Track 2:スタンドアップ!シスター(2)
翌日。
同じクラスだから当然何度か市川とはすれ違ったものの、基本的には会釈をするだけにした。
おれたちの協力関係はあくまで秘密のものだから、昨日までなんでもなかった二人がいきなり話をしていて周りから注目されたり怪しまれたりするようなことは避けたい。
そんな風に身を低くして過ごしていたら、すぐに放課後になり、ぱらぱらとクラスのみんなが教室から出ていく。
市川とは約束はしてないけど、また曲や歌詞の話をしようと思ったら、放課後、二人だけになるまでこの教室で待つしかないだろう。連絡先の交換もしてないしな。
……ていうか普通、帰り道まで一緒になったら連絡先とか交換するもんなんじゃないの?
いやまあ、高校上がる時にやっと持たせてもらったスマホには家族の電話番号しか登録されてないから普通がどうなのか分かんないんだけど……。
わざと残っているということを悟られないよう、おれが自分の存在感をゼロに近づけながらスマホをいじるふりをしていると、見事に誰からも声をかけられないまま、全員いなくなった。
うん、おれってば、気配を消す能力が高いな。まあ、元々気配も存在感もないですしね。
とにかく、いとも簡単に、無事、教室にたった一人きりになった。
そう、一人きりだ。
……つまり、市川もいない。
あれ? 空気読み違えた? 何それ、恥ずかし過ぎるんですけど……!
座ったまま内心で取り乱したおれは、深呼吸をしながら状況を整理する。
とりあえず歌詞を見せるって約束はした。うん、それは確実だ。じゃあ、どうやって見せれば……?
……そっか、なるほど。
逡巡したおれは、一つの解答に思い至る。
歌詞を書いたノートを持ってくる約束はしたけど、『直接見せる』という約束はしていない。
つまり、ノートを市川の机の引き出しに入れて帰ればいいんだ。
よし、と立ち上がり、おれは窓際の市川の席に向かい、机に『作曲・作詞ノート』とタイトルが書いてあるノートを入れた。
ちょうどその瞬間。
「現行犯!」
後ろから声が聞こえて、肩が大きく跳ねる。
振り返ると、教室の入り口で昨日のコンビニ店員、吾妻由莉が腕組みして立っていた。
「今、市川さんの机から何かを取ろうとしてたでしょ!?」
「え、いや、これはそうじゃなくて……」
物を取るわけじゃなくて物を入れていたんだ、と弁解しかけて、口をつぐむ。それがバレるのはもっとまずい。
……ていうか、なんで別クラスの吾妻が市川の席の位置を把握してるんだ?
「そうじゃなくって何? まだ取る前だから大丈夫だよ、あたしが一緒に市川さんに謝ってあげるから、自首しよ?」
お節介なんだか親切なんだか優しさなんだか正義感なんだか、いずれにせよありがた迷惑の迷惑成分多めみたいなことを言いながら吾妻が近づいてくる。
「何を取ろうとしてたの? リコーダー? 舐めようとしたの?」
「いや、うちの高校、リコーダーの授業ねえし……」
とりあえず返せる正論だけ打ち返しながらあとずさりする。
「じゃあ、何を取ろうとしたわけ……?」
そう言いながら、吾妻がひょいっと市川の机の引き出しを覗き込んだ。
……その時。
「うにゃあああああああああああああああああああああ!?」
耳をつんざくほどの奇声が教室中に響き渡る。
一瞬耳をふさいだおれが再度そちらに目を向けると、目をひん剥いて一心不乱にノートのページをめくる姿があった。
「嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ……!? やばすぎるやばすぎる、え、まじ? 本気? これは神のノート、聖書、バイブル……!」
何かに取り憑かれたように吾妻がノートを読んでいる。
一体どうした……? そう思ったのも束の間。
数ページめくった後に段々スピードが落ちていき、シュゥゥゥゥ……と音を立てて、やがて茫然自失といった表情になった。
「これは……違う……こんなの、amane様の御言葉じゃない……」
今、なんて……?
「amane様の御言葉はこんなんじゃない……。amane様の御言葉は、もっと清く尊く、そして
いや、これはまさか……。
「なあ、吾妻はもしかしてミュージシャンのamaneを知ってるのか……?」
おれの質問に、吾妻が首をほぼ90度傾けてギョロっとこちらを睨みつけてくる。怖えよ。
「小沼こそ、市川さんの正体がamane様だって知ってたの? それでamane様の机に耳をこすり付けようとしてたってこと……?」
「いや、どんなプレイだよそれ……」
「プレイ!? あんた、amane様でなんてことを……! この、変態っ……!」
いやいや、変態なのはおれじゃなくて、そんな発想をする吾妻の方なのでは……?
「吾妻、とりあえず落ち着いてくれ。吾妻の言う通り、おれは市川の正体がamaneだと知っている」
「amane様」
「……市川様の正体がamane様だと知っている」
微妙な差を言い直させられた。ていうか、ついでに市川にも様をつけてしまった。
「それで、吾妻もamane……様のファンってことか……?」
「ファン……? そんなものと一緒にしないでもらえる? あたしはamane様に人生を変えていただいた、いわば信者。amane様のCDを磨り減って聴けなくなるくらい聴いて、もはやその音は今やあたしの体内に取り込まれている。再生しなくても聴こえる境地に達してる」
言いたいことは分からないではないけど、CDは磨り減らないんだよなあ……。
「活動休止が本当にショックだった。これからも届けられると思っていたあの御言葉たちがなくなると思うともう絶望的で……。でもね、高校に入ったら、そこにamane様がいたんだ。同級生の形をした女神が。その時の驚きと言ったら……。ねえ、分かる?」
「お、おう……」
吾妻がやばいやつだってことがよく分かったので、曖昧に返事をした。
「でもあたしは、amane様が自分から正体を明かさない限り、あたしからはamane様として声をかけないって決めてたの。それがamane様の選択だって、そう思ったから」
そこまで言ってから、吾妻はおれのことを睨みつけた。
「ねえ、小沼。まさかあんた『なあ、市川は、「amane」なんだろ?』とかamane様に言ったわけじゃないよね?」
「うっ……!」
まさしく昨日言った言葉をどんぴしゃで当てられた。
ぎくりとするおれの表情を見て吾妻は元々大きな瞳をさらに見開く。
「嘘でしょ……!? よくも抜け抜けと、amane様の大切な青春を壊して……!」
全身から敵意が噴射されて、おれに向けられている。
「いや、それにはわけがあって……」
おれが言いよどんでいたその時。
救いの声が教室にこだました。
「お待たせ小沼くん、ギター取って来るの時間かかっちゃった!」
市川が教室に戻って来たのだ。ああ、amane様……!
「って、あれ、吾妻さん? どうしたの?」
そう言いながらも市川は、自分の机の上に置いてあるノートを見て、状況をなんとなく察したらしい。
「……あー、えっと、そのノートは……」
「……amane様」
戸惑う市川に、うつむいたまま、くぐもった声で、吾妻がそう言った。
「え……? あまね……さま?」
そして顔をガバッとあげて、戸惑う市川へ熱い眼差しを注ぐ。
「amane様! なんで引退してしまったのですか!?」
ずいっと市川ににじり寄る吾妻。椅子がその反動で倒れ、がちゃんと音を鳴らす。
いや、ていうか吾妻も結局それ聞いちゃうのかよ。
「ええーっと……? 小沼くん、これはどういう……?」
頬をかきながら、市川がこちらを見る。
「えーっと……吾妻も、amaneのファンなんだってさ」
おれが事実だけを述べると、
「違うって言ってるでしょ?」
吾妻が眉をひそめて訂正してから、市川の方に向き直り恭しく頭を下げる。
「あたしは、amane様の信者です」
もはや隠していても仕方ないと判断したおれは、市川に許可を取ってから、吾妻に対してかくかくしかじかと経緯を伝えた。
吾妻は市川の席に座り、市川は前の席の椅子を吾妻の方に向けて座り、おれは横の席の机に寄りかかっている。
「つまり、amane様は自分の曲を歌おうとすると声が出なくなっちゃって、リハビリのために小沼の曲を自分の曲として歌おうとしてて、これは小沼の作詞ノートってこと?」
「そういうことだ」
理解が早くて助かる。
「amane様はそれでよろしいのですか?」
「えっとね、そのamane様っていう呼び方、やめよう? 昨日は普通に呼んでくれてたのに……。普通に市川とか天音とかって呼んでくれたらいいから」
市川が頬をかきながら苦笑いでたしなめる。
「分かりま……分かった、えーっと……天音?」
小首をかしげる吾妻。大きな瞳が不安げに揺れる。
「うん、よろしくね、えっと……由莉!」
「ぐうかわっ……!」
市川の呼び捨てに吾妻が胸元を押さえて息も絶え絶えになる。大丈夫か……?
「ぐー、かわ……?」
それ、どういう意味かな? とおれを見上げて首をかしげるamane様。なんだそのぐう可愛い顔。無自覚におれまで攻撃してこないでください。
「まあいっか。あとで調べてみるね」
市川は知らない単語があることが許せないのか、スマホを取り出してメモ帳アプリに『ぐーかわ』と打ち込んでいた。
「……話を戻そう。吾妻、さっき何か言いかけてなかった?」
「ああ……。つまり、ama……天音は、小沼の曲を小沼の歌詞で歌うってことで良いの?」
「うん! 小沼くんの曲、すっごく良い曲なんだよ? 私、一目ぼれ……じゃなくて、一聴きぼれしちゃったくらい!」
ニコッと笑う市川が眩しすぎて浄化されそうだ。それを言うなら一耳ぼれなのでは、という無粋なツッコミなんて浮かびもしませんね。
「そうなんだ……分かった。でもね、amaneさ……天音。あたしがこんなこと口出す権利ないけど、もしできるなら、歌詞だけでも天音が書けたりしないかな?」
「どうして?」
「えっと……天音、この歌詞もう読んだ?」
「ううん、まだだけど?」
「そっか……。じゃあ、はい」
そう言って、吾妻はノートの一番新しく書かれた部分を開いて、市川の方に向けた。
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