宅録ぼっちのおれが、あの天才美少女のゴーストライターになるなんて。【増量試し読み】

石田灯葉/角川スニーカー文庫

intro:転がる岩、君に朝が降る

 廊下の真ん中を歩いたことがない。

 肩より高く挙手をしたことがない。

 学校内で大声を出したことがない。

 そんなおれからすると、今現在、校内で一番目立つあの舞台に立って、右手を高く振り上げて、張り裂けんばかりの声で歌っているロック部の部員たちは直視できたものじゃない。

 ボーカルだけじゃなく、ギターもベースもドラムも、自分だけを見ろとばかりに好き勝手な音量でがなり立てる。お世辞にも上手いとは言えない演奏を、よくもまああれだけ堂々と披露できるものだ。

 きっと彼らは、自分のことを物語の主人公だとでも思っているのだろう。

 おれなんかと違って、初めて美容室に行った翌日に「ぬまのくせに気合入っててうける」と嘲笑されたこともないし、服屋に入った時に自分みたいなのが服を選んでいるのは滑稽だと肩身の狭い思いをしたこともないし、全員参加のクラス対抗リレーで足を引っ張り失望のため息を浴びせられたこともないし、くじ引きで修学旅行の班が一緒になった女子に「ハズレだ……」という目で見られたこともないのだろう。

 そういう経験を積み重ねていれば、あんな舞台に自ら上がって注目を集めるなんてことは怖くて出来ないはずだ。

 少なくとも、おれにはとても出来ない。バカにされるイメージしか浮かばない。嘲笑されるイメージしか浮かばない。

 ……いや、分かってはいる。強制参加でもない校内ライブに勝手にやってきて、そんな失礼極まりないことを考えているこっちの方が絶対に悪い。元々不愉快な顔立ちに不満げな表情を浮かべているようなやつなんて、追い出されても文句は言えない。

 まあ、だからこそ、おれは誰からも姿の見られない一番後ろでこうしてなるべく気配を消して立っているわけだけど。

 それに、おれだって、嫌味な空気を撒き散らすためにわざわざこんな陽キャたちの集まるイベントに来たわけではない。

 今日だけは、どうしても観たいものが、確かめたいものがあったのだ。

「ありがとう! チェリーボーイズでした! 次は、初登場、いちかわあま!」

 轟音が鳴り終わった後、顔の良い男性ボーカルが次の出演者を呼び込んだ。

 すると、黒髪の女子が、アコースティックギター一本だけを抱えて舞台に上がる。

「市川さんって本当に天使みたい……!」「天音ちゃん、ずっとロック部だったけどライブに出るのは今回が初めてらしいよ」「歌も歌えるんだね、すごいね……!」

 ギターを持つその姿を見て、どくり、と心臓が一度重く跳ねて、ごくり、と固唾を飲み込む。

 彼女は慎重すぎるくらい念入りにギターのチューニングをしてから、

「こんにちは、市川天音です」

 と、眉をハの字にして笑った。

「今日は初めてここで歌わせてもらえることになりました。……一曲だけ歌いますね」

 ……何を歌ってくれるんだろう。どうか、あの曲でありますように。

 おれは拳をぎゅうっと握り込む。自分の呼吸が浅くなるのを感じる。

 そして、市川天音は、すぅー……っと、あの日のように息を吸ってから。


 誰でも知っている、有名女性シンガーソングライターの曲を歌い始めた。


「声、きれい……!」「どんだけ完璧なんだろう……!」「眩しくて近寄れないね……」

 会場中が感嘆のため息で満たされていく中、多分、おれだけが。


「そうじゃねえだろ……」


 口の中に鉄の味が滲むほど強く、下唇を噛んでいた。

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