Track 1:feel my soul(1)

「……あ」

 6月にもかかわらずよく晴れた夕焼けの放課後。

 校門にさしかかったあたりでカバンを探ると、教室の机の中にヘッドフォンを忘れたことに気が付いた。

 さしこくさい高校の広い校舎を引き返すのは面倒だが仕方ない。

 ここから家まで電車と徒歩を合わせて片道1時間半。そんなに長時間を無音で過ごすなんて耐えられない。今日は聴きたい音源もあるし。

 とぼとぼと2年6組の教室に戻ると、いつも開けっぱなしになっているはずのドアが閉まっている。誰か親切な通りがかりが閉めていったんだろうか?

 首をひねりながらドアに手をかけたその時。


 G。D。G。


 教室の中から、アコースティックギターが聴き覚えのあるコードを鳴らすのが聴こえた。

 それは、おれが何百回も聴いた曲のイントロだった。

 心臓が急激に高鳴り始めて、不意に生まれた期待感に胸が張り裂けそうになる。

 ……だが、イントロはイントロのまま、歌が始まることなくすぐに音は止んでしまった。

 そのあと十数秒、息を殺して立っていたが、もう一度音が鳴る気配はない。

「……はあ」

 ため息で呼吸を整えてから、引き戸をガラガラと開ける。

 夕暮れ色で染まった教室のすみっこ、窓の外を見ながら机に腰掛けてギターを構えていたのは、クラスメイトのいちかわあまだった。

 容姿端麗、成績優秀。人当たりは良いが、どこか凛としたそのたたずまいから、男子はもちろん、女子からも一目置かれている。

 おまけに歌が上手くて、ギターが弾ける。

 黒髪セミロングのストレートヘアがよく似合う、『清純』を絵に描いたような美少女だ。

 おれがドアを開けた音に気付いたのか、市川がこちらを振り返る。

「あ、ぬまくん」

「お、おお……」

 なんだこの人は、おれなんかの名前まで覚えてんのか……?

「忘れ物?」

「う、うん」

 会話は最低限に。でないと、余計なことを言ってしまいそうだ。

「えっと……あのね? 部室のスタジオが空いてなくて、それで教室で練習してたんだ」

 一人で演奏してるところを見られて気恥ずかしかったのだろうか。聞いてもいないのに、えへへ、とハの字眉で笑いながら状況を説明してくれる。

「そ、そうなのか」

 おれは自分の机の引き出しからBluetoothのヘッドフォンを出して、耳にかける。

「そそ、それじゃ」

 情けなくもつれる口元。なぜか震えてしまう指でスマホの再生ボタンを押して、格好だけは颯爽と立ち去ろうとした、その時。

 おれのスマホの『スピーカー』から大音量で音楽が流れ始めた。

「うっ……!?」

 まずい。

 緊張のせいか、ヘッドフォンの電源を入れる前に再生ボタンを押してしまったらしい。

 その音を聴いた途端、市川がこちらに身を乗り出してくる。

「ねえ! その曲、誰の曲!?」

「べ、別に、誰の曲ってこともないけど……」

 しどろもどろになるおれ。いつの間にか目の前に立っている市川。ちょっと、近い近い近い近い……!

 おれが内心で焦っていることを察する様子もなく、市川は無邪気におれのスマホを向かい側から覗き込もうとさらに身体を近づけてくる。

「誰の曲ってこともない、ってなに? 誰かの曲なんでしょ?」

 極度の緊張に指がもつれて再生を止められず、スマホからは音楽が流れ続けていた。

「そ、そんなに、興味持たなくても」

 おれはうまく回らない舌で、とっさに、取りつくろうように言う。

「こ、こんなの別に、大した曲じゃ、ないだろ」

 その言葉を吐いた瞬間。

「……今、『大した曲じゃない』って言った?」

 その綺麗な目がこちらを刺すように鋭く細められる。

「『大した曲じゃない』なんて、どうして小沼くんが言うの?」

 冷たい視線とは裏腹に怒りをはらんだ熱い声で、市川は続けた。

「どんな曲だって誰かが一生懸命作った大切な曲なんだから、『大した曲じゃない』なんて、作った人以外は絶対に言っちゃいけないと思うんだけど」

 市川の声音がどんどんヒートアップしていく。

「い、いや……」

 そういうことじゃなくて、と撤回しようとするものの、至近距離にある整った顔のせいで声がうまく出てこない。

「それにこの曲、すっごく良い曲じゃん」

 意地になったらしい市川は、おれのスマホの上の方を人差し指で押さえて地面と水平にする。

 そして、その画面に出ていた文字を見て、その動きを止めた。

「え、これって……?」

 ついさっきまでの怒りはどこへやら、目を丸くした市川がおれの方を見上げる。

 ……もう言い逃れできない、か。

「……そうだよ」

 画面に出ている文字は『日常は良い(仮)/小沼たく』。

「……この曲は、おれが作った曲だ」

 おれは、一番言いたくないことを一番言いたくない相手に告げることになった。

「……ほんとに?」

「ああ、うん……」

 ……完全にやってしまった。

 よりによって、あの市川天音に曲を作ってることがバレるなんて。

 向かいでおれのスマホを人差し指で押さえている彼女は、口を半開きにしてこちらをじっと見上げている。

 やっとのこと、おれが停止ボタンをタップすると無音の時間が流れ始めた。

 気まずい沈黙を埋めるどころか際立たせるように、キーンコーンカーンコーン……と、4時のチャイムが教室に鳴り響く。

 ややあって、

「……小沼くん、作曲できるの!?」

 我に返ったらしい市川が目を爛々と輝かせながら、前のめりになって声をあげる。いや、だから近いって……!

「いや、出来るっていうか、やってるだけだけど……」

「すごいね、全然知らなかった!」

「そ、そりゃまあ、誰にも言ってないし……」

「そうなの? 言えばいいのに! 本当にすごいなあ……」

 ……この人は、嬉しそうに何を言ってるんだろう?

 おれは自分の顔が熱くなっていくのを感じていた。

 その原因は『照れ』じゃない。……多分、『怒り』だ。

「……市川だって」

「ん?」

 震えそうになる声をなんとか押さえつけながら、それでも、はっきりと言葉をぶつける。

「市川だって、作曲出来るだろ」

「え……?」

 その瞳が揺れる。

「えっと……ロック部のライブを観に来てくれたのかな……? あの……私が弾き語りしてた曲はカバーだよ?」

「そんなこと分かってる。だけど、市川は、自分で作詞も作曲も出来るはずなんだ」

 市川が目線を落とす。

「……どういうこと、かな?」

 おれは、何かを推し量るような声音の市川に、きっと言ってはいけない真実を突きつけた。

「なあ、市川は、『amane』なんだろ?」

 ハッと顔を上げる市川の形の良い唇がわなわなと動く。

「それ、知って……?」

 もう、だめだ。こらえきれなくなった言葉がこぼれ出てくる。

「知ってるよ。だって、おれは、」

 本人にだけは絶対に言わないと決めていたはずの言葉が。

「あなたに憧れて作曲を始めたんだから」

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