!?」

 すかさず吾妻がツッコんで、鼻息荒く腕を組んでこちらを見上げた。

「別に良いんだよ。小沼の歌詞だから、自分の信じるようにやればいいと思うんだよ。小沼が本当にこれが良いと思ってるなら」

「お、おう……」

 たじろぐおれに訴えかけるように、吾妻は続ける。

「だけど! これ、良いと思ってる!? この歌詞は何か意図があって書かれたものなの!?」

「いと、とは……?」

 おれの頭上にハテナマークが浮かんだ。

「まず、タイトル! 『日常は良い』って何!?」

「いや、テーマを分かりやすく言おうと思って……」

「分かりやすいどころか、分かりやすすぎて何も伝わってこないっての!」

「そんなことある?」

 伝わってこないか? 日常が良いということが。

「あと、翼生やすタイミング!」

 吾妻は追撃の手を止めない。

「ああ、なんか、J−POPって翼生やすんだろ……?」

「生やすよ!? たしかにJ−POPは翼生やすよ!? 生やしすぎて生える翼もないくらい!」

「ああ、だったら……」

 ちゃんと型を押さえられているんじゃんか、と続けようとすると、吾妻は頭を抱える。

「タイミング! 列の前に割り込むのは絶対に無いでしょ! 翼を生やす時は、せめて恋人の家に飛んでく時にして!」

「いや、それは不法侵入じゃ……?」

「amane様のリコーダーを舐め盗もうとしていたやつが今さらそんなこと言う!?」

 おれの法令遵守の精神から発せられた一言は、先ほど勝手に作り上げられた変態性で上塗りされた。ていうか舐め盗むってなんだよ。

「リコーダー……?」

 隣で市川がぽかんと首をかしげる。そりゃそうだよ、リコーダーなんか持ってきてないんだから。いや、でも一応弁解しておくか。不審に思われないように、笑顔を添えて。

「ふ、ふひひ、い、市川? こ、ここ、これは、ふひ、ち、違くて、だな……!」

「お、小沼くん……?」

 やばい、もつれまくった舌と気持ち悪い笑顔の相乗効果で、リコーダーを舐め盗もうとした変態感が逆に出てしまった。

「ちょっと小沼、今あたしが話してんの! ちゃんと聞いて」

 吾妻はそんなやりとりも気にせずおれに話しかけてくる。元凶は吾妻なんだけど……。

「あのね、小沼。歌詞っていうのは、文章とは違うんだ」

「ほう……?」

 ここが大事なことだと言わんばかりに、声のトーンを落として吾妻が語り始めた。

「メロディに耳を傾けて自分の伝えたいことをそこに乗せる時、それがどんな言葉になるかを考えなきゃいけないの」

「そう、なのか」

 いきなりまともっぽいことを言い始めるから、ついつい、その先が気になってしまった。

「メロディとの掛け算なんだよ。暗いメロディに『君が好きだ』だったら失恋ソングになるし、明るいメロディに『君が好きだ』だったらハッピーな曲になるでしょ? メロディも含めて感情を表現しているんだから、それを歌詞だけで『君が好きだけど失恋してしまったから悲しいのである』なんて言い切ったら、それはめっちゃ無駄だし無粋なわけ。分かる?」

「ほう……」「へえ……」

 おれのあとにamane様もうなずいていらっしゃる。

「つまり、歌詞っていうのは聴く人の想像力も加わって初めて完成するものだってこと! 例えば、『新小金井までの道』って書いたら武蔵野国際の生徒しか共感できないけど、『いつもの下校道』って書いたら全中高生が共感出来るでしょ? 聴く人がなるべく『この曲は自分の曲だ』って思えるようにするわけ。まあ、それを逆手に取って、具体的な地名をあげるのも立派な手法ではあるんだけど……。あとね、」

「あのさ、」

 おれは、一つ思いついたことがあり、口を挟もうとする。

「『悲しい』とか『嬉しい』とかの、感情を一発で表す言葉をなるべく使わないっていうのも手法ではあるかな」

 あれ、無視された……!?

「そういう言葉は『どんな風に悲しいんだろう?』って想像する隙を無くしちゃうから。まあ、これももちろん使い所次第なんだけどね。ここぞってところでは使うべきだし。とはいえ、」

「あのさっ」

 市川が挙手をする。え、挙手制なの?

「はい、市川さん」

 ああ、挙手制だったんだ……。先に言っておいて欲しかった。おれには不利だな……。

「あのね、由莉が歌詞を書いてくれるっていうのはどうかな?」

「……ほぇ?」

 あれだけ饒舌だった吾妻の動きがいきなり止まる。市川はそれに構わず続けた。

「私、こんなに歌詞のことちゃんと考えてる人に初めて会ったもん!」

「あたしが、amane様の、お歌いになる曲の、歌詞を、ですか……?」

「そう!」

「そ、そんなこと、こんな、出来損ないの自分ごときが……」

 いや、信者モード通り越して卑屈になってる。

「ダメ……かな?」

 そこに、必殺、市川の上目遣い。

「……吐血」

 吾妻が二文字だけつぶやいて机に突っ伏した。やれやれ。……おれも正面から見てたら一緒に昇天してたかもしれない。

「ねえ、作詞どうかな? 由莉は歌詞って結構書いてるの?」

 オーバーなリアクションも無視して市川が吾妻の肩を揺らしながら話を続ける。この人はこの人で猪突猛進というか、集中すると周りが見えなくなるというか……。

 呆れ半分尊敬半分で見ていると、吾妻がむくりと起き上がる。

「うん……。一応、amane様の曲に出会った3年前から毎日3曲分くらいずつ書き溜めてるから、3000曲分くらいはあるけど……」

「3000曲!? 私の何百倍も書いてる……!」

 吾妻、尊敬するamane様を数で凌駕してるじゃん……!

「なあ、吾妻。こんなに気軽に頼んで良いものなのか分かんないんだけど、もし吾妻がよければ、書いてみてくれないか? もしかしたら、それでamaneがまた、」

「amane様」

「……それでamane様がまた、amaneの……amane様の曲を歌えるようになるかもしれないんだ」

 本人を前にしても様付けを強要されて恥ずかしかったが、おれのその言葉を聞いて、吾妻は腕を組んで悩んでくれているみたいだった。

「んん……。そりゃ、やってみたいって思ったりするけど……。でも、あたし、その……」

 言い淀む吾妻の次の言葉を市川は何も言わずに待っている。

「ポエム書いてて、中学の時に馬鹿にされたことあって……だから恥ずかしいっていうか……」

「……吾妻も、そうなのか」

 おれの口から無意識にこぼれた言葉に、市川が「ん?」と首をかしげた。

「吾妻」

「……なに?」

 唇をとがらせて、いじけたみたいにこちらを見上げてくる。

「さっきも言ったけど、おれも曲を作ってるのは秘密だ。ゴーストライターってことになる。今回の目的は市川のリハビリだから、吾妻もゴーストライターとして書いてもらうことになるんだけど……それなら、どうだ?」

「でも……」

 迷ったように瞳を揺らす吾妻に、おれは最後の一押しを使う。

「さもなくば、amane様の3年ぶりの新曲のタイトルはこのまま『日常は良い』になる」

「やりますっ!」

 今までの悩んでた時間はなんだったんだというくらいの即答が返ってきた。複雑な気持ちではあったけど、良い作品を作るためだ、仕方ない。うん、仕方ないんだ……。

「やった! よろしくね、由莉!」

「うん、やるからには精一杯頑張るね!」

 握手を交わす女子二人の脇でおれは思う。

 おれの書いた歌詞って、そこまでひどいんですね……?


「あ、やば、部活行かなきゃ!」

 時計を見た吾妻が声をあげて立ち上がる。

「由莉って何部なの?」

「器楽部! ベース担当! 部長!」

 自分のプロフィールを単語で言いながら慌てて荷物をまとめると、

「じゃね、小沼と、いち……ama……天音! また明日ね!」

 と言い残して教室を飛び出した。急いでた割に、市川の名前を呼ぶのに手間取って無駄に時間かかってた感じするけど。

「器楽部かあ……!」

 うちの高校には音楽系の部活が2つある。

 1つは、市川の所属するロック部。他の学校でいう、いわゆる軽音部だ。部員のほとんどが他の部と兼部していてロック部単独の部員はほとんどいない。校内にあるらしいスタジオを使用しての練習と、3ヶ月に1回くらいの校内ライブが主な活動だ。

 もう1つは、吾妻の所属する器楽部。ここは吹奏楽部みたいに管楽器をメインに演奏する、ビッグバンドジャズとかいうジャンルを専門にやっている部活らしい。おそらく、器楽部との住み分けのために、ロック部は軽音楽部ではなくロック部という名前になったのだろう。

「それに部長なんだね、知らなかったなあ……」

「そうなあ……」

 いやまあおれが知るわけないんだけど。

 そして今日も4時のチャイムが校内の空気を揺らす。教室には市川とおれの二人。

 ……ん? このあとどうする流れになるの? 『じゃ、おれも帰るわ』って立ち去るべき?

 あらゆる経験値が皆無なおれが戸惑っていると、市川が微笑んで首をかしげる。

「じゃ、私たちも帰ろっか?」

「え、あ、ああ、うん……」

 おれ、2日連続でamane様と帰るのか、やばいな……。

 まさかのお誘いに引き続きおろおろしながらも、カバンを手に取って教室を出ると。

 ちょうどその時、廊下を急いで小走りしてきたらしい人影と衝突する。

「あ、ごめん」

「あ、ああ、いや、別に……」

 条件反射的に謝ってきた鉢合わせ相手を見ると、金髪ロングヘアで切れ長の目をした女子だった。その姿に、おれは不意に顔をうつむかせる。

 視界に黒いTシャツとダンス部のロゴの入ったスウェットのズボンが映った。息を切らしているところを見ると、急いで部活を抜けてきたらしい。

「小沼くん、大丈夫?」

「あ、ああ、まあ……」

 おれが答えると、市川は当たってきた金髪女子の方を向く。

「大丈夫ですか? 怪我とかないですか?」

 市川に声をかけられた彼女は、先ほど一瞬見せた殊勝な態度はどこへやら、市川を無視しておれをキッと睨んでから、おれの横をすり抜けて4組の教室へと向かう。

 その時、「……チッ」と、強めの舌打ちが聞こえた。

「私、何か怒らせるようなことしたかな……?」

「いや、別に……おれにむかついたんだろ」

 人に嫌われるのは人一倍苦手なのだろうか。市川が不安げにつぶやくので、動揺も手伝い、つい必要ないフォローをしてしまった。

「ぶつかってきたのはあの子なのに? それはちょっと被害妄想じゃないかな?」

「いや、ぶつかった相手がおれじゃなかったらあいつもあんな態度は取らないと思う」

「あいつ? もしかして、小沼くん知り合いなの? 去年同じクラスとか?」

 まずい。なんだか焦って余計なことを言ってしまった。

「いや、違うけど……」

「じゃあ、どうして?」

「べ、別にどうでもいいだろ、そんなこと……。ほら、帰るんだろ?」

「んん、教えてくれてもいいじゃん……!」

 頬を膨らませる市川を無視して、おれは歩き出す。

 ……短いやりとりだったが、久しぶりに彼女と交わした会話にまだ動悸がうるさかった。


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試し読みは以上です。


続きは2021年10月1日(金)発売

『宅録ぼっちのおれが、あの天才美少女のゴーストライターになるなんて。』

でお楽しみください!


※本ページ内の文章は制作中のものです。実際の製品と一部異なる場合があります。

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宅録ぼっちのおれが、あの天才美少女のゴーストライターになるなんて。【増量試し読み】 石田灯葉/角川スニーカー文庫 @sneaker

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